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京都北東部は国道367号線沿いの高野川に沿った 左京区の地区になります。 叡山電車八瀬駅から北方向の地区になり、八瀬・大原、 鞍馬・貴船地区が概ね、京都の北東部に位置します。 鞍馬・貴船方面には叡山電鉄が繋がっていますが、大原へは バス便しかありません。 比叡山の入口である八瀬までは叡山電鉄があり、比叡山山頂 まではケーブルカーが通じています。頂上には延暦寺があります。 大原の奥には花背地区があり、京都市の最北部になります。 中学生の頃には体育の時間に花背まで自製の竹スキーを担いで スキーをしに行ったものです。 戦争時には八瀬の百姓家に疎開していた時期もあります。 また、八瀬地区はマツタケ山も多い地区です。 2018年5月に中学の同期会参加の際、国際会館からバスで 大原地区へ出向きました. 2019年8月には法事の前日に貴船神社まで出向きました。 |
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大原女で有名な京都大原は京都市左京区北東部にある地名です。比叡山の北西麓、高野川上流部に 位置しています。大原盆地は四方を山に囲まれており、高野川に沿って国道367号(若狭街道)が通っています。 |
大原地区の拡大図です。 中心は国道367号から三千院方面へ 入った所で、道路沿いには土産物屋さん、 漬物屋さんがびっしり並んでいます。 367号は別名「鯖街道」とか、「若狭街道」 とも呼ばれ、滋賀県の若狭湾から鯖を京都まで 運んだ道で、琵琶湖の水運と並ぶ重要な 交通路でした。 2018年5月に大原バス停から三千院、実光院、 勝林院、宝泉院、来迎院、音無の滝を 訪れました。 さすが、寂光院までは足を延ばし切れませんでした。 若い頃は三千院と寂光院はセットで行く場所でした。 この地区を訪れるのは多分60年ぶりくらいで、 歩いていてもほとんど記憶に残っていません。 |
東京から京都へ向かう新幹線から 綺麗な富士山が見えました。 三島あたりからの富士山です。 |
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京都駅から地下鉄で京都国際会館へ でました。 駅前のバスターミナルの様子です。 ここからは京都産業大学行きのほか、 鞍馬方面、大原方面行きのバスが 出ています。 貴船方面へは下記ボタンから お入り頂けます。 |
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バスの車中から眺める 上高野近辺からの比叡山と高野川です。 前の鉄道高架は叡山電鉄です。 叡山電鉄八瀬からは比叡山への ケーブルカーが出ています。 |
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バスは高野川沿いの国道367号線を 走りますが、途中何か所かで、国道を 外れて、民家のある道路を通ります。 ここは、九頭竜大社近くの集落を通る 国道367号線の一筋西側の道路です。 左手に九頭竜大社が少し見えています。 |
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バスの大原終点から少し東方向へ 向かうと、この案内板に出会います。 三千院まで600m約10分です。 この通りは「大原女の小路」と 名付けられているようです。 |
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道端には灯籠やお地蔵さまが 祀られていたりします。 |
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ここは大原名産の赤紫蘇畑です。 柴漬けの原料です。 柴漬けは本来は紫葉漬けで 紫蘇で漬けた漬物の意味です。 昔は紺絣に手拭被りの大原女が 花や柴漬けを売って歩いたものです。 |
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大原女の小径にある 「女ひとり」の歌碑です。 京都大原三千院、恋に疲れた 女がひとり…・…。 永六輔の作詞、いずみたく作曲、 デュークエイセスが歌って大流行 した歌です。1965年の制作です。 最近の若い人は知らないかも。 |
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この通りにはお店が並んでいますが、 この様な大原女姿の人形なども 並べています。 |
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大原女の小径の側を流れる 「呂川(りょせん)」です。 呂川の源流は大原で、その後、 大原川、高野川、鴨川、淀川と 名前を変えて大阪湾に流れています。 三千院の北側には「律川(りつせん)」が あります。此の辺りを魚山と称し、 仏教音楽である声明の発祥地です。 声明の旋法に因んで「呂川」「律川」と 名付けられたそうです。 調子はずれを「呂律(ろれつ)が回らない」 と云うのもこの声明が起源になっている そうです。 画面にポインターを置くと 別角度からの呂川をご覧いただけます。 |
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大原女の小径を進むと、 三千院門跡の石碑が出ています。 この石段を登ると三千院の御殿門に でます。 三千院の境内内部詳細は 下記ボタンからお入り頂けます。 |
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三千院の門から北に向かうと 「律川(りつせん)」に出ます。 橋は「未明橋」です。 この橋を渡ると、右側に大原陵、 左手に実光院があります。 画面にポインターを置くと川の流れを ご覧いただけます。 |
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「後鳥羽天皇」(右)と「順徳天皇」(左) の大原陵です。 宮内庁の管轄区です。 右手には小振りな十三重塔があり、 左手は円丘が御陵になっています。 |
