大斎原 (おおゆのはら)
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熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋が架けられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのが
しきたりでした。音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域を訪れたのです。
ところが1889年(明治22年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、
水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
現在の大斎原は熊野本宮大社の主祭神「家津美御子大神」(けつみこおおかみ)が降臨したとされるパワースポットになっています。
熊野本宮大社から歩いて10分ほどの
所にある大斎原です。
日本一の大鳥居が入口です。

前夜の台風の影響で実り始めた
稲が見な横倒しになっていました。
大斎原への道の途中、左手に
鳥居が見えます。
熊野本宮大社と大斎原の中間地点に
ある「産田社(うぶたしゃ)」です。
このお社には、伊邪那美命
(いざなみのみこと)の荒御魂(あらみたま)
がお祭りされています。

子授け・安産のご利益があると
言われています。

時間の関係で本殿までは行けません
でした。
日本一の大鳥居です。
前述のごとく、高さ34mあります。
  大鳥居を入ると、まず手水鉢が
あります。

水鉢には「蘇」の字が、鉢の上には
黒い玉に「魂」の字が彫られています。
参道入口には世界遺産の石碑が
立っています。
「熊野本宮大社 旧社地大斎原」と
記されています。


参道跡はこのような林の道に
なっています。
旧社殿があった場所は
桜の木が植えられ、春には
素晴らしい場所になる感じです。

右寄りの奥に石祠があります。
広場にある「石祠」です。

12柱の神さまからなる「熊野権現」の
8柱と熊野本宮大社の末社が、
それぞれ石の祠にお祀りされています。

左側の石祠は熊野権現8社です。
右側の石祠は元境内摂末社です。

