堺市の風景 
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堺市は大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市です。 大阪府内で人口・面積ともに第2の都市であり、
人口は83万人弱で、山梨県、佐賀県、福井県、徳島県、高知県、島根県、鳥取県の人口を上回っています。

「堺」の地名は平安時代には見られ、摂津国、河内国、和泉国の「境(さかい)」に発展したことによると言われています。
「境」、「左海」などとも表記されたようです。

古墳時代には、泉北丘陵を中心に須恵器の生産が行われており、奈良時代から平安時代まで生産が続いていました。
泉北ニュータウン周辺や信太山丘陵にかけて須恵器の窯跡などの遺跡が点在しており、「陶器」「釜室」などの地名が
現在に至っても残っています。
大和王権成立後は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)など大小100数基の百舌鳥古墳群が造られています。
これらの古墳群は堺市市役所高層館に設けれれている展望ロビーから眺めることができます。

また、堺市は茶人千利休や歌人与謝野晶子などの生誕地であり、市内には両人の名前の一字を付けた
「さかい利晶の杜」が設けられています。

商業の街であった堺市も、明治以降は紡績やレンガ工業を中心に工業都市化され、阪神工業地帯の一角を占めています。
堺市堺区南瓦町にある、堺市役所の
建物です。 手前が堺地方合同庁舎、
奥が市役所高層館(21階建)です。

堺市役所です。21階に展望ロビーが
設けられています。
市役所のエントランス部分です。

画面にポインターを置くと
左手の方もご覧頂けます。
エレベーターで21階まで直行します。

21階は展望ロビーと堺市に関連した
展示品も並べられています。

こちらは展望ロビーからの眺望です。

正面奥のグリーンベルト右寄りに
白い塔(平和塔)が立っているあたりが
大仙公園です。
市役所の東南方向になります。
この辺りは百舌鳥古墳群です。
上図の西より市役所の南東側に見える
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)です。
左手が緩い山成りの円で、右が方形です。

手前の鉄道は南海電鉄高野線です。

画面にポインターを置くと
市役所に掲げられていた仁徳天皇陵の
写真もご覧頂けます。
市役所から東南方向にはPL教団の
「大平和塔」が見えています。
市役所の東側には生駒連峰が続きます。
市役所の北東部の眺めです。

正面の茂みは「反正天皇陵」です。

その左側には「方違(ほうちがい)神社」があります。

二棟の高いビルは堺市駅前のマンションの
ようです。

奥の山並みは生駒山です。
堺市役所から北方向大阪難波方面の眺めです。

正面の高いビルは「あべのハルカス」です。
ハルカスの左手が難波になります。
北西の方向の眺めです。

左手の山は六甲山です。

西側、堺港方面の眺めです。

大阪湾の向こう神戸近辺も見えています。
南西方向の眺めです。

左手に淡路島も見られます。
市役所の前にある「なかしん商店街」です。

アーケード街の様子は画面にポインターを置くと
ご覧頂けます。
市役所前にあるパン屋さんに開店前から
人が並んでいます。
並んでいた人に「ここのパンは美味しいですか」
と聞いたら、「私も初めてだけど美味しいらしい」
とのことでした。

堺市市役所から数分の場所にある
「さかい利晶の杜」です。

千利休と茶の湯を歴史文化から解き明かす
「千利休茶の湯館」、歌人与謝野晶子の
作品世界とその生き方に触れる
「与謝野晶子記念館」、堺観光の基点となる
「観光案内展示室」などがあります。

今回は台風のため休館で特別に一部だけ
見せてもらえました。メインの場所は見られずです。

「さかい利晶の杜」の門前にある
与謝野晶子文学碑です。

文章は与謝野寛(鉄幹)と晶子夫婦が、
寛60歳の時(昭和8年)に書いた、お互いを
評価する文章を抜粋したものだそうです。
利晶の杜のロビーです。
この日は台風のため休館で、展示室の
入口もテープで閉められています。
ロビーの展示品については係の人が
説明してくれました。

堺ゆかりの人々が画面で順次出てきます。
別に掲示もありました。
画面にポインターを置くとご覧頂けます。
古い堺の街並みが模型にして展示されています。

利晶の杜のある宿院町近辺の戦前の街並みが
ジオラマで表現されています。
利晶の杜の二階から、向かいにある
「千利休屋敷跡」が見られます。
元の屋敷は千坪以上あったそうです。

ここには利休が椿の炭を底に沈めて水を清めた
と伝わる椿の井戸が残っています。
この井戸屋形は、利休ゆかりの大徳寺山門を
改修する際に、その廃材を使って建てられたもので、
間違いなく利休の時代の木材なのだそうです。

入口の造作は最近のものだそうです。
この日の昼食は「さかい利晶の杜」の会議室で、
お弁当でした。
このお弁当は「寿司 深瀬」の堺の名物穴子寿司で、
深瀬は出前専門で店では食べられないそうです。

利晶の杜の前の通りは「フェニックス通り」と称し、
フェニックスがずらりと植えられています。
阪神高速4号湾岸線で和歌山へ向かう途中に
見られる「龍女神の像」です。

1903年(明治36)第5回内国勧業博覧会の際に、
堺会場の東洋一を誇った大浜水族館前に
設置されました。博覧会終了後、水族館とともに
堺市が譲り受け、像は平和と繁栄のシンボルとして、
「乙姫さん」の愛称で親しまれましたが、
臨海工業地帯の建設や第2室戸台風の影響などで、
廃館となった水族館の解体とともに撤去されました。

2000年(平成12)に市制110周年記念に
復元されたものです。
高さ16mの台座の上に10mのブロンズ像が
立っています。

木製洋式灯台跡です。
現存する最古の木製洋式灯台のひとつとして、
国の史跡に指定されています。

阪神高速4号湾岸線の橋桁のかげにあり、
走行中の一瞬のチャンスでぼけてしまいましたが、
資料からの画像は画面にポインターを置くと
ご覧頂けます。

木製の六角形の灯台で、高さは11.3メートル。
1877年(明治10)に完成し、1968年(昭和43)
まで使用されていました。
1972年(昭和47)に国の史跡に指定されています。



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