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上京区は概ね,東は鴨川,西は紙屋川,北は鞍馬口通, 南は丸太町通によって区切られた長方形の地域です. 紙屋川は今出川以南は天神川となります。地理上は 上流含め「天神川」となっているようです。 この地域内には京都御所、北野天満宮などが含まれ、 京都府庁もこの区内にあります。二条城は中京区に属しています。 智恵光院通は堀川通と千本通の間を通る道です。 |
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観光客にはあまりなじみのない名前ですが、通りの名前にもなっているところです。 本堂には快慶作の阿弥陀如来像があり、境内の地蔵堂には小野篁作の六臂地蔵尊が祭られています。 |
1294年(永仁)開山の浄土宗のお寺で、 称念山平等寺と称しています。 京師七光院の一つとして栄えたそうですが、 1730年(享保15)、1788年(天明8)に大火で 全てを焼失、現在の建物は1788年以降の 再建によるものです。 再建後も太平洋戦争で強制疎開により塔頭も 廃され、規模が縮小されました。 |
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本堂の傍にあるまだ若い桜です。 本堂左手には地蔵堂があります。 地蔵堂には「六臂地蔵尊」が 祀られていますが、小野篁の作と 伝えられています。 |
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本堂の前には「獅子頭守護石」が 安置されています。 ちょっと獅子の頭に見える石です。 |
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智恵光院を北に行くと首途神社(首途八幡宮)があります。元の名を内野神社と言いましたが、 1174年に源義経が、鞍馬山を出て奥州へ出立する際に、この場所から旅に出ました。 このため、首途(かどで)神社と呼ばれるようになったそうです。 |
元は内野八幡宮と称されており、 平安京の大内裏の鬼門にあったため、 王城鎮護の神とされていました。 1174年(承安4)に源義経が奥州平泉へ 赴く際に、鞍馬山から内野八幡宮を訪れ、 道中の安寧を祈願したと言われています。 首途は出発の意味を持ち、この意から 「首途八幡宮」と呼ばれる様になったそうです。 従い、旅立ちや旅行安全の神として信仰を 集めています。 この鳥居は二の鳥居です。 奥に見える石の鳥居の先に本殿があります。 赤い鳥居の奥には弁天社があります。 |
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八幡宮本殿です。 | |
源義経が奥州へ出立した 記念碑です。 義経の出発830年目を記念して 建てられたとの事です。 |
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