京都大原・三千院
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三千院は延暦年間(782〜806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まります。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となりました。
寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、
梶井宮と変りましたが、1871年(明治4)、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、
三千院と称されるようになりました。明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいます。
三千院の境内図です。
庭園や建物の外観は撮影可能ですが、
建物内部の写真は禁止されています。

御殿門から入ると、左手に受付があり、
ここで靴を脱いで入場します。
客殿から宸殿へと回り、宸殿で靴を履き、
往生極楽院、わらべ地蔵、弁財天、
金色不動堂を経て、一番奥の観音堂へ
向かいます。

その後、慈眼の庭から鎌倉石仏、おさな
六地蔵を見て、庭園を横切り朱雀門へと
出ます。

その後は御殿門へと戻ります。

紫陽花園はまだ開花の時期ではなく、
蕾のみでした。

三千院の玄関口である御殿門は、
高い石垣に囲まれ、門跡寺院に
ふさわしい風格をそなえた政所としての
城廓、城門を思わせる構えとなっています。

その石組みは城廓の石積み技術などで
名高い近江坂本の穴太衆(あのうしゅう)
という石工が積んだもので、自然石を
使った石組みは頑強でかつ美しく、
時を経ても崩れないといわれています。
書院から客殿への廊下に
内庭が設えてあります。


客殿への廊下から見る
「聚碧園(しゅうへきえん)」です。
客殿の庭になります。

客殿は下図のような建物です。写真は
資料からの拝借です。


客殿から見る「聚碧園」の東寄りの
部分です。

聚碧園は池泉観賞式庭園で、東部は
山畔を利用した上下二段式とし、南部は
円形とひょうたん形の池泉をむすんだ
池庭を形成しています。

江戸時代の茶人・金森宗和(かなもり
そうわ・1584〜1656)による修築と
伝えられています。
庭園の西側部分です。
瓢箪型の池です。
右奥は円形の池になります。
客殿東縁側から眺める「聚碧園」です。
「宸殿」です。

宸殿は三千院の最も重要な法要である
御懴法講(おせんぼうこう)を執り行う
ため、御所の紫宸殿を模して、1926年
(大正15)に建てられています。
宸殿の庭園「有清園(ゆうせいえん)」
越しに見る「往生極楽院」です。

この風景は紅葉の時期には三千院の
カバー写真に使われる場所です。
宸殿東縁側から眺める
「有清園」です。
左手に観音像があります。
(画面にポインターを置くと像の
拡大画像をご覧いただけます)

有清園は宸殿より往生極楽院を眺める
池泉回遊式庭園で、中国の六朝時代を
代表する詩人・謝霊運(しゃれいうん)の
「山水清音有(山水に清音有り」より
命名されたそうです。

「往生極楽院」です。

三千院の歴史の源とも言える簡素な
御堂です。平安時代に『往生要集』の
著者で天台浄土教の大成者である
恵心僧都源信が父母の菩提のため、
姉の安養尼とともに建立したと
伝えられます。

往生極楽院に祀られている阿弥陀
三尊像はお堂に比べて大きく、堂内に
納める工夫として、天井を舟底型に
折り上げていることが特徴です。
内部は写真撮影は禁止されています。
往生極楽院の側面の眺めです。
「わらべ地蔵」です。

庭園に子供のお地蔵さんが
あちこちに並んでいます。

夫々の表情が豊かで、心のなごむ
姿です。

下段は幾つかのお地蔵さんです。
木々の隙間から落ちる陽光が自然に
お地蔵さんを照らしており、あたかも
スポットライトを浴びているかのような
お姿です。

このお地蔵さまたちは、石彫刻家の
杉村孝氏の手によるものだそうです。
わらべ地蔵の傍にある「延命水」です。

金色水とも呼ばれ、この水で手を濡らすと
願いが叶うと言われています。

傍に弁財天があり、池は「弁天池」と
よばれ、その南端にあるのが延命水
です。
「妙音福寿大弁財天」の鳥居です。
この奥に弁財天が立っています。

画面にポインターを置くと
弁財天の拡大画像をご覧いただけます。

この弁財天は『京の七福神』のうちの
一つとなっており、そのほかの『京の
七福神』は恵美須(ゑびす神社)、
大黒天(妙円寺)、毘沙門天(毘沙門堂)、
布袋尊(長楽寺)、福禄寿(護浄院)、
寿老人(行願寺)です。
弁財天から観音堂へ抜ける途中に
「草木供養塔」が立っています。

草木塔は全国にあるそうです。

三千院の草木供養塔の説明文が
手前の石に刻まれていますが、
記録するのを忘れていました。
この供養塔の詳細は判りませんが、
境内の草木や建物を建てる際の
木材への供養なのでしょう。
金色不動堂です。

護摩祈祷を行う祈願道場として、1989年
(平成元)に建立されました。
本尊は、智証大師作と伝えられる
秘仏金色不動明王で、重要文化財に
指定されています。

「観音堂」です。

観音堂内には身丈3メートルの金色の
観音像が祀られており、御堂両側の
小観音堂には三千院と縁を結ばれた
方々の小観音像が安置されています。
「小観音堂」です。

三千院と縁を結ばれた方々が奉納された
観音像が並んでいます。

現在の奉納数は1万8千体ほどあります。

奉納した人の名前が段に刻まれています。
画面にポインターを置くと奉納された
観音像をご覧いただけます。
観音堂の北側にある
「二十五菩薩・慈眼の庭」です。

1998年(平成10)に建立された石庭・
二十五菩薩慈眼の庭は、補陀洛浄土を
模して二十五菩薩を配した庭園です。
菩薩に見立てた岩が配置されています。

境内の律川を渡る橋が架かっています。
橋を渡ると「石仏」があります。

この石仏は高さ2.25メートルの
単弁の蓮華座上に結跏跌座(けっかふざ)
する、定印阿弥陀如来です。
「欣求浄土(ごんぐじょうど)」を願った
念仏行者たちによって鎌倉時代に
作られたものだそうで、往時の浄土信仰を
物語る貴重な遺物となっています。

またこの場所は、昔、炭を焼き始めた
老翁が住んでいた「売炭翁旧跡」と
伝えられることから、この阿弥陀さまを
ここ大原では親しみをこめて、売炭翁石仏
と呼ぶようになったとのことです。
「おさな六地蔵」の並ぶ、律川沿いの
道です。

色々なお地蔵さまが並んでいます。
わらべ地蔵とは異なるお地蔵さまで、
夫々が違ったスタイル、持ち物の地蔵です。

この対のお地蔵さまは積まれた小石で
埋まっていました。
境内から見た「朱雀門」です。

往生極楽院の南側にある朱塗りの
小さな門で、その昔、極楽院を本堂と
していた頃の正門にあたります。
その様式は藤原期の様式とも言われて
いますが、江戸時代に再建されたものに
なります。

画面にポインターを置くと
外から眺めた朱雀門もご覧頂けます。
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