日本の風景     
 トップ   京都  奈良  大阪   兵庫   滋賀   和歌山
  
吉野町 桜井市 西ノ京 橿原市
奈良県は紀伊半島の中央部の
内陸に位置しています。関西では滋賀県と
ともに海のない県となります。
県の3分の2は山林地帯の吉野郡が占め、
この地帯は古くから山岳信仰の霊地として
信仰を集めています。
3〜4世紀の古墳時代にヤマト王権が
成立し、ほぼ日本全体を掌握したようです。
大和、飛鳥、藤原京をへて、710年に平城京
遷都が行われ、奈良時代の始まりと
なっています。
奈良市内に寺社仏閣が多数残っているほか、
橿原市には橿原神宮、桜井市には長谷寺、
明日香市には飛鳥時代の古墳群なども
あり、また、吉野町には千本桜で有名な
吉野山が有ります。
世界遺産は法隆寺をはじめ奈良市内の
神社仏閣、紀伊山地に広がる吉野山が
夫々指定登録されています。
春の桜、秋の紅葉ともに素晴らしく、
京都とともに観光シーズンは人で
溢れかえる場所です。
吉野町は吉野郡の北端にあり、吉野・大峰霊場の中心で、大峰奥駈道の
中核を形成しています。特に、吉野の千本桜は有名です。
平成24年4月に訪れました。
4月11日の吉野山は
まだまだ桜には早く
下千本がやっと
咲き始めた状態
でした。
雨模様の吉野山は
鮮やかさには欠け
ましたが、情緒は
十分でした。

金峯山寺へ向かう
参道からの
下千本の眺望です。
黒門です。
金峯山寺への総門と
なっています。
高麗門の様式です。
昭和60年に再建されて
います。

この日は雨模様。
平日の午前中で
この行列。
歩くのに一苦労
させられます。
参道にある銅の鳥居
です。
この鳥居の建立年代は
不詳ですが、奈良の大仏
が鋳造された際の
残りの銅で作られたと
言われています。
大峰山頂までに門が
三つあり、この鳥居は
「発心門」と呼ばれる
第一の門だそうです。
重文に指定されています。

ポインターを画面に置くと
反対側からの
鳥居がご覧いただけます。
金峯山寺の仁王門です。
創立は不詳ですが、
上層部は康正年間、下層部
は南北朝と言われています。
昭和25年に修復されて
います。
国宝に指定されています。
高さは20.3mあります。

お店屋さんを通り抜けると
目の前に現れます。

ポインターを画面に置くと
仁王門と蔵王堂の位置関係を
ご覧頂けます。
金峯山寺蔵王堂です。
修験道の根本道場です。
役の行者が開祖で1592年に
再建されています。
本尊は金剛蔵王権現で3体が
祀られ、釈迦如来、観世音菩薩、
弥勒菩薩の権現と
されています。
重層入母屋造りで高さ33.9m、
木造建築としては東大寺に次ぐ
規模となっています。
国宝です。

吉野朝宮跡に立つ
南朝妙法殿です。
昭和38年に建立されました。
木造釈迦如来像が本尊で
重文に指定されています。
この辺りは南朝の4代天皇
(後醍醐、後村上、長慶、
後亀山)が57年間にわたり
政権回復を図った場所です。

霧雨に煙る中に咲く桜は
後醍醐天皇の無念を伝える
がごとき眺めでした。
蔵王堂から500m位の
ところにある東南院の
しだれ桜です。
開祖は役の行者です。

ポインターを画面に置くと
多宝塔がご覧いただけます。
「櫻花壇」は文芸の宿と称し
谷崎潤一郎、吉川英治、小林
秀雄、今日出海、山本健吉、
内田康雄などなど、多くの文人
が宿泊しています。
昭和天皇も吉野巡行の際に
この宿に泊まったそうです。

ただ、眺めて通り過ぎました。
客室からの中千本の桜が
綺麗だと言われていますが、
未確認情報です。
竹林院です。
当初は聖徳太子の開創で
椿山寺と称され、空海により
常泉寺と改名、1385年に
竹林院と改められたそうです。
左の屋根部分が本堂。正面
右寄りは宿坊になっています。
ここの庭園は大和三庭園の
1つで「群芳園」と称され、
回遊式庭園で、千利休の作、
細川幽斎の改築と伝えられて
います。
庭園内のしだれ桜です。
庭園の泉水部分です。
この池の石は七五三の
組合せになっています。
上千本は全く花が有りません。
当然奥千本も同じ状態。
桜は諦め、吉野山歩きに
変更しました。
吉野山の谷間に湧き上がる
雲が桜の花の代わりに
なりました。
蔵王堂を谷越えに眺める
桜の枝もまだ蕾すら
色付いていませんでした。
谷間の中千本は幾らか
花が付いていました。
如意輪寺は浄土宗の寺で、
塔尾山椿花院如意輪寺と
称され、延喜年間(901〜923)
の建立で、後醍醐天皇の
勅願寺と定められました。
正平2年(1346)に楠正行が
四条畷の戦いに出陣する際
「かえらじと かねて
おもへば梓弓 なき数に入る
名をぞとどむる」と鏃で彫った
本堂の扉が宝物殿に残されて
います。