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御陵の前の通りです。 左手は「実光院」、正面は「勝林院」 です。 恐らく、紅葉の折には人出溢れている 場所でしょうが、新緑の今は閑静な 佇まいを味わうことが出来ます。 |
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「実光院」の入口の門です。 詳細は下記ボタンからお入り頂けます。 |
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「魚山大原寺勝林院(ぎょざんたいげんじ しょうりんいん)」です。 天台宗の寺院です。 慈覚大師(円仁)が唐から持ち帰った 法儀声明(ほうぎしょうみょう)の 道場として1013年(長和2)に創建され、 その後、天台声明の根本道場と なっています。 声明とはインドで始まったバラモンの 学問の一つですが、日本では仏を 讃える歌謡や経を読む音律として 広まりました。 平安末期に融通念仏の開祖・良忍に よって声明が大成されました。 勝林院は1186年(文治2)に天台宗の 顕真と浄土宗の法然が専修念仏について 論じた「大原問答」の場所でもあります。 |
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勝林院本堂です。 画面にポインターを置くと 本尊の「阿弥陀像」を ご覧いただけます。 阿弥陀像の正面に連なる紐は 本堂入口の手綱となり、 この手綱に触れるとご本尊に 触れたことになります。 |
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勝林院を左に抜けると 「宝泉院」の前に出ます。 |
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宝泉院の門です。 宝泉院の詳細は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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宝泉院から勝林院へ戻る道に 「法然上人腰掛け石」があります。 法然上人が勝林院へ来た時に 腰掛けて休んだ石だと言われています。 気を付けていないと通り過ぎてしまう そんな感じの石です。 |
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腰掛け石から三千院参道方向を 眺めています。 右手は実光院になります。 左手は法華堂です。 |
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「法華堂」です。 この法華堂は後鳥羽天皇の冥福を 祈り、1241年(仁治元)に建立 されました。その後、享保年間に類焼し、 1770年代(安永時代)に再建されて います。 ご本尊は普賢菩薩です。 |
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往きに渡った「未明橋」から 律川の下流方向を眺めています。 |
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三千院の入口をそのまま東に向かうと 「魚山・浄蓮華院」に出ます。 1098年(承徳2)、魚山声明の根本 道場として建立された融通念仏本堂で、 本尊は阿弥陀如来です。 ほかに不動明王、観世音菩薩、 地蔵菩薩が祀られています。 宿坊があり、一般客も宿泊できとの事。 画面にポインターを置くと 本堂の様子をご覧いただけます。 |
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淨蓮華院を更に東へ向かうと 「来迎院」に出ます。 魚山来迎院は天台宗の寺院で、 声明の修練道場として慈覚大師(円仁) が851〜854年(仁寿年間)に創建 しました。 本堂には藤原期の薬師、阿弥陀、釈迦 三尊像(重文)が安置されています。 来迎院の詳細は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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来迎院を更に東へ向かうと 上り坂を登った所に「音無の滝」が あります。 声明を大成したと言う良忍が、ここで 声明を唱えていると、声明の音律と 滝の音が融合して、水音が消えたと いわれ、音無の滝と称されるように なったそうです。 実際には確りした水音が聞こえます。 |
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音無の滝から大原バス停へ向かう 三千院の裏山に「勝手神社」が あります。 写真の左手は三千院の境内に なります。 創建には諸説あるようですが、 三千院の寺伝によると、平安時代後期 の1125年、良忍上人が声明道の守護神 として大和多武峰より勧請したとい われています。 |
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神社の参道にある「勝手大橋」です。 律川の支流に架かっています。 左手に見える滝は律川の堰です。 |
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勝手神社の境内です。 正面が本社で勝手明神が 祀られています。 画面にポインターを置くと 本社正面をご覧いただけます。 |
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バス停への戻り道ではほとんどの店が 16時閉店とかで閉まっていました。 ここの店はまだ開いていたので、 「紫蘇ソフトクリーム」を頂きました。 ほんのりと紫蘇の香りと味がします。 |
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