和歌山県の風景
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和歌山県は県庁所在地及び最大の都市は和歌山市です。
日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には
大規模な山地を有しています。

令制国では、紀伊半島の名前の由来ともなった紀伊の国の大半に
当たりますが、一部は三重県になっています。江戸時代初期には
浅野家、のちに御三家の紀州徳川家の領地(紀州藩)になっています。

古くから「木の国」と謳われたほど山林が多く、紀伊水道や熊野灘を
挟んで変化に富んだ海岸線も持っています。
このような地形から高野山開基による仏教寺院や熊野三山などの
神社信仰が発達しており、その一方で中世から近代にかけては紀の川
沿岸を中心に全国から見ても大規模な都市が形成されていました。

現在では阪神工業地帯の一部になっており、製鉄、石化、
重化学工業の拠点ともなっています。

学生の頃にはしばしば和歌山県を訪れていましたが、半世紀以上足を
踏み入れていなかった県ですが、2019年8月に熊野三山を訪れました。
台風来襲の時でしたが、旅行社のツアーが決行され、結果的には
大きな影響もなしに、周ることができました。
湯浅町、みなべ(南部)町、田辺市、串本市、新宮市、那智勝浦町を
訪れました(
印。
和歌山から名古屋へ向かう途中で伊勢にも立ち寄りました

一部三重県の風景も含まれています。
和歌山県へ
2019年8月15日、台風10号の西日本上陸が伝えられる中、7時20分発の「のぞみ」で新大阪へと向かい、
新大阪からはバスで堺市経由、和歌山県へと入りました。途中で堺市役所と「利晶の杜」に立ち寄りました。
堺市の詳細は別途大阪の風景・堺市でまとめています。
東京駅発7時20分の「のぞみ」は台風来襲の
影響か、満席と言う状態ではありません。

手前の右の空席は同じツアーの人で品川、
新横浜からの参加者の席です。
参加者は総勢25名です。

遅れもなく、予定通り10時50分に新大阪に
到着です。
新大阪駅からバスで高速道路に入り、堺市へと
向います。

423号線で梅田に出て、阪神高速環状1号線で
南下します。
環状1号線で中之島の傍を走ります。

正面奥の赤い建物は「中央公会堂」です。

流石に台風来襲と言うことで高速道も
ガラガラです。
環状1号線の傍にある「なんばHatch」です。
堺市役所高層館です。

12階が展望ロビーになっています。
世界遺産になった仁徳天皇陵などが
遠望できます。
一般に公開されていますが、この日は
台風で役所が休みになりましたが、
特別に係の方が案内してくれました。

堺市役所はこの右手に本館があります。
展望ロビーからの仁徳天皇陵です。
写真で見るような天皇陵は見えません。
何となく前方後円墳の感じがするだけです。

近くへ行くともっと何だか分からないそうです。

画面にポインターを置くと、展望所に掲示
されている天皇陵をご覧頂けます。
千利休と与謝野晶子(いずれも堺の生まれ)の
記念館「利晶の杜」です。

ここも台風のため閉鎖されていましたが、
ここで食事をする予定だったため、特別に
会議室と一部の展示を開けてもらえました。

係の方が案内してくれました。
「利晶の杜」のエントランスです。

左奥の展示室は見られませんでした。
利晶の杜から見える「千利休の生家」です。
元の生家は1千坪ほどもあったそうですが、
一部分が残されています。
井戸はそのころのものが残されているようです。
会議室でお弁当の昼食です。

堺の名産品「穴子寿司」です。
この「深瀬」と言う店は仕出し専門で、
店では食べられないのだそうです。
堺では有名なお店らしいです。

確かに美味でした。

堺市から阪神高速4号湾岸線で泉大津市、
岸和田市、泉佐野市を通り、関西空港の分岐点
まで行き、そこから阪和自動車道で和歌山市に
出ます。


堺市から高石市へと出て泉大津市に向かう
辺りの風景です。
左端に見えているのは「泉大津大橋」です。
右手から流れ出る水路は「浜寺水路」です。
中央黄色い橋は泉大津市から眺める
「泉大津橋」です。