正面石段の奥には
後醍醐天皇陵があります。
後醍醐天皇御霊殿です。
今回行った折には
後醍醐天皇自ら彫ったと言う
自身像が公開されていました。
本人に最も似ていると言われて
いるようです。

ポインターを画面に置くと
彫像がご覧いただけます。
如意輪寺多宝塔と桜
如意輪寺遠景と中千本です。
雨に煙る吉野川と吉野町です。
バスガイドの話では
2〜3日前まではこの辺りの
桜も全く開花していなかった、
とのことで、この日は沿道も
結構咲いていました。
多分翌週は吉野の山も満開に
なっていたことでしょう。

奈良トップへ
奈良県の中央部吉野町に接する桜井市は元はヤマト王権の中心地であったと思われます。
古墳や寺社が多く、この地で産する三輪そうめんは全国区の商品となっています。
もっとも有名なのは長谷寺総本山でしょう。
長谷寺の入口です。
長谷寺と呼ばれる寺は
鎌倉の長谷寺など240寺程
ありますが、ここは真言宗
豊山派総本山です。
創建は8世紀頃と思われますが
詳細は不明のようです。
平成24年4月に訪れましたが、
桜はやっと開花した状態。
門前のしだれ桜は満開でした。

団体のツアーに参加したので、
時間制限があり、ゆっくりとは
見られませんでしたが、
時間一杯歩きまわりました。
お陰でバスに戻ったのは出発
5分前、最後から2番目でした。

仁王門です。
重文に指定されています。
仁王門をはいるとすぐに
登廊があります。
下、中、上の3段階あり、
399段の階段になります。
いずれの登廊も重文に
なっています。
登廊の外観です。
長谷寺は牡丹の方が有名で
5月頃には牡丹祭りも
あるようです。
勿論、この時期はご覧のように
葉っぱも少ししか出ていません
でした。
これだけの数が有れば
花の時期には素晴らしい
景観だろうと思われました。
本堂正面です。
727年に伽藍が造営され、
現在の建物は徳川家光が
寄進したものです。
国宝になっています。
この正堂に本尊の十一面観音
立像(重文)があり、公開されて
いました。
通常は非公開だそうです。
拝観料1千円を納めて
拝んできました。写真撮影は
禁止されていました。

観音像の足元は祈願のため
触れることが許されていました。
そのため、足だけがつるつるに
光っていました。
元は金箔だったそうですが、
漆塗りになっていました。
本堂の礼堂は清水寺と同じ
懸崖造りの舞台になって
います。

本堂の相の間です。
右は正堂、左が礼堂に
なっています。
普段は右側の正堂は
公開されていませんが、
今回行った時には期限付きで
一般公開していました。
菩薩立像は高さ10.18m、
当初のものは733年に行基が
開眼したと伝えられています。
現在の像は1537年に再造
されています。
礼堂の舞台から見た
長谷寺の全景です。
右下から中央へ延びて
いる屋根が下登廊で
その先の屋根が仁王門。
中央奥に見える建物は
本坊です。
本堂正堂の西側からの
眺めです。
右の方が礼堂で舞台は更に
右手に有ります。
本堂から五重塔へ向かう
途中にある
弘法大師御影堂です。
五重塔は最初にたてられた
三重塔の跡地に昭和28年
戦後最初の五重塔として
建造されました。
手前本長谷寺と五重塔です。
本長谷寺は686年道明上人が
ここに精舎を建立し、
これが長谷寺の草創となるので
本長谷寺と称しています。
五重塔の向こうに当時に
建てられた三重塔跡が
あります。
この辺りは桜もそこそこ咲いて
いました。
五重塔から見た本堂礼堂
(舞台)の眺めです。
正面入母屋造りになって
います。
六角堂の先に有った
枝垂れ桜はほぼ満開
でした。
奈良トップへ