|
元のページへ戻る |
園城寺(おんじょうじ)は、天台寺門宗の総本山です。 |
A. 仁王門(大門)と寺名石です。 1452年(ホウ徳)の建立と言われています。 1601年(慶長6)に徳川家康が甲賀の常楽寺 より移築、寄進したものだそうです。 国の重要文化財に指定されています。 |
|
B. 門を入ってすぐ右手にある釈迦堂(食堂)です。 中世寺院の食堂(じきどう)の様式を持って います。 室町初期の建築で、国の重文に指定されて います。 |
|
釈迦堂内にある弁財天です。 1683年(天和3)の建立です。 弁財天は延壽と財宝を得させてくれる 女神さまとして有名ですね。 |
|
C. 境内の左手にある「三井の晩鐘」のある 鐘楼です。 1602年(慶長7)の再建です。 宇治の平等院、高雄の神護寺とともに 日本三名鐘となっています。 |
|
「三井の晩鐘」の梵鐘です。 300円で一回撞かせてもらえます。 余韻の長いなかなかの鐘でした。 |
|
D. 金堂です。三井寺の総本堂になります。 本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰していた 霊像で秘仏になっています。 建物は1599年(慶長4)に豊臣秀吉の 北の政所により再建されたものです。 桃山時代を代表する建築物として国宝に 指定されています。 |
|
E. 金堂の横にある閼伽井屋です。 天智、天武、持統天皇が産湯に使ったという 泉がわいています。 この建屋は1600年の建立です。 屋内にはまだ泉が湧き出しています。 国の重文です。 建物の正面上に左甚五郎作の龍の彫刻が あります。 下の写真は左甚五郎作の龍です。 |
|
閼伽井屋内にある泉です。 まだ、ぼこぼこと音を立てて水が 湧き出していました。 閼伽井屋とは元は仏前に供養する水を汲む 井戸のことです。 この井戸の水が天智、天武、持統天皇の産湯に 用いられたと伝えられています。 「御井の寺」が「三井寺」に転じたものです。 |
|
閼伽井屋の傍にある閼伽井石庭です。 日本最古の庭園とされています。 蓬莱山をかたどったもので、中央より 人、神仏、鶴、亀が配されていると 説明されています。 |
|
F. 霊鐘堂です。鐘は「弁慶の引き摺り鐘」の 伝説があります。奈良時代の梵鐘で、 俵の藤太が三上山のムカデ退治のお礼に 竜宮から持ち帰った鐘だと言う伝説もあります。 国の重文です。 手前のナベは「弁慶の汁鍋」と呼ばれています。 弁慶が三井寺の鐘を奪って延暦寺に持ち去った おりに残していった鍋と伝えられています。 また、僧兵たちが使ったので「千僧鍋」とも 呼ばれています。 画面にポインターを置くと霊鐘の正面が ご覧いただけます。 正面には弁慶が引き摺ったといわれる 傷跡が残されています。 |
|
G. 一切経蔵です。室町時代初期の建物です。 1602年(慶長7)に毛利輝元により山口県 国清寺より移築、寄進されたものです。 堂内には高麗版一切経を収める回転式の 八角輪蔵が設けられています。 国の重文です。 |
|
八角輪蔵です。其々の仕切りの中に 版木の一切経が納められています。 |
|
Ha. 唐院内にある三重塔です。 石垣の向こうが唐院になります。 この三重塔は園城寺塔婆と称し、 大和の比曽寺(現在は世尊寺)から 1601年(慶長6)に移設されたもので、 南北朝時代の建造物と言われています。 国指定の重要文化財です。 |
|
Hb. 唐院の灌頂堂です。 密教を伝承する道場です。 |
|
Hd. 唐院内にある長日護摩堂です。 後水尾天皇の祈願により建てられたもので、 唐院内の他の建物よりは後になって 建てられています。 潅頂堂と渡り廊下でつながっています。 県指定の重要文化財です。 |
|
Hc. 大師堂です。1599年の再建です。 智証大師の坐像2体(国宝)と黄不動尊立像 (重文)が祀られています。 智証大師の廟所となっています。 唐院と言う名前は智証大師が唐から持ち帰った 経典類を収めたことでつけられています。 黄不動は国宝の黄不動尊画像をもとに摸刻した 寄木造の立像です。写真は撮れませんので、 案内板の写真をご覧ください。 |
|
大師堂の境内です。 | |
大師堂から眺める三重塔です。 | |
唐院の前の通りから眺めた 園城寺金堂(本堂)です。 総門から入ってくるとこの道が正面参道に なります。 |
|
唐院の正門から出た階段のある風景です。 これが唐院への参道になるのでしょう。 石垣と燈籠の趣きのある参道です。 |
|
K. 微妙寺です。 三井寺の五別所の一つで本尊は十一面観音。 湖国十一面観音霊場の第一番札所と なっています。 本尊の十一面観音像は平安初期のもので、 国の重文です。 |
|
L: 微妙寺の傍にある 天台智者大師像です。 天台大師は538年中国荊州の生まれで 天台山で修業を積み、法華三昧を体得された。 智証大師は唐の天台山で修禅を行い、 この地に三井寺を開基されたもの。 天台大師千二百年遠忌に当たり、報恩謝徳の 意味からこの像が建てらたということです。 |
|
P: 行者堂です。像は役の行者です。 木造の不動明王は9世紀頃の作と言われて います。 左手には立派な弁天堂もあります。 画面にポインターを置くと弁天堂が ご覧いただけます。 |
|
総門から観音堂への石段です。 微妙寺から回れば最後の階段のみで 済んだのが、総門へ出てしまったので、 この階段を上ることになってしまいました。 |
|
M. 観音堂です。 西国三十三か所観音霊場の第十四番目札所 です。 本尊は如意輪観音(平安期作、重文)です。 建物は1689年の再建で県の重文です。 ご本尊は33年に一回のみ開帳されますが、 今回は智証大師生誕1200年記念行事で 拝観することが出来ました。 如意輪観音像は下記のような像です。 |
|
観音堂にある鐘楼です。 1814年(文化11)の建築です。 自由に鐘が撞けるようですが、 時間の関係で素通りとなりました。 |
|
N. 右は観月舞台です。左は百体堂です。 舞台は1849年の建立で、県の指定文化財です。 造りは下図のように懸崖つくりになっています。 百体堂は1753年の建立です。 |
|
O. 水観寺です。 三井寺五別所の一つです。 本尊は薬師如来です。 西国薬師霊場の第四十八番札所です。 建立は1655年(宝暦元年)です。 県の指定文化財です。 画面にポインターを置くと薬師如来像を ご覧いただけます。 |
|
Q. 総門です。仁王門(大門)の南寄りに あります。 |
|
三井寺の総門を出て東へ向かうと 三尾神社にでます。 その昔、伊弉諾尊がこの地に降りられ長等山の 地主神となられたそうです。 この神は常に三つの腰帯をつけておられ、 その色は赤・白・黒その形は三つの尾をひく のに似ていたので三尾明神と名づけられました。 神紋は「真向きのうさぎ」となっています。 三尾明神が太古、卯の年、卯の月、卯の日、 卯の刻、卯の方より出現されたという言い伝え により、昔から兎が神様のお使とされていて、 境内にはいろいろなウサギがいるようです。 時間の関係で境内をゆっくり見ることが 出来ませんでした。 |
|
元のページへ戻る |