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京都駅は七条通りと八条通りの間にあります。 この近辺で目立つのは駅前の京都タワーと東本願寺、西本願寺でしょう。 京都タワーは環境問題でその建設には賛否両論が有りましたが、 古都の雰囲気を壊さないようなデザインで建設することで住民の同意を得たようです。 本願寺は浄土真宗の本山ですが、色々ないきさつもあり西東に分かれ、 更には東京を本山とする東本願寺派も有って、我が家も真宗ながら何がどうなのか 自分的にはよくわからないままにお寺参りしています。基本的には本願寺派で、 いわゆる「お西」です。 2015年4月に中学の同窓会で京都へ行った際に西本願寺も参拝してきました。 随分長い間お参りしたことがありません。殆どおのぼりさんレベルの感じでした。 |
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西本願寺は通称で、正式名称は「龍谷山本願寺」です。宗教法人としての名称は「本願寺」となっています。 1272年(文永7)に親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されました。 その後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には1591年(天正19)豊臣秀吉の 寄進により大坂天満から移転したものです。 西本願寺は京都の世界遺産の一部に登録されています。 |
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伏見稲荷祭りには神幸祭と還幸祭があり、4月中旬に五基の神輿が稲荷本社より氏子町を巡って八条の 御旅所に入り、5月3日に御旅所から再び氏子町を練って本社に戻ります。 我が実家は祇園祭の南端で稲荷祭りの北端の通りにあり、昔は稲荷祭りの神輿巡行と祇園祭の山鉾巡行が ともに家の前を通っていました。現在は交通の問題で巡行のルートが変わり、狭い道路を巡行する凄さは なくなりました。稲荷祭りの神輿も日本最重量級の神輿で、昔は人が担いでいましたが、随分前からトラックに 乗って走るようになってしまいました。 我が家の店舗は祇園祭の北端の道路にあり、祇園祭の神輿巡行が家の前で見られました。 昔は京都の二大祭りを自宅で見られるという好条件も今では様変わりです。 |
2015年4月26日の朝、京都の宿泊先から 中学の同窓会の会場である京都駅へ向かう 途中で稲荷祭の行列に出会いました。 4月20日から最初の日曜日が稲荷祭の神幸祭 にあたります。 このひ、各氏子町内の人々が神輿を迎えに 出向き、この日の午後に神輿を町内で練った後、 八条御旅所へ届けるのだそうです。 「最近は神輿はトラックに乗せるのでしょ」と 尋ねたら、「基本的にはそうだけど、町内の 一部では担ぎ手が担ぐ」との事で、 ここに集まった皆さんはその担ぎ手なのだそうです。 |
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例年以上に人に集まって頂いてありがとうと 町内の役員さんらしき人が挨拶していました。 |
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お嬢さん達も法被姿で楽しそうです。 | |
お迎えのスタートです。 一番前をカチャカチヤと音のする 道具を掲げて歩きます。 |
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氏子町内の人達が歩いてきたところを西本願寺の 近くで遭遇しました。 |
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街中にある道祖神社には子供用の神輿が 準備されていました。 午後には子供たちが来て担ぐのだそうです。 還幸祭は5月3日で翌4日に後宮祭がおこなわれ 約2週間のお祭りが終わりとなります。 |
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京都タワーは1964年に完成しています。京都駅前に聳えています。 東本願寺は本願寺から分かれた浄土真宗大谷派の本山です。 東本願寺派火災が多く、現存の建物は殆どが明治期に再建されています。 |
京都タワーです。 昔はその姿が燭台に乗った ローソクの形と聞きましたが、 テレビのクイズ番組での正解は 海のない京都市の家並みの瓦を 海に見立てた灯台を形どったものと 言われびっくり仰天。 何時から変わっちゃたのでしょうねぇ。 インターネットで調べても灯台と なっており、京都人はキョトンと するのでは??? 1964年の完成で高さは131m、 京都市内で最も高い建造物です。 昔は実家の自分の部屋からも 見えましたが、現在は周辺の変貌で それも無理なようです。 |
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東本願寺の御影堂です。 奥に見えるのは 左手の大きい屋根は大寝殿、 その右手は参拝接待所です。 手前の建物は手洗い場です。 龍の口から水が出ています。 |
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旅行者が手を清めていました。 | ||||
北側にある東本願寺宗務所の 出版部です。 一般参拝者は入れません。 |
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ナマコ壁の続くのは 東本願寺の倉庫です。 北側になります。 |
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東側烏丸通に面した塀です。 有形文化財になっています。 画面の右手が玄関門になります。 左手には修理中の御影堂門が 見えます。 その上に覗いているのは 京都タワーです。 |
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菊門です。 1911年に大寝殿への表門として 建設されました。 有形文化財に指定されています。 |
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右手は修理中の御影堂門、 左手は阿弥陀堂門です。 |
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阿弥陀堂は修理中で内部へは 入れません。 阿弥陀像は御影堂に一時預かりと なっているそうです。 |
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東南角の塀です。 堀とのバランスが良く取れて いました。 |
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別項の東山地区でご紹介している大谷本廟です。 以下地域的には少し京都駅から離れますが、 大谷本廟の内部です。 京都では「西大谷さん」とよばれています。 浄土真宗本願寺派の霊場です。 |
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総門へ向かう途中にある円通橋です。 1856年の完成で両側の池を「皓月池」と 称しています。 |
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皓月池です。 色が薄いですが桜が咲き始めています。 紅葉の時期にも色づきます。 |
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裏から見た佛殿とその右に二天門です。 |
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上図左手に見える石柱で囲まれているのはこの石窟です。 親鸞がこの中で学問をした場所であると伝えられています。 現在は内部に石仏などが並べられています。 この石窟は1667年に書かれた書物の中にも紹介されています。 |
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一番奥にある明著堂です。 親鸞の墓所の前の拝堂です。1709年の建造です。 右端に少し見えているのは納骨用の無量壽堂です。 |
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西大谷の墓所を登ると清水寺に出ます。 桜がいくらか咲いていましたが、 3〜4分咲きと言ったところでしょうか。 |
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ただ、福島県の三春町枝垂桜(滝桜)の子桜である このエドヒガンザクラは既に満開の状態でした。 |
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