|
元のページへ戻る |
豊国神社の宝物館には豊国祭礼図屏風(重文)や辻与次郎作鉄燈籠(重文)など80点の、豊太閤にゆかりの宝物が 公開されています。秀吉公と桃山文化のかかわりの大きさを垣間見ることが出来ます。 展示品の中の太閤の歯は恐らく秀吉最後に残っていた歯だろうと言われており、この歯から秀吉の血液型はO型と判定されています。 |
与次郎作の「鉄燈籠」です。 秀吉の三回忌に当たる1600年(慶長5) 5月に豊国社に奉納されたものです。 作者の辻与次郎は京都三条釜座の 鋳物師で、利休好みの阿弥陀堂釜の 作者として知られています。 実家の玄関にも与次郎作の鉄燈籠が ありました。本物かどうか不明ですが、 本物なら重文級のお宝でしょう。 |
|
秀吉の印である千成瓢箪と鉄燈籠です。 入口を入ってすぐの所に並んでいます。 |
|
入って左手側に掛かっている 「豊国大明神」の掛け軸です。 1599年(慶長4)に秀吉は後陽成天皇 より、正一位の神階と豊国大明神の 神号を賜り、神として豊国社に祀られました。 この書は加藤清正の手によるもので、 明治になり豊国神社再興の際に奉納 されたようです。 |
|
展示物の一部です。 左は「田楽箱」、その右は弁当箱、 更にその右は夕顔の絵の平皿です。 平皿は野村徳庵の寄付です。 秀吉の時代の生活用品が並んでいます。 |
|
鉄製の釣り燈籠です。 その奥には秀吉自筆の書が 掛かっています。(下図) |
|
豊臣秀吉自筆の御詠歌とあります。 |
|
秀吉の肖像画と太刀です。 | |
狩野内膳の描いた「豊国祭礼図屏風」 六曲一双の内の左隻です。 重要文化財に指定されています。 秀吉の7回忌にあたる1604年(慶長9) 8月(旧暦)、豊国神社では8日間に わたって盛大な臨時大祭礼が催されました。 その様子を豊臣秀頼の命を受けた家臣・ 片桐且元が、豊臣家のお抱え絵師・ 狩野内膳に描かせたのがこの屏風です。 屏風は祭礼から2年後に神社に 奉納されました。 |
|
上図と対になる六曲一双の内の 右隻です。 |
|
元のページに戻る |