補陀洛山寺
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補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、第16代天皇・仁徳天皇(にんとくてんのう)の時代にインドから熊野の海岸に漂着した
裸形上人(らぎょうしょうにん)によって開山されました。補陀洛は観音浄土で、観音浄土である補陀洛山へと小舟で
補陀洛山寺のすぐそばの那智の海から南の海に旅立つ宗教儀礼「補陀洛渡海」(ふだらくとかい)で知られる寺院でした。
中世日本では、南の海に補陀洛浄土があると考えられていたからです。
補陀洛山寺は、1808年の台風でほとんどの堂宇を失い本堂も仮本堂でしたが、1990年現在の本堂が再建されました 。
本尊の三貌十一面千手千眼観音(さんみゃくじゅういちめんせんじゅせんげんかんのん)像は国の重要文化財に指定されています。
普段は定期的にしか公開されていませんが、今回特別に御開帳して頂けました。
補陀洛山寺の本堂です。

1990年(平成2)に建て替えられた
ということで、まだ新しいお堂です。

お堂の横に「世界遺産 補陀洛山寺
補陀洛渡海発祥の地」と
記されています。

写真では見難いですが、石碑の下部に
船の絵が彫り込まれています。

隣の石碑には松が飾られていますが、
何かは確認できませんでした。
左端には「熊野三所大神社」があり
工事中のようです。

中央には観音像と地蔵像が立って
いますが、詳細の説明文が読めません
でした。
渡海僧が乗りこんだ船を復元した
ものがお寺の境内にある建物のなかに
展示されています。

補陀洛山寺は「補陀洛渡海」の寺として
有名です。

かつてこの寺の住職は60歳ごろになると、
帰らぬ旅へと船出したのだそうです。
目指したのは南方海上の観音浄土です。
補陀洛渡海と呼ばれた習わしです。

渡海僧は30日分の食料と灯油だけを
携え乗り込み、外に出られないよう、
扉は外からくぎで打ち付けたとのことです。

平安期から江戸期まで二十数回の渡海が
記録されており、当時は究極の苦行と
尊ばれ、僧侶以外で渡海する修行者も
いたそうです。
寺の本堂前の掲額です。
本堂右手の様子です。

右手の仏像は賓頭盧さんでしょう。
那智曼荼羅が掛かっています。

レプリカだと思います。
本堂内部です。千手観音像は
定期的に御開帳される以外は
観られません。

この日は特別に御開帳頂き、開帳時は
本堂内撮影禁止になっています。

外から撮らせて頂きました。
手前に置かれている千手観音像の
写真が、普段は正面に置かれてい
いるようです。
国の重要文化財に指定されている
「三貌十一面千手千眼観音像」です。

遠くから撮影した写真の一部を
拡大していますので、鮮明では
ありませんが、ふくよかな観音像です。
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