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和歌山県は県庁所在地及び最大の都市は和歌山市です。 日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には 大規模な山地を有しています。 令制国では、紀伊半島の名前の由来ともなった紀伊の国の大半に 当たりますが、一部は三重県になっています。江戸時代初期には 浅野家、のちに御三家の紀州徳川家の領地(紀州藩)になっています。 古くから「木の国」と謳われたほど山林が多く、紀伊水道や熊野灘を 挟んで変化に富んだ海岸線も持っています。 このような地形から高野山開基による仏教寺院や熊野三山などの 神社信仰が発達しており、その一方で中世から近代にかけては紀の川 沿岸を中心に全国から見ても大規模な都市が形成されていました。 現在では阪神工業地帯の一部になっており、製鉄、石化、 重化学工業の拠点ともなっています。 学生の頃にはしばしば和歌山県を訪れていましたが、半世紀以上足を 踏み入れていなかった県ですが、2019年8月に熊野三山を訪れました。 台風来襲の時でしたが、旅行社のツアーが決行され、結果的には 大きな影響もなしに、周ることができました。 湯浅町、みなべ(南部)町、田辺市、串本市、新宮市、那智勝浦町を 訪れました(●)印。 和歌山から名古屋へ向かう途中で伊勢にも立ち寄りました。 一部三重県の風景も含まれています。 |
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2019年8月15日、台風10号の西日本上陸が伝えられる中、7時20分発の「のぞみ」で新大阪へと向かい、 新大阪からはバスで堺市経由、和歌山県へと入りました。途中で堺市役所と「利晶の杜」に立ち寄りました。 堺市の詳細は別途大阪の風景・堺市でまとめています。 |
堺市から阪神高速4号湾岸線で泉大津市、 岸和田市、泉佐野市を通り、関西空港の分岐点 まで行き、そこから阪和自動車道で和歌山市に 出ます。 堺市から高石市へと出て泉大津市に向かう 辺りの風景です。 左端に見えているのは「泉大津大橋」です。 右手から流れ出る水路は「浜寺水路」です。 |
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中央黄色い橋は泉大津市から眺める 「泉大津橋」です。 この辺りは工業地帯であり、多くの工場や 運送会社、倉庫会社が並んでいます。 |
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泉佐野漁協の船溜まりから眺める 関西空港です。 台風のため走行制限されているのか、 走行車輛は多くはありません。 |
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阪神高速上之郷ICから阪和自動車道に 入ります。 画面は関空、大阪方面への入口です。 我々は阪和自動車道へ向かっています。 |
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阪和自動車道に入ると山また山の地域を 走行します。海とはお別れです。 |
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紀の川を渡ると和歌山県です。 台風の影響で、バスの窓も撮影には 不向きな状態です。 |
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和歌山県に入って有田(ありだ)郡に入ります。 有田川を渡ると間もなく湯浅町です。 有田はミカンが有名ですが、 皆さん「ありたみかん」と発音されますが、 「ありだみかん」が正しいのです、 とはバスガイドさんの説明。 この辺りから湯浅町を出るまでが最も 台風の影響を受けました。 |
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和歌山県有田郡にある町で、醤油発祥の地として知られています。街並みには古い江戸時代からの 家々が並び、古来より熊野街道の宿駅として栄えており、紀州藩の有田代官所や明治・大正期の 有田郡役所が置かれてからは有田地方の中心地のひとつとしても賑わいを見せるようになったのだそうです。 |
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南部と書いて「みなべ」と読みます。みなべ町は、和歌山県日高郡にある町です。 日本一の梅の里として 知られ、梅の代表品種として知られる「南高梅」発祥の地です。また、青梅とともに、梅干しの生産が 日本一です。南高梅は高田梅をベースに南部高校の先生が開発した梅で、南部高校から「南高梅」と 名付けたそうです。この日の泊はみなべ町のホテルで、台風の影響もあり、14時過ぎのチェックインとなりました。 |
湯浅町を出て、広川町を通り、 阪和自動車道に上がる前の国道42号線、 広川町の街を流れる「広川」を渡ります。 |
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阪和自動車道湯浅御坊道路から眺める 「日高川」です。台風で水は泥色です。 前の橋は「小熊大橋」です。 |
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南部(みなべ)川です。 前に見える橋は「新庄橋」です。 |
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みなべICから眺めるみなべ町の佇まいです。 古い瓦葺の木造家屋が多いです。 |
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みなべICから国道42号線で南へ向かい、 海岸線に出たところに立っている 標識です。 来た方向とは逆の方向にある設備です。 台風の雨の関係で、このような画面しか 撮れません。 車中から雨の街の撮影は難しいです。 |
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熊野灘に面した丘の上にあるホテルです。 「ホテル&リゾーツ和歌山みなべ」です。 ダイワホテルグループのホテルで、2泊目の 串本も同じ系統のホテルです。 |
