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日本の風景 |
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滋賀県は日本最大の湖、琵琶湖をその中心に擁する県です。旧国名は「近江国(江州)」でした。 現在の滋賀は大津が属していた滋賀郡から採られたようです。県の面積の内1/6は琵琶湖で占められ ています。滋賀県の人にとっては琵琶湖は生活の拠り所でもあります。京都、三重、岐阜、福井に囲まれ、 海には接していません。地域的には近畿圏ですが、隣県の関係で東海北陸との関係も強いようです。 |
京都生まれだけに社会人になるまでは滋賀県には良く行きました。 安曇町、マキノ町、青柳村(いずれも現在高島市)、長浜市の南浜などは戦前戦後の 食糧探しに父親に付いて行ったものです。時には牛小屋の二階に泊めてもらったりもしました。 食べられれば泊まるところなどどんなところでも楽園だったのでしょう。 南浜は実家に来ていたお手伝いさんの故郷で、湖岸に水泳場もあり、 夏休みなどは子供だけがここで過ごしたものです。 大津市の瀬田川にある南郷洗堰などは魚を釣りに行きました。京都から電車に乗って 魚を釣るだけに出かけたものですが、景色のよい場所でした。 今回訪問時、通り過ぎるだけでよく見ずじまいで悔やんでいます。 青柳村には高校の宿泊施設が有ったので、家族や仲間と泳ぎに行きました。 兄が高校OBで、小学生のころからよく行ったものです。自分がOBになってからは 殆ど行く機会がなくなりました。今はどうなっているのでしょうかね。 滋賀県の町村は1950年代に大幅な町村合併があり、2010年までにほとんどの町村は 市に併合され、左図でもわかるように3郡6町を残すのみとなっています。 戦国時代の浅井長政や蒲生氏郷、藤堂高虎なども近江出身で、徳川時代の井伊直弼も 近江生まれです。 また、近江は商人の町でもあり、伊藤忠・丸紅の創始者伊藤忠兵衛を始め多くの大商人 を輩出しています。 2014年10月に神戸での大学の同窓会参加を利用して滋賀県の一部を回ってきました。 |
大津市 | 彦根市 |
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大津市は滋賀県の県庁所在地です。天智天皇が近江大津宮に遷都して以来1300年以上の歴史を持つ古都で、 太平洋戦争時の戦災も少なかったことから、延暦寺、円城寺(三井寺)、日吉大社、石山寺などの古社寺をはじめ 多くの国宝、重要文化財建築物や史跡が所在しています。 |
大津へは米原でレンタカーを借りて彦根城経由、名神高速道路で石山寺へ出て、 そのご、浜大津を通り、琵琶湖大橋の手前にある満月寺浮御堂へ出ました。 浮御堂から元へ戻り、坂本で日吉大社へと向かいました。すでに、日が落ちて大社は 閉門されていましたが、一回り見た後大津市内のホテルへ投宿。 翌日に京阪電鉄坂本線で浜大津から近江神宮に出て、見学後再び京阪電車に乗車、 三井寺前から徒歩で三井寺を訪れました。 三井寺からは徒歩で浜大津まで出て、更にJR大津駅まで歩き、大津駅からJR東海道線で 大阪へ出ました。 久し振りの大津市内は京阪電車大津線や坂本線は変わりないですが、昔に比べて静かな町に なったような気がします。人が少なくなったためでしょうか。 延暦寺は今回行けませんでしたが、過去に何度も訪れた寺院で、古い写真を探してみましたが 見つけられませんでした。 |
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真言宗石山寺は、山号を石光山、寺号を石山寺と言い、大津の南端、清流瀬田川の畔、伽藍山の麓に位置しています。 西国第十三番の札所であり、奈良時代からの最古の歴史と伝統を持つ霊山です。 「源氏物語」の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承があり、本堂には紫式部が構想を練る部屋が 置かれています。 |
境内の案内図です。 番号は写真の 番号です。 境内は大きく、 今回は紫式部 関連場所は スキップしました。 花の季節に 来たいものです。 |
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近江八景の一つ「堅田の落雁」で知られる景勝地で、臨済宗大徳寺派満月寺といい、寺伝によれば、 平安時代に恵心僧都源信が湖上安全と衆生済度のために、建立したとされています。 現在のお堂は1937年(昭和12)に再建されたもので、阿弥陀仏一千体を安置して「千体仏」と称しています。 浮御堂は数々の有名人が訪れており、一休和尚、蓮如上人、芭蕉、一茶、広重、北斎などが浮御堂に関わる 詩歌、俳句、絵画を数多く残しています。 浮御堂の写真は大津市や滋賀県の観光案内などにも沢山引用されています。 |
満月寺の入り口です。 門の形は臨済宗のものです。 既に10月下旬の午後5時近くで 夕陽を浴びていました。 |
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浮御堂です。 1937年(昭和12)に再建されています。 |
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浮御堂の正面です。 | |
浮御堂の掲額です。 湖に面した方に掲げられています。 |
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御堂の中に祀られている 千体阿弥陀像です。 後ろの壁にもずらりと並んでいます。 |
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御堂の北東方向の眺望です。 奥にびわ湖大橋が眺められ、 手前には水中句碑が見られます。 水中句碑は1952年に地元の俳人たちで つくる「堅田ホトトギス会」が建てたもので、 高さ約1・5メートルの石製で、明治期の 俳人高浜虚子の句「湖も この辺にして 鳥渡る」が刻まれています。 2012年に水上スクータに衝突され 破壊されましたが、2014年9月に 元の碑を修復することで再建されました。 |
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びわ湖の東南岸野洲方向です。 近江富士と呼ばれる三上山(432m)が 正面に見えます。 俵藤太(藤原秀郷)による大ムカデ 退治伝説でも有名で、別名ムカデ山 とも呼ばれています。 |
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浮御堂から見るびわ湖の南西方向です。 膳所、大津方面になります。 |
