本能寺
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京都市中京区にある法華宗本門流の本山の一つです。1415年(応永22)日隆が本応寺として五条坊門に創建したことに始ります。
1433年(永享5)六角氏の援助のもとに六角大宮に移転し,本能寺と改めました。1582年(天正10)に本能寺の変で焼失し、
1589年(天正17)に秀吉の命により現在地に再建されています。境内には織田信長の廟があります。
因みに、元の本能寺跡は我が小学校の所在地で、1869年(明治2)創設の本能小学校と称し、寺跡の中心地にありました。
左図の本能寺跡は織田信長が討たれた時に在った場所です。1869年(明治2)に
本能小学校が創設されています。筆者が小学生の頃に創立80周年式典が行われました。
小学校は1993年(平成5)に児童減少のため、廃校となりました。現在は堀川高校本能学舎、
介護施設などになっています。

現在の本能寺は寺町通に面し御池通の南側りにあります。
法華宗大本山として、長い歴史の中で、その所在地も変遷があり、現在地に移ったのは
1589年(天正17)に秀吉の命によるものです。

現在の本堂は1928年(昭和4)に再建されています。

境内には織田信長の廟や、信長公350年記念碑、浦上玉堂・春琴(江戸時代の画家)の廟、
信長と親交のあった当寺の日承上人の墓などがあります。



本能寺跡です。
角に「本能寺跡」の石碑があります。

建物は小学校跡に建てられた介護施設です。

画面にポインターを置くと石碑の拡大画面が
ご覧いただけます。
油小路側にある「本能校跡」の碑です。

両側の石柱は小学校にあったものです。

「大本山本能寺」です。
寺町通に面した総門です。

画面にポインターを置くと右寄りの部分
(日蓮上人の像)をご覧いただけます。
門を入ってすぐ右手にあるのが
「大寶殿」です。
何度も焼失を繰り返しながら、数多くの寺宝を
維持してきています。

今回拝観時には「本能寺と信長」展が
行われていました。
残念ながら展示品の撮影は禁止されています。
大寶殿一階の甲冑と鬼瓦の展示です。
2階が展示室で写真は撮れません。
 
本堂全景です。

内部には入れますが、写真撮影は禁じられています。
塔頭寺院(たっちゅうじいん)の並びです。

本能寺に給仕する子院のことです。
本堂の脇に7軒がつらなっています。
 
「信長公廟」です。
 
信長の墓地です。
信長公350年記念碑です。
江戸時代の画家浦上玉堂・春琴親子の墓です。
奥まった隅っこに「徳川家重夫人供養塔(手前)」
「菅中納言局庸子の石塔(中央)」
「島津義久夫人の石塔(奥)」が並んでいました。
本能寺の座主で信長との親交があった
日承上人の墓です。
天皇との繋がりを欲した信長が天皇の姻戚である
日承とのつながりを持ったと言われています。
 
本能寺の面している寺町通です。
現在はアーケード商店街になっています。
御池通の向かいには京都市役所があります。
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