闘鶏神社
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鬪雞神社(雞が環境文字のため出ないので、鶏になっていますが、正しくは雞です)は、通称「権現さん」と呼ばれ、御祭神の中には、
熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)も勧請されています。
熊野権現の三山御参詣に替えるという三山の別宮的存在で熊野信仰の一翼を負っていました。
熊野本宮大社が川の増水で流失する以前の社殿の形を再現しています。
また、鬪雞神社は勝負の神様としても御利益があるともいわれています。と言うのは、源平合戦の折、第21代熊野別当湛増
(武蔵坊弁慶の父)が源平両者より助力を請われ、この神社で紅白二色の鶏を神前で7番闘わせ、神意を占った結果、
全て白色の鶏が勝ったことから、源氏に味方を決めたという平家物語の故事があります。
この故事からこの神社は勝負事の神様ともいわれ、境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があります。
 
大辺路からの闘雞神社への参道です。

左手に鳥居があります。
境内にある拝殿です。

拝殿の奥には熊野本宮大社の
流される前の形態での本殿配置と
なっています。、

社務所の前にある「湛増弁慶の像」です。

禰宜さんが神社の由来を詳しく
説明してくれました。

この像は闘鶏の様子を表しています。
拝殿の奥の社殿の様子です。

拝殿より奥には入ることができません。
隙間から撮影します。

左奥は西御殿、右手は本殿です。

社殿は全部で6棟並んでいます。
熊野本宮大社は3棟のみです。
右手は中御殿、左手は上御殿です。
右は八百萬殿、左手は下御殿です。

境内にはえびす・大黒の両神も
祀られています。
こちらは「雞姫弁財天社」です。

ご祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ
のみこと)で、弁財天としての
立身出世、音楽、芸術、学問、弁才、
開運、財福、福徳の神で、婦人病
平癒の信仰があるとのことです。
弁慶社です。

武蔵坊弁慶が祀られています。
闘雞神社の境内に「藤厳神社」が
あります。

江戸時代には田辺地方は
家康の側近安藤直次(藤厳公)が
支配し、明治に至るまで安藤氏が
治めていました。
1886年(明治19)に有志が、田辺の
原型を作った直次を崇敬するため、
ここに建立されました。

画面にポインターを置くと奥の本殿の
様子をご覧頂けます。
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