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境内にある芭蕉の句碑です。 元禄4年8月16日に、十六夜の月の光を 「鎖(じょう)明けて 月さし入れよ 浮み堂」 と詠んでいます。 1795年(寛政七年)中秋の建立で 芭蕉没後百年記念として堅田社中が 建てたとの事です。 |
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聖観音堂です。 | |
聖観音座像(中央)は平安時代前期の 貞観時代に作られた木彫りの仏像です。 重要文化財に指定されています。 開帳はされておらず、写真だけで実物は 見られません。 両脇に十一面観音像と薬師如来像が 配されています。 |
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比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀され、全国3800余の 日吉・日枝・山王神社の総本宮です。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたる ことから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは 天台宗の護法神として今日に至っています。今回訪問時は夕刻5時過ぎで、既に閉門となっていました。。 |
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大津観光の玄関口. 浜大津駅は大津の玄関口となる駅で、京阪電鉄京津線と石山坂本線との 接続駅になっています。 近くには大津港もあります。駅は路面電車の駅なので、道路沿いに駅構内に入って、路面電車の駅に降りるようになります。 京都から大津へ出るには京阪電車を利用するケースが多いので、子供のころから浜大津の方はJR駅よりなじみがあります。 |
浜大津駅です。 路面電車の駅なので、懐かしい気が します。 |
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駅の構内から湖の方向へデッキが 張り出されています。 |
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デッキから見るびわ湖です。 大津港になります。 左手にはヨットハーバーが有ります。 |
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京阪電車京津線が路面走行中です。 この電車は大津〜京都間を走ります。 土曜日の朝と言うことで大津の街中も 静かなものでした。 |
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こちらは坂本線を走る電車です。 人気アニメの描かれた車両は 結構走っていました。 |
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近江神宮駅から見た線路です。 この辺りは路面ではなく、専用線路が 敷設されていて、駅もプラットホームに なっています。 路面部分では島型の駅になります。 |
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土曜日の朝の始発電車は空いていました。 |
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第38代天智天皇を祀る近江神宮は、天智天皇の古都、近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社で、 琵琶湖西岸の山裾に位置しています。旧官幣大社・勅祭社であり、社殿は近江造り、昭和造りといわれ、 昭和の神社建築の代表として登録有形文化財となっています。神社は皇紀2600年(1940)に創祀されました。 |
近江神宮の周辺部は天智天皇が近江大津宮を設け、飛鳥京より遷都した場所です。 また、終戦後の1945年(昭和20)には戦後復興を祭神天智天皇に祈願した昭和天皇の 勅旨により、勅祭社になっています。 天智天皇が日本で初めて漏刻(水時計)を設置したことから、境内には漏刻を模した 水時計や日時計などが設置され、時計館宝物館もあります。京阪電鉄近江神宮駅から 徒歩で10分くらいの場所になります。途中には近江大津宮遺跡があちこちにあります。 境内には多くの歌碑、句碑が並んでいます。 左図の番号は@芭蕉句碑、A天智天皇御製碑、B横井時常歌碑、C平田貫一歌碑、 D歌川進他歌碑、E保田與重郎歌碑、F春日真木子歌碑、G伊藤香舟女句碑、 H桂樟渓子句碑、I高市黒人歌碑、J柿本人麻呂歌碑、K吟友の碑 となっています。 全て歌碑、句碑の所在説明です。多すぎてじっくりと見てきませんでした。 Aの碑文はかるたの一番目「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみ我が衣では露に濡れつつ」 が刻まれています。 土曜日の朝早めということで、参拝者は少なく、ジョギングなどをしている人がいました。 |
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三井寺は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。 平安時代、第五代天台座主・ 智証大師円珍和尚の卓越した個性によって天台別院 として中興され、以来一千百余年にわたってその教法を今日に 伝えてきました。国宝10件(64点) ・重要文化財42件(720点) の国指定文化財が示すように、質の高さは全国でも 屈指のもので、お寺の規模も予想以上に大きいものです。三井寺の名前の起源は別途説明しています。 |
表通りから三井寺の山門を眺めています。 今回訪問時は智証大師生誕1200年に あたり、秘仏の公開などが行われていました。 三井寺は天台宗総本山園城寺(おんじょうじ)と 称し、日本四箇大寺の一つに数えられています。 三井寺と呼ばれるのは天智、天武、持統天皇の 産湯に用いた霊泉があり、「御井の寺」と 呼ばれていたことから転じて「三井寺」と なったそうです。 |
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仁王門です。国の重要文化財に登録されて います。 秋色の広がり始めたころなので、幾らか色付き、 良い雰囲気です。 子供の頃に訪れて以来なので、思っていたより 広いお寺でした。 |
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三井の晩鐘として有名な鐘です。 300円払うと一突きさせてもらえます。 当然、撞いてきました。 余韻の長い良い鐘でした。 三井寺の詳細は下記のボタンからお入り 頂けます。 |
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