彦根市
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彦根では鎌倉時代に佐和山城が築城され、その後、城主はいろいろと変わり、
1590年には石田三成がここを居城とし大改修を行いました。
1600年の関ヶ原の戦いでこの城も落城し、徳川譜代大名の井伊家の知行する
ところとなり、1606年に井伊直継が彦根城を築城し、佐和山城は廃城となりました。

湖に面した山に築城された彦根城を中核として彦根藩が置かれました。彦根藩および
彦根城は、西日本の外様大名に睨みを利かせるきわめて重要な役割を担なっていました。
さらなる前線に位置して同じ任を担った姫路藩の姫路城とともに、両藩と2つの城は
外様大名の謀反も受けず、攻められること無く、太平の世に存在し続けました。
そのような彦根藩のお膝元にあって、大藩がひしめく京都周辺でも有数の城下町として
彦根は発達を見せてきました。

滋賀県設置の際の県庁所在地として大津市が西寄り過ぎるとして彦根市もその候補に
上げられていました。最終的には大津市が県庁所在地となっています。

市制施行の際は大津市についで二番目の人口を容する都市でしたが、平成の大合併後は
滋賀県内の5番目の都市となりました。
彦根市は大規模な都市空襲を受けなかったことから近世以来の城下町や宿場町町並みが
比較的保存されており、2009年には第1回歴史街づくり法(国交省)に認定されています。

ゆるキャラの「ひこにゃん」が全国的にも有名になっています。また、近江商人の流れを引く
近江高商~滋賀大学経済学部は彦根城の傍にあります。
彦根城
江時代初期(1606年)、現在の彦根市金亀町にある彦根山に、井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)です。
山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)とも言われています。
譜代大名井伊氏14代の居城です。
彦根城の案内図です。
お城へ入るには3か所の入口が有ります。
メインは佐和口です。京橋は大手門橋に繋がり
ますが、なんとなく裏門の感じです。
黒門橋は東側の入り口になりますが、天守から
玄宮園へのルートでしょう。

今回は佐和口から車で入り、二の丸の駐車場から
表門橋を渡って城内に入りました。彦根城博物館は
閉館中で内部は見られませんでした。

表門参道から天秤櫓へ出て時報鐘を見て、
太鼓門櫓を通り、本丸へ出ました。
天守閣へ登った後は西の丸から三重櫓へ向かい、
内部を見て山崎山道経由で黒門に出ました。

楽々園と玄宮園を見て直弼像から佐和口より開国
記念館を眺め、埋木舎まで歩きました。

池田屋敷と護国神社はスキップして佐和口多聞櫓を
眺めつつ、二の丸に戻ってお城とお別れして大津へと
向いました。1時間強で回りましたがじっくり見るには
やはり3時間は必要でした。

写真の掲載順序は歩いたルートとは異なっています。
彦根城佐和口にある開国記念館です。
1960年(昭和35)に井伊直弼の没後100年を
記念する事業として、彦根市民の浄財によって、
彦根城の佐和口多聞櫓を再現したものです。
左手は二の丸佐和口多聞楼です。
中堀にある4つの入り口の一つで
登城道の正面に位置しています。

かってはここに高麗門があったそうです。
門を入ったところを鈎の手に曲げてあります。

右手は開国記念館になります。
佐和口門を入ったところから眺める
天秤櫓です。手前は彦根城博物館に
なります。
彦根城博物館です。江戸時代まで彦根藩の
政庁を司っていた表御殿を、彦根市の
市政50周年を記念して、1987年2月に開館
しました。
今回訪れた際は休館中との事で内部は
見られませんでした。
2014年10月~2015年5月まで改修工事が
行われるようです。
天秤櫓です。国指定の重文です。
天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する
要(かなめ)の位置に築かれた櫓です。
この櫓は、上から見ると「コ」の字形をしており、
両隅に2階建ての櫓を設けて中央に門が開く
構造となっています。あたかも両端に荷物を
下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の
名があるそうです。
表門参道から坂を一回りして左手の橋のから
建物に入ります。

この石垣は築城当時のままの牛蒡積みに
なっています。橋の向こう側の石垣は
1854年(嘉永7)の大修理の際に組み替えられ
落し積みになっています。
表門参道から眺める天秤櫓です。
直接門には入れず、石垣の周りを
ぐるぐると廻されます。
この橋を渡らないと本丸には入れません。
守備を考えた作りになっているのでしょう。
この様式の門は彦根城だけのスタイルだ
そうです。

左の石垣は上述の切り石の落し積みです。
天秤櫓からの眺望です。
彦根市西方向を眺めています。
奥は琵琶湖になります。
天秤櫓から眺める彦根城博物館です。
奥は彦根市の東南方向です。
右奥の赤い鉄橋は国道518号線です。
東海道線が下を走っています。右端が
彦根駅になります。
城内にある「時報鐘」です。
元は鐘の丸にあったそうですが、鐘の音が
城全体に響くようにとこの場所に移された
そうです。
12代藩主井伊直亮の1844年に鋳造
されています。現在でも6,9,12,15,18時の
一日5回撞かれています。
滞在中には残念ながら鐘の音を聞く機会には
恵まれませんでした。
太鼓門櫓と続き櫓です。
本丸を固める櫓門です。築城の折に
他の城から移設されてものだそうです。
ただ、どこの城から移設された物かは現在も
判らないそうです。門の状態から相当大きな
規模の城からの移設だとの事です。
桃山時代の建造物で国の重要文化財に
指定されています。
櫓門を抜けると石垣で直進できないように
なっています。
守りを固めるための方法でしょう。