この辺りは工業地帯であり、多くの工場や
運送会社、倉庫会社が並んでいます。
泉佐野漁協の船溜まりから眺める
関西空港です。
台風のため走行制限されているのか、
走行車輛は多くはありません。
阪神高速上之郷ICから阪和自動車道に
入ります。
画面は関空、大阪方面への入口です。
我々は阪和自動車道へ向かっています。
阪和自動車道に入ると山また山の地域を
走行します。海とはお別れです。
紀の川を渡ると和歌山県です。

台風の影響で、バスの窓も撮影には
不向きな状態です。
和歌山県に入って有田(ありだ)郡に入ります。
有田川を渡ると間もなく湯浅町です。

有田はミカンが有名ですが、
皆さん「ありたみかん」と発音されますが、
「ありだみかん」が正しいのです、
とはバスガイドさんの説明。

この辺りから湯浅町を出るまでが最も
台風の影響を受けました。
和歌山県
湯浅町
和歌山県有田郡にある町で、醤油発祥の地として知られています。街並みには古い江戸時代からの
家々が並び、古来より熊野街道の宿駅として栄えており、紀州藩の有田代官所や明治・大正期の
有田郡役所が置かれてからは有田地方の中心地のひとつとしても賑わいを見せるようになったのだそうです。
湯浅町の北町には湯浅町
「湯浅伝統的建造物群保存地区」
があります。

ここは魚屋さんです。
看板と暖簾で分かるように
なっています。

画面にポインターを置くと
看板と暖簾をご覧頂けます。

この地区の家の中も見られる所が
多いそうですが、この日は台風の
上陸にぶち当たり、ほとんどが
休業中です。
魚やの隣には醤油醸造の
「戸津井醤油醸造所」があります。

湯浅では中国から味噌製法が
伝わり、味噌造りの折にたまる
液体は捨てる様に指導されて
いましたが、これをもったいないと
考えた湯浅の人がこの液を利用
することを考えたのが、醤油の
起源とされています。

湯浅町の北町では醤油の他
金山寺味噌も生産されています。
保存地区の家並みの様子です。



加納家です。

1921年(大正10)の建築。
その時代に流行した黒漆喰仕上げ
の2階には、袖壁や繊細な木格子の窓
など凝った装飾が見られます。
二階両側にはうだつもあります。

玄関には行灯が立っています。
何を生業にされているのかは
不明です。

左奥の格子にかかっている箱は
後に出てくる資料展示の1例です。
昔懐かしいタバコ屋さんです。
家の前にはレトロなポストが
立っています。
県道20号が街を通り抜けています。
「北町通」とも呼ばれています。

ポストの左手の家は金山寺味噌の
お店です。
北町通を奥へ行くと「角長(かどちょう)」
というお醤油屋さんに出ます。

1841年(天保12)の創業で、
ここの醤油はすべてを手造りして
いるそうです。
土産に一瓶購入しました。
「角長」の向かいにある角長の「職人蔵」です。

1866年(慶応2)に建てられ、内部は
町指定文化財である醤油醸造用具が
展示されています。

残念ながら台風で閉まっていました。

町並み全体を民俗資料館に見立て、
湯浅にゆかりのある詩歌や古民具を
せいろや麹作りに使う醪蓋(もろぶた)
を使って展示しています。

左は昔の文房具類、右は江戸時代の
医術道具類です。

これ以外にもいろいろな品が家の前に
同じような形で展示されています。
北町ふれあいギャラリーです。
休憩所も兼ねているそうですが、
この日は台風で閉まっていました。

ギャラリーの説明板が
掛かっていました。
内容は画面にポインターを置くと
ご覧頂けます。
湯浅町の隣の広川町は
「稲村の火」で有名な、津波の
折に名主の浜口梧陵が刈ったばかりの
稲に火をつけて、引く潮が珍しくて海へ
向かう村人を丘へと引き寄せ、津波の
被害者を出さなかったという逸話が
残されている場所です。

浜口はその後千葉へ移住し、千葉の
醤油業を発展させた人です。
その事業で得た利益で広川町の
海岸線に防波堤を作ったそうです。

台風でバスの窓は滝状態で、こんな
写真になりました。
南部町 (みなべ)
南部と書いて「みなべ」と読みます。みなべ町は、和歌山県日高郡にある町です。 日本一の梅の里として
知られ、梅の代表品種として知られる「南高梅」発祥の地です。また、青梅とともに、梅干しの生産が
日本一です。南高梅は高田梅をベースに南部高校の先生が開発した梅で、南部高校から「南高梅」と
名付けたそうです。この日の泊はみなべ町のホテルで、台風の影響もあり、14時過ぎのチェックインとなりました。

湯浅町を出て、広川町を通り、
阪和自動車道に上がる前の国道42号線、
広川町の街を流れる「広川」を渡ります。
阪和自動車道湯浅御坊道路から眺める
「日高川」です。台風で水は泥色です。

前の橋は「小熊大橋」です。
南部(みなべ)川です。

前に見える橋は「新庄橋」です。
みなべICから眺めるみなべ町の佇まいです。

古い瓦葺の木造家屋が多いです。
みなべICから国道42号線で南へ向かい、
海岸線に出たところに立っている
標識です。
来た方向とは逆の方向にある設備です。
台風の雨の関係で、このような画面しか
撮れません。
車中から雨の街の撮影は難しいです。
熊野灘に面した丘の上にあるホテルです。
「ホテル&リゾーツ和歌山みなべ」です。

ダイワホテルグループのホテルで、2泊目の
串本も同じ系統のホテルです。

ホテルの窓からの眺めです。
台風でなければ素晴らしい眺望だろうと
思われます。

雨風が強くなっています。
荒い波が押し寄せてきます。
ガイドさんが「風の音で今夜は眠れるかな」と
言ってました。
左、ホテルのロビーは広々としています。

右、部屋の階のエレベーターホールも絵画が
   掛かっていたりして殺風景ではありません。
左、部屋は結構広くて一人ではネズミに引かれ
  そうな気がします。

右、夕食、朝食ともにバイキングスタイルで、
  品数は結構ありますが、ビールのつまみ程度に
  しておきました。
  大漁旗はなんか親しみを感じる旗です。
左はメインで寿司・天ぷら(上左)、刺身(下左)
右の皿にはミートボール、サラダ、ステーキなど。

右は上左が焼湯包、後はデザートの西瓜と
左下の皿にゴマ団子、ミニシュークリーム、
チーズケーキとわらび餅、コーヒー。

少々食べ過ぎ??完食でした。
朝食です。たっぷり食べました。

デザートの果物が少ないのが残念。
熊野古道と 熊野三山
熊野古道は熊野三山へ通じる参詣道の総称で、熊野参詣道とも呼ばれ、大辺路、中辺路、小辺路、
紀伊路、伊勢路、大峰奥駈道の6道があります。昔の貴族は京都から船で大阪へ出て紀伊路から
大辺路を通って熊野三山へお参りしたのだそうです。一般人は中辺路を利用した様です。
紀伊路以外は世界遺産に登録されています。道路が世界遺産に登録されるのは珍しいことです。

熊野古道は左図のごとく、熊野三山へのルートとして作られた道です。
大峰奥駈道は奈良県の吉野から熊野三山へ通じる道で左図には掲載
していません。
熊野三山とは「熊野本宮大社」、「熊野那智大社」、「熊野速玉大社」の
三つの社を言います。

紀伊路は比較的最近まで使用されていたことで、古い時代の状態が維持されて
いないとの理由で世界遺産からは外されています。

今回、紀伊路、大辺路、伊勢路はバスで通りました。一部歩いた部分もありますが、
基本的に今回の熊野古道は中辺路の徒歩散策となりました。

闘鶏神社から熊野古道館〜三軒茶屋跡〜熊野本宮大社〜大斎原(おおゆのはら)の
中辺路の内三軒茶屋跡から大斎原までの3km程と那智勝浦の大門坂から那智の滝へ
至る中辺路の一部を歩きました。

心配された台風の影響もほとんどなく、熊野古道を楽しめました。

三重県の伊勢路にある「花の窟神社」と熊野灘に面する「鬼ヶ城」も訪れました。
ここは「大辺路(おおへち)」になります。
闘鶏神社への入口です。
大辺路の入口にあたる場所にある
「闘鶏神社」です。
創建は5世紀と言われており、後白河天皇の
時代に熊野産所権現を勧請し、地元民は
「権現さん」と呼んでいるそうです。
弁慶の生誕地ともいわれています。

闘鶏神社の詳細は下記ボタンからお入り
頂けます。

闘鶏神社
闘鶏神社から熊野古道館へ向かう途中、
国道211号線から田辺バイパスへ抜ける際、
紀勢本線の踏切を渡ります。
和歌山県の区間は電化されています。
従い、和歌山県人は紀勢本線を電車と
呼びます。

三重県に入ると電化されておらず、ディーゼルに
なります。従い、三重県人は紀勢本線を汽車と
呼ぶそうです。
今回立ち寄れませんでしたが、「救馬渓観音
(すくまだに)」の看板がありました。

開基は約1,300年前の飛鳥時代に修験道の
開祖「役の行者」とされ、鳥羽上皇の勅願により
堂宇が建てられたのだそうです。

紀南地方随一のパワースポットと称されて
います。
富田川の川べりで何かやっています。
ガイドさんは15日が台風で、おそらくお盆の
行事を翌日にしているのだろうと言ってました。
「熊野古道館」です。

富田川の川沿いにあります。
館内には熊野古道の説明が色々掲示
されており、語り部がここから同行してくれ、
種々説明をしてくれます。

熊野古道館の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

熊野古道館
熊野古道館の前の富田川を渡り、対岸に
「滝尻王子」があります。

王子社とは、熊野の神様の御子神(ミコガミ)が
祀られているところで、参詣者の休憩所でも
あったようです。昔の熊野詣は野宿するのが
普通なので、こうした王子社が参詣者の
野宿場所にもなったそうです。
九十九王子と称され、熊野道には数多くの
王子社があるそうです。
九十九は多いという意味で99社あったわけでは
ありません。

この滝尻王子が中辺路の1番目の王子社になります。

滝尻王子社です。この社の後ろに熊野道の
出発点があります。
この道は健脚者しか行けないとのことです。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

滝尻王子

滝尻王子からはバスで国道311(中辺路)を走り、平岩口から舗装路を経由して
三軒茶屋跡の古道へと入ります。
滝尻王子からの古道は険しく初心者ではとても
歩けない道なのだそうです。
距離も本宮大社迄36kmほどあります。
それでもこんな感じの道になります。

三軒茶屋跡の横にある関所跡です。
平岩口から登ってくると、ここから見晴らし台
までの中辺路が正面に続いています。

中辺路を歩くと最後に熊野本宮大社に
出ます。

中辺路の様子は下記ボタンからお入り
頂けます。

中辺路
熊野本宮大社の鳥居です。

中辺路の終着点です。
反対側、大門坂からの中辺路も
この大社が終着です。
 
熊野本宮大社です。拝殿になります。

祭神は、古事記でもおなじみの家津美御子大神
(けつみこのおおかみ:スサノオノミコト)です。

本殿など詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。


熊野本宮大社
熊野本宮本社から少し離れたところに
元大社のあった「大斎原(おおゆのはら)」が
あります。
元の大社は洪水で流失し、現在の場所へ
移されたものです。
大斎原にある、日本最大の鳥居です。
元日本鋼管の制作だそうです。
高さ34m、幅42mあります。

大斎原です。建物はありません。
かつての熊野本宮大社は、およそ1万1千坪の
境内に5棟12社の社殿が立ち並んでいました。

摂社・末社もたくさんあったほか、神楽殿、能舞台、
文庫、宝蔵、神馬舎などがずらりと並び、
いまの熊野本宮大社の8倍もの規模を誇ったと
されます。

大斎原の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

大斎原
 熊野古道・中辺路 那智勝浦から熊野本宮、那智大社へと
向かう古道・中辺路(なかへち)です。
こちらは大辺路にある「補陀洛山寺」です。
串本から大門坂へ向かう途中で大辺路の
入口にある寺によりました。

仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に
漂着した裸形上人によって開山されたと
伝えられる古刹で、平安時代から江戸時代に
かけて人々が観音浄土である補陀洛山へと
小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼
「補陀洛渡海」で知られる寺です。
 
補陀洛寺境内の石碑です。
「世界遺産・補陀洛山寺・
補陀洛渡海発祥の地」と記されています。

補陀洛寺の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。


補陀洛山寺
熊野古道・中辺路(なかべち)の「大門坂」です。
三軒茶屋跡の中辺路とは東寄りの入口に
なっています。

ここから那智大滝まで古道が続きます。
我々は1/3地点でバスに乗り滝まで
行きました。この古道は石畳の道が
続きます。

大門坂の代表的な風景です。

この様な石畳が続いています。

大門坂の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

大門坂
大門坂を登り切ると「那智大滝(飛瀧神社)」
へ出ます。

ここから133段の石段を下ると飛瀧神社へ
出ます。戻りは同じ石段を登ることになります。
 
飛瀧神社のご神体はこの那智の滝になります。
神社の神殿などはありません。

瀧の様子などは下記ボタンからお入り頂けます。

那智の大滝
那智大滝から左手に登ると那智大社、
青岸渡寺へと出ます。
我々は那智観光センター迄バス移動です。

バス駐車場から那智山入口へは数分ながら、
ここから467段の石段を登ります。

石段を登ってゆっくと、道が二手に分かれます。
左に行くと熊野那智大社、右に登ると
青岸渡寺です。

順路的には那智大社から青岸渡寺にでて、
この門と石段を下りてくることになります。
分岐点からの那智大社への登り石段です。
最後の登りです。


「熊野那智大社」の拝殿です。

熊野那智大社の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

那智大社
那智大社からそのまま青岸渡寺に
出られます。

神仏分離令から逃れた例になっています。
本宮大社、速玉大社ともに神社を選び、寺院は
廃仏毀釈されていますが、青岸渡寺は
建物が大きかったために、そのまま残り、
1874年(明治7)に青岸渡寺として独立しました。
 
青岸渡寺境内から眺める
那智の滝と、三重塔です。
1972年(昭和47)三重塔が300年ぶりに
復活しました。

青岸渡寺の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

青岸渡寺
青岸渡寺の山門です。
右手には「なちさん霊場」石碑が立っています

バスの駐車している那智観光センターで
那智名物の「黒飴ソフト」に「じゃばら(柑橘系)」
の密を加えてもらった「じゃば黒ソフト」を
味わいました。

470段の石段を往復した後で大変美味しく
頂けました。

傍の杖は今回持参した杖で、スイスで購入した
舶来品です。
那智大社からバスで新宮市へ向かいます。

車窓から見る那智勝浦町の風景です。
那智湾が広がっています。
補陀洛山寺経由で新宮市へと向かいます。
新宮市にある「熊野速玉大社」です。

熊野三山の一つです。
三重県との県境、熊野川の近くにある神社で
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を
主祭神としています。

熊野速玉大社の拝殿です。

この奥に神殿が並んでいます。

速玉大社の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。


速玉大社
新宮市を出て「国道42号線」(伊勢路)で
伊勢方向へ向かいます。
熊野川を渡ると対岸は三重県です。

奥に見える鉄橋は紀勢本線の鉄橋です。
串本町
和歌山県東牟婁郡の町で、和歌山の自然が織りなす豊かな紀伊山地を背に、潮岬が雄大な太平洋へと
突き出した本州最南端に位置しています。今回、熊野三山を訪れる際に、ホテル&リゾーツ和歌山・串本に
宿泊しました。みなべ町のホテルと同じ系列です。
新宮市から串本へ向かう大辺路(おおべち)の
海岸沿いに眺められる風景です。

右手の山は上野山で古座川町になります。
岬の先端を回りこむと古座川を渡り、串本町に
入ります。
同じ道の串本町へ入ってから眺める
「九龍島(くろじま)」です。

昔は熊野水軍の拠点だったそうです。

現在は無人島になっています。
串本町の中心部まじかにある
「橋杭岩」です。
詳細は後述しています。

夕陽が美しいと言われていますが、
既に日没近くでほんの少し赤っぽく見えます。
この日の宿泊ホテル「ホテル&リゾーツ和歌山・
串本」です。

ここも高台にあるホテルです。
ホテルの庭にある、本州最南端の町 串本町の
標識です。
奥に見えるのが右手に紀伊大島、左手に潮岬、
中央には苗我島です。詳細は後出です。 

ホテルの建物です。
ホテルの内部や食事の内容は
下記ボタンからお入り頂けます。

ホテルの食事
ホテルのプールです。
右手の建物の1階がレストランです。

ホテルの庭から眺める潮岬と紀伊大島です。

左は紀伊大島、右は潮岬、中央の島は苗我島です。
県道40号線で繋がっています。
アーチ橋は1999年完成の「串本大橋」です。
苗我島の右手前は串本漁港になっています。
漁船はアーチ橋をくぐって港に入ります。
「ここは串本、向かいは大島、仲を取り持つ巡航船」
と歌われた串本節も今は昔の語り草になっています。
 
ホテルの庭にあるトルコ軍艦
「エルトゥールル号」の記念模型です。

1890年9月16日に潮岬沖でオスマン帝国
(現トルコ)の軍艦エルトゥールル号が
紀伊大島沖で遭難し、500名以上の
犠牲者を出しました。
このとき大島の漁師たちは大嵐の中を
懸命に救助して69人を助け、その生存者は、
日本の軍艦でオスマン帝国へと送り届け
られたのです。

1985年のイラン・イラク戦争の折、
イラン在住の日本人がトルコの救援機で
帰国できたのは、トルコがエルトゥールル号
事件の折に日本から受けた恩返しだと、
有名な話になっています。
 
ホテルの庭から眺める「橋杭岩」です。

昔、弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの
島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを
行いました。
弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えた
ところで、天邪鬼はこのままでは賭けに
負けてしまうと思い、ニワトリの鳴きまねをして
弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせました。
弘法大師は諦めて作りかけでその場を去りました。
そのため橋の杭のみが残ったというはなしです。

画面にポインターを置くと左手の岩の列の
拡大画面をご覧頂けます。
拡大画面の奥に見える島は「九龍島(黒島)」です。
橋杭岩の傍からの眺めです。
午前はやや逆光気味になります。
この岩はマグマが作った不思議な景観と
称され、海岸の泥岩とマグマが泥岩に入り込んで
できた岩が浸食によりこの様な景観を
生み出したようです。
国指定の天然記念物です。

手前の岩は小さいものは橋杭岩の破片、
大きい岩は津波で押し寄せられた岩だそうです。
伊勢路 (三重県) 
熊野本宮大社から国道311号線(旧伊勢路)経由国道168号で熊野川沿いに走り、新宮から
三重県に抜け、伊勢路沿いにある熊野市の「花の窟神社」とその先にある「鬼ヶ城」を訪れ、その後、
串本まで戻り、熊野三山詣で後、新宮市から再び伊勢路を伊勢へと向かいました。
同じ道を結構長い距離往復したことになります。伊勢路の終点、伊勢神宮にも参拝してきました。
熊野本宮大社から国道311号線で東へ
向い、途中から熊野川に沿った168号線で
熊野川を下ります。
途中にある「瀞峡めぐる里・熊野川」
と言うお店で昼食。


画面にポインターを置くとお店の玄関を
ご覧頂けます。
「熊野牛すき焼き御膳」で、すき焼きと
アユの塩焼き、梅そうめんです。
レストランでの昼食の後は熊野川に沿って
新宮市へと向かいます。

レストランから熊野川遊覧船も出ていますが、
時間の関係でそのまま直行です。
所々で熊野川の絶景を見ることができます。
この付近の崖は柱状節理が発達しています。

普段は水の無い滝も雨量のお陰で
立派な滝になっています。
その代わり普段は青い熊野川が
泥色になっています。

手前の白い橋は小船紀宝線道路の橋です。

左端は「飛雲の滝」です。

この滝の周辺はキャンプ場になっている
そうです。
まるで丸太を並べたが如き柱状節理の
山膚です。

石切り場があって山の側面が大きく削り
取られていますが、その切り口が見事な
柱状節理になっています。
節理というのは岩石が水や温度差などで
風化していく時に生じる割れ目のことだそうです。
熊野川の河口近くです。

国道42号線から見る熊野川と相野谷川との
合流地点です。
正面は相野谷川の水量調節ダムです。
熊野川を渡ると三重県紀宝町です。

熊野川が県境となっています。


国道42号線(伊勢路)を進むと
「花の窟神社」へ出ます。

伊弉冉尊(いざなみ)と軻遇突智尊
(かぐつち)を祀る神社です。

境内には高さ45mの巨岩があり、
この磐座(いわくら)がご神体です。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

花の窟神社
花の窟神社の前に広がる熊野灘です。
七里御浜(しちりみはま)と称される長い
砂浜があります。

砂浜にはアカウミガメが産卵に上がってきます。

この海岸線は海の伊勢路とも称されています。
七里御浜にある「獅子岩」です。

高さ約25メートル、周囲約210メートルの
獅子の形をした岩山です。
車窓からで、ピントが少しボケましたが、口を
開けた獅子の形をしています。

獅子岩の北側井戸川沿いにある大馬神社
には狛犬がなく、この獅子岩が狛犬とされて
います。
獅子岩を更に東に向かうと
「鬼ヶ城」があります。

荒々しい海岸線の終わりに位置する鬼ケ城は、
その険しさを象徴するかのように人を圧倒する
自然の造形となっています。
2004年に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の
霊場と参詣道』の一部として登録されています。
国指定の天然記念物でもあります。
 
岩場の奥に千畳敷があります。
この千畳敷からさらに奥へと進めますが、
今回は落石の恐れがあり、通行禁止に
なっていました。
この岩場の上には「鬼ヶ城城址」もありますが、
こちらは時間の関係でスキップでした。

鬼ヶ城の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

鬼ヶ城
伊勢神宮へ  熊野三山を回った後は、新宮市へ戻り、そこから伊勢路(国道42号線)で伊勢神宮へと向かいます。
前日に訪れた花の窟神社や鬼ヶ城の前を再び通り抜け、尾鷲から高速道路で伊勢へと向かいます。
国道42号線は尾鷲まで海岸べりを走ります。
南国風な公園も作られています。
新宮から伊勢までの長い道のりで、
昼食はお弁当です。
前日の昼に食事した熊野川の弁当です。
国道42号線で尾鷲市まで来て、ここから
バイパスの「紀勢自動車道」に入ります。
紀勢自動車道の赤羽川橋から眺める
「赤羽川」と紀伊長島の街並みです。

奥の橋は国道42号線に架かる「新長島橋」です。
「奥伊勢PA」にて休憩。
1年半ぶりの伊勢神宮詣で。
前回は寒い時期でしたが、今回は暑い時期。
なかなかベストシーズンには来られません。
内宮(皇大神宮)への参拝。

写真の撮影はこの階段下まで。
伊勢と言えば「赤福」、赤福内宮前店で
一休みし、宇治金時氷を食べました。

画面にポインターを置くと赤福ならぬ、
宇治金時氷を食べました。

二つのうちの一つは、たまたま出会った
添乗員さんへのご苦労賃。今年4月入社の
添乗員さんで、笑顔を絶やさない
お嬢さんでした。
熊野古道と熊野三山の旅の締めは
名古屋駅の居酒屋「鶴八」での
名古屋名産「ソースカツ」と「ひつまぶし」です。

画面にポインターを置くと料理も
ご覧頂けます。
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