花の窟神社
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花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に
葬られた御陵です。
花の窟は720年(奈良時代)に記された日本最初の歴史書である『日本書紀』の神代第一で「国産みの舞台」として登場しています。
この地は熊野三山信仰に先立つ古代からの聖地「窟の熊野」として重要な意味を持っているのだそうです。
海岸に沿って走る国道42号線を北上し、熊野市に入ってから間もなく国道の左手に巨岩が見えます。
それが「花の窟」で、花の窟神社の御神体です。高さ45mに及ぶ岩壁です。

多くの神々を生んだイザナミは、最後に火の神カグツチを生み落とし、陰部を焼かれて死んでしまいますが、そのイザナミを葬った場所が
この花の窟だとされています。また、花の窟神社には、イザナミの墓とともに、妻の死に逆上したイザナギに生後間もなく斬り殺された
カグツチの墓もあります。
花の窟には社殿がありません。明治に神社合祀が行われる以前の熊野では、社殿がなく岩や老樹大木を祀っている神社も
珍しくはなかったのですが、現在では合祀のためにその多くが失われてしまいました。
入口には日本最古の神社と記されていますが、同行した語り部さんは、これは事実ではないとの説明でした。
花の窟神社の境内の見取り図です。

鳥居をくぐり、参道を進むと左手に
稲荷神社があります。鳥居の列が
あります。

そのまま進むと参龍殿と称する
社務所に出ます。

参龍殿から木の鳥居をくぐると
目の前に大きな岩が現れます。
ご神体です。その下には伊弉冉
(イザナミ)尊が祀られています。

その斜め向かいにカグツチ尊が
祀られています。

ご神体から延びる大綱が見えますが
お縄架けの綱です。

鳥居の前には口有馬道標が
残されています。
神社の前にある「はなのいわや公園」
にある「口有馬道標」です。

「右 くまのさんじゅんれい 道」と
刻まれており、熊野市の指定文化財
ですが、何時ごろのものかは不明です。

道標は、巡礼に訪れる旅人に、
安全道はここから右に折れて有馬村
本街道に廻るよう警告をしたものだ
そうです。
花の窟神社の入口です。


左側にある石碑です。
緑泥片石を原石とし、和歌山県紀ノ川
から運ばれて奉納されたものだそうです。

昔の皇族の奉納碑と聞いたように
思いますがメモがありませんので、
確かではありません。
神社の参道です。

左手に下図の稲荷神社があります。
稲荷神社の鳥居列です。
参龍殿と称される社務所です。

ご神体への入口を兼ねています。ss
丸石に神様が鎮まっているという
丸石神仰が伝わっています。
この丸石は、この地方では一番大きい
とされている石です。
伊弉冉(イザナミ)尊の
葬られた場所とされています。
その後ろにはご神体の岩が
聳え立っています。

岩から垂れている紐状の物は、
長さおよそ170メートルの大綱に、
季節の花(2月は椿、10月は鶏頭を
入れる)を結びつけた3つの縄幡
および扇を吊して、磐座の頂上から
大綱が引かれ、境内の南隅にある柱
(かつては松の神木)の先端へと
引き渡されます。
伊弉冉(イザナミ)が亡くなった後、
伊弉諾(イザナギ)に殺されたと言われる
軻遇突智(カグツチ)尊;;が
葬られたと言われる場所です。

画面にポインターを置くと
軻遇突智尊が葬られたと言われる
高さ18mの「王子の窟」が
ご覧頂けます。
こちらは国道42号線からの
入口です。

大綱が巻き付けられている柱です。
元は松の木だったそうですが、
現在はコンクリート製の柱に
なっています。
国道から眺めるご神体です。

大綱が左方向へ繋がっているのも
見えています。
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