石垣の左手の石段を上がると本丸に
でられます。
石垣を抜けると本丸に出ます。
本丸には天守閣がそびえ建っています。
牛蒡積みと言われる石垣の上に
幾つもの屋根様式を組み合わせて
美しい曲線を見せています。
三階三重の天守で京極高次が築いた
大津城から1607年(慶長12)に移設完成
されています。
国宝に指定されており、天守としては姫路、
松本、犬山の各天守閣とともに国宝4城の
一つとなっています。

現在の本丸には天守の建物しか残って
いませんが、かつては藩主の居館(きょかん)
である「御広間(おんひろま)」や「宝蔵」、そして
「着見櫓(つきみやぐら」なども建っていました。
天守閣を西側から眺めています。
形状は正面とほぼ同じ形になっています。
その構造は、通し柱を用いないで、各階ごとに
積み上げていく方式をとっており、全体として
櫓の上に高欄を付けた望楼を乗せる古い
形式を残しています。
天守閣から眺める伊吹山です。
手前は彦根市の東はずれで
手前は県立彦根球場です。
天守閣内部の造りです。
通し柱は使われず、各層ごとに
木組みされています。

井伊直弼の像も置かれています。

画面にポインターを置くと別の
内部の写真もご覧いただけます。
天守閣から見た城内にある
「玄宮園」です。
城の北東部にある大名庭園です。
詳細は別に紹介しています。
天守閣から眺めるびわ湖です。
前の島は「多景島」です。
彦根港からフェリーで渡ることが出来ます。
島内には見塔寺があります。
「竹島」とも呼ばれます。
西の丸三重櫓です。
普段は中に入れないのですが、この日は
特別参観で内部が見られました。

西の丸三重櫓は、本丸に隣接する西の丸の
西北隅に位置しており、さらに西に張り出した
出曲輪(でぐわ)との間に設けられた深い
堀切に面して築かれています。
堀切の底から見上げる三重櫓は絶壁のように
そそり立っており、西の搦手(からめて)からの
敵に備えた守りの要になっています。
西の丸内部の造りです。

画面にポインターを置くと
別の箇所の造りもご覧いただけます。
西の丸から眺める彦根市街西方向です。
左手の山は近江八幡市にある
八幡山(272m)だと思います。
西の丸の北側です。
東側と北側にそれぞれ1階の続櫓(つづきやぐら)
を「く」の字に付設しています。三重櫓には天守の
ように装飾的な破風(はふう)などはありませんが、
櫓全体を総漆喰塗ぬりとし簡素な中にも気品の
ある櫓となっています。
城の北東部にある「黒門」です。
現在は石積の仕切りだけが残っています。
この左手には黒門橋があり、城山から槻御殿や
玄宮園に向かう一番近い橋で、現在、内堀に
架かる3つの 橋の中で唯一土橋になっています。

橋の上から内堀の南方向を眺めています。
並木が少し色付き始めています。

左手に楽々園、玄宮園があります。

画面にポインターを置くと
内堀の北方向をご覧いただけます。

楽々園の玄関です。
楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主
井伊直興により建立された彦根藩の下屋敷で、
槻御殿(けやきごてん)と呼ばれていました。
井伊直弼はここで生まれています。
門の外に「井伊直弼生誕の地」の碑が
立っています。

現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を
玄宮園と呼び分けています。
楽々園は改修中で入室できませんでした。

画面にポインターを置くと右手に見える
「御書院」の正面からの写真をご覧頂けます。
御書院に続く「地震の間」は改修中です。
玄宮園の東入口です。東と西の2か所に
入口があります。

玄宮園は「槻(けやき )御殿」と呼ばれた庭園
部分です。槻御殿は、1677年(延宝5)、
4代藩主井伊直興により造営が始まり、1679年
に完成したと伝えられ、昭和26年には国の名勝に
指定されています。

画面にポインターを置くと
玄宮園の長い塀をご覧いただけます。
玄宮園の庭園です。
楽々園の横から東方向を眺めています。
左手の橋は「七間橋」です。右に見える建物は
「臨池閣」です。
園内の「鑑月峯」から眺めた「鶴鳴渚」です。
「龍臥橋」から眺める「臨池閣」です。
東から西方向を眺めています。
正面の端は「七間橋」です。
池は「魚躍池」と呼ばれています。

画面にポインターを置くと
「臨池閣」の拡大写真をご覧頂けます。
「鳳翔台」です。
元は藩主が客人をもてなすための客殿で
現在は一般にお茶席として開放されており、
お茶とお菓子を頂けます
玄宮園を出て南寄りにある
井伊直弼大老像です。
開国記念館を護国神社側から眺めています。
前は中堀になります。
右手方向に「埋木舎」があります。
「埋木舎」の玄関です。
埋木舎は井伊直弼が青春時代を過ごした館
です。徳川幕府の大老として幕末の動乱期に
開国の父となった才能がここで培われたと
言われています。
創建は1759年(宝暦9)頃と見られています。
井伊家の十四男として生まれた直弼が
13代彦根藩主となるまでの不遇の時期、
1831年(天保2)から15年を過ごした屋敷として
有名で、「埋木舎」は直弼の命名です。
埋木舎の内部です。
割と質素な住宅です。
屋内には直弼の若いころの資料が
展示されています。

画面にポインターを置くと
直弼の人形のある部屋(右手の部屋)が
ご覧いただけます。
埋木舎の前から眺める佐和口と
左手二の丸佐和口多聞櫓、右手
開国記念館です。
二の丸にある多聞櫓への入り口です。
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