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ホテルの窓からの眺めです。 台風でなければ素晴らしい眺望だろうと 思われます。 雨風が強くなっています。 |
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荒い波が押し寄せてきます。 ガイドさんが「風の音で今夜は眠れるかな」と 言ってました。 |
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左、ホテルのロビーは広々としています。 右、部屋の階のエレベーターホールも絵画が 掛かっていたりして殺風景ではありません。 |
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左、部屋は結構広くて一人ではネズミに引かれ そうな気がします。 右、夕食、朝食ともにバイキングスタイルで、 品数は結構ありますが、ビールのつまみ程度に しておきました。 大漁旗はなんか親しみを感じる旗です。 |
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左はメインで寿司・天ぷら(上左)、刺身(下左) 右の皿にはミートボール、サラダ、ステーキなど。 右は上左が焼湯包、後はデザートの西瓜と 左下の皿にゴマ団子、ミニシュークリーム、 チーズケーキとわらび餅、コーヒー。 少々食べ過ぎ??完食でした。 |
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朝食です。たっぷり食べました。 デザートの果物が少ないのが残念。 |
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熊野古道は熊野三山へ通じる参詣道の総称で、熊野参詣道とも呼ばれ、大辺路、中辺路、小辺路、 紀伊路、伊勢路、大峰奥駈道の6道があります。昔の貴族は京都から船で大阪へ出て紀伊路から 大辺路を通って熊野三山へお参りしたのだそうです。一般人は中辺路を利用した様です。 紀伊路以外は世界遺産に登録されています。道路が世界遺産に登録されるのは珍しいことです。 |
熊野古道は左図のごとく、熊野三山へのルートとして作られた道です。 大峰奥駈道は奈良県の吉野から熊野三山へ通じる道で左図には掲載 していません。 熊野三山とは「熊野本宮大社」、「熊野那智大社」、「熊野速玉大社」の 三つの社を言います。 紀伊路は比較的最近まで使用されていたことで、古い時代の状態が維持されて いないとの理由で世界遺産からは外されています。 今回、紀伊路、大辺路、伊勢路はバスで通りました。一部歩いた部分もありますが、 基本的に今回の熊野古道は中辺路の徒歩散策となりました。 闘鶏神社から熊野古道館〜三軒茶屋跡〜熊野本宮大社〜大斎原(おおゆのはら)の 中辺路の内三軒茶屋跡から大斎原までの3km程と那智勝浦の大門坂から那智の滝へ 至る中辺路の一部を歩きました。 心配された台風の影響もほとんどなく、熊野古道を楽しめました。 三重県の伊勢路にある「花の窟神社」と熊野灘に面する「鬼ヶ城」も訪れました。 |
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和歌山県東牟婁郡の町で、和歌山の自然が織りなす豊かな紀伊山地を背に、潮岬が雄大な太平洋へと 突き出した本州最南端に位置しています。今回、熊野三山を訪れる際に、ホテル&リゾーツ和歌山・串本に 宿泊しました。みなべ町のホテルと同じ系列です。 |
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熊野本宮大社から国道311号線(旧伊勢路)経由国道168号で熊野川沿いに走り、新宮から 三重県に抜け、伊勢路沿いにある熊野市の「花の窟神社」とその先にある「鬼ヶ城」を訪れ、その後、 串本まで戻り、熊野三山詣で後、新宮市から再び伊勢路を伊勢へと向かいました。 同じ道を結構長い距離往復したことになります。伊勢路の終点、伊勢神宮にも参拝してきました。 |
熊野三山を回った後は、新宮市へ戻り、そこから伊勢路(国道42号線)で伊勢神宮へと向かいます。 前日に訪れた花の窟神社や鬼ヶ城の前を再び通り抜け、尾鷲から高速道路で伊勢へと向かいます。 |
国道42号線は尾鷲まで海岸べりを走ります。 南国風な公園も作られています。 |
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新宮から伊勢までの長い道のりで、 昼食はお弁当です。 前日の昼に食事した熊野川の弁当です。 |
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国道42号線で尾鷲市まで来て、ここから バイパスの「紀勢自動車道」に入ります。 |
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紀勢自動車道の赤羽川橋から眺める 「赤羽川」と紀伊長島の街並みです。 奥の橋は国道42号線に架かる「新長島橋」です。 |
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「奥伊勢PA」にて休憩。 | |
1年半ぶりの伊勢神宮詣で。 前回は寒い時期でしたが、今回は暑い時期。 なかなかベストシーズンには来られません。 |
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内宮(皇大神宮)への参拝。 写真の撮影はこの階段下まで。 |
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伊勢と言えば「赤福」、赤福内宮前店で 一休みし、宇治金時氷を食べました。 画面にポインターを置くと赤福ならぬ、 宇治金時氷を食べました。 二つのうちの一つは、たまたま出会った 添乗員さんへのご苦労賃。今年4月入社の 添乗員さんで、笑顔を絶やさない お嬢さんでした。 |
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熊野古道と熊野三山の旅の締めは 名古屋駅の居酒屋「鶴八」での 名古屋名産「ソースカツ」と「ひつまぶし」です。 画面にポインターを置くと料理も ご覧頂けます。 |
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