三井寺(園城寺)
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園城寺(おんじょうじ)は、天台寺門宗の総本山です。
山号を「長等山(ながらさん)」と称します。

開基は大友与多王、本尊は弥勒菩薩です。
日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、
観音堂は西国三十三か所観音霊場の第14番札所
になっています。また、近江八景の1つである「三井の
晩鐘」でも知られています。
境内は金堂エリア、唐院エリア、観音堂エリアに分かれて
います。夫々の建物等については左図をご覧ください。

今回はAの仁王門から入り、C三井の晩鐘を撞いて、
D金堂(修理中)を抜け、E閼伽井屋(あかいや)から
F弁慶の引き摺り鐘を見てG一切経蔵に向かい、
そのごH唐院で智証大師坐像と黄不動尊立像を拝し、
K微妙寺へ抜け、L天台智者の像を見た後、一旦
Q総門へ出てしまい、あらためて長い階段を上って
M観音堂とN観月舞台を見て、浜大津へ出ました。
Iの勧学院は一般は入れません。Jの文化財収蔵庫は
時間の関係で、今回入りませんでした。

訪問時は智証大師生誕1200年祭で33年に一回しか
行わない御本尊開帳や一般にはめったに見られない
黄不動尊立像が拝観できました。

A.
仁王門(大門)と寺名石です。
1452年(ホウ徳)の建立と言われています。
1601年(慶長6)に徳川家康が甲賀の常楽寺
より移築、寄進したものだそうです。
国の重要文化財に指定されています。

B.
門を入ってすぐ右手にある釈迦堂(食堂)です。
中世寺院の食堂(じきどう)の様式を持って
います。

室町初期の建築で、国の重文に指定されて
います。
釈迦堂内にある弁財天です。
1683年(天和3)の建立です。
弁財天は延壽と財宝を得させてくれる
女神さまとして有名ですね。

C.
境内の左手にある「三井の晩鐘」のある
鐘楼です。
1602年(慶長7)の再建です。
宇治の平等院、高雄の神護寺とともに
日本三名鐘となっています。
「三井の晩鐘」の梵鐘です。
300円で一回撞かせてもらえます。

余韻の長いなかなかの鐘でした。
D.
金堂です。三井寺の総本堂になります。
本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰していた
霊像で秘仏になっています。
建物は1599年(慶長4)に豊臣秀吉の
北の政所により再建されたものです。
桃山時代を代表する建築物として国宝に
指定されています。

E.
金堂の横にある閼伽井屋です。
天智、天武、持統天皇が産湯に使ったという
泉がわいています。
この建屋は1600年の建立です。
屋内にはまだ泉が湧き出しています。
国の重文です。

建物の正面上に左甚五郎作の龍の彫刻が
あります。

下の写真は左甚五郎作の龍です。


閼伽井屋内にある泉です。
まだ、ぼこぼこと音を立てて水が
湧き出していました。

閼伽井屋とは元は仏前に供養する水を汲む
井戸のことです。
この井戸の水が天智、天武、持統天皇の産湯に
用いられたと伝えられています。

「御井の寺」が「三井寺」に転じたものです。
閼伽井屋の傍にある閼伽井石庭です。

日本最古の庭園とされています。
蓬莱山をかたどったもので、中央より
人、神仏、鶴、亀が配されていると
説明されています。
F.
霊鐘堂です。鐘は「弁慶の引き摺り鐘」の
伝説があります。奈良時代の梵鐘で、
俵の藤太が三上山のムカデ退治のお礼に
竜宮から持ち帰った鐘だと言う伝説もあります。
国の重文です。

手前のナベは「弁慶の汁鍋」と呼ばれています。
弁慶が三井寺の鐘を奪って延暦寺に持ち去った
おりに残していった鍋と伝えられています。
また、僧兵たちが使ったので「千僧鍋」とも
呼ばれています。

画面にポインターを置くと霊鐘の正面が
ご覧いただけます。
正面には弁慶が引き摺ったといわれる
傷跡が残されています。
G.
一切経蔵です。室町時代初期の建物です。
1602年(慶長7)に毛利輝元により山口県
国清寺より移築、寄進されたものです。
堂内には高麗版一切経を収める回転式の
八角輪蔵が設けられています。
国の重文です。
八角輪蔵です。其々の仕切りの中に
版木の一切経が納められています。

Ha.
唐院内にある三重塔です。
石垣の向こうが唐院になります。

この三重塔は園城寺塔婆と称し、
大和の比曽寺(現在は世尊寺)から
1601年(慶長6)に移設されたもので、
南北朝時代の建造物と言われています。
国指定の重要文化財です。

Hb.
唐院の灌頂堂です。
密教を伝承する道場です。

Hd.
唐院内にある長日護摩堂です。
後水尾天皇の祈願により建てられたもので、
唐院内の他の建物よりは後になって
建てられています。

潅頂堂と渡り廊下でつながっています。

県指定の重要文化財です。
Hc.
大師堂です。1599年の再建です。
智証大師の坐像2体(国宝)と黄不動尊立像
(重文)が祀られています。
智証大師の廟所となっています。
唐院と言う名前は智証大師が唐から持ち帰った
経典類を収めたことでつけられています。
黄不動は国宝の黄不動尊画像をもとに摸刻した
寄木造の立像です。写真は撮れませんので、
案内板の写真をご覧ください。

大師堂の境内です。
大師堂から眺める三重塔です。
唐院の前の通りから眺めた
園城寺金堂(本堂)です。
総門から入ってくるとこの道が正面参道に
なります。
唐院の正門から出た階段のある風景です。
これが唐院への参道になるのでしょう。
石垣と燈籠の趣きのある参道です。
K.
微妙寺です。
三井寺の五別所の一つで本尊は十一面観音。
湖国十一面観音霊場の第一番札所と
なっています。
本尊の十一面観音像は平安初期のもので、
国の重文です。

L:
微妙寺の傍にある
天台智者大師像です。
天台大師は538年中国荊州の生まれで
天台山で修業を積み、法華三昧を体得された。
智証大師は唐の天台山で修禅を行い、
この地に三井寺を開基されたもの。
天台大師千二百年遠忌に当たり、報恩謝徳の
意味からこの像が建てらたということです。
P:
行者堂です。像は役の行者です。
木造の不動明王は9世紀頃の作と言われて
います。

左手には立派な弁天堂もあります。
画面にポインターを置くと弁天堂が
ご覧いただけます。
総門から観音堂への石段です。
微妙寺から回れば最後の階段のみで
済んだのが、総門へ出てしまったので、
この階段を上ることになってしまいました。
M.
観音堂です。
西国三十三か所観音霊場の第十四番目札所
です。
本尊は如意輪観音(平安期作、重文)です。
建物は1689年の再建で県の重文です。

ご本尊は33年に一回のみ開帳されますが、
今回は智証大師生誕1200年記念行事で
拝観することが出来ました。


如意輪観音像は下記のような像です。

観音堂にある鐘楼です。
1814年(文化11)の建築です。
自由に鐘が撞けるようですが、
時間の関係で素通りとなりました。

N.
右は観月舞台です。左は百体堂です。
舞台は1849年の建立で、県の指定文化財です。
造りは下図のように懸崖つくりになっています。


百体堂は1753年の建立です。
O.
水観寺です。
三井寺五別所の一つです。
本尊は薬師如来です。

西国薬師霊場の第四十八番札所です。
建立は1655年(宝暦元年)です。

県の指定文化財です。

画面にポインターを置くと薬師如来像を
ご覧いただけます。
Q.
総門です。仁王門(大門)の南寄りに
あります。


三井寺の総門を出て東へ向かうと
三尾神社にでます。
その昔、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の
地主神となられたそうです。
この神は常に三つの腰帯をつけておられ、
その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひく
のに似ていたので三尾明神と名づけられました。

神紋は「真向きのうさぎ」となっています。
三尾明神が太古、卯の年、卯の月、卯の日、
卯の刻、卯の方より出現されたという言い伝え
により、昔から兎が神様のお使とされていて、
境内にはいろいろなウサギがいるようです。

時間の関係で境内をゆっくり見ることが
出来ませんでした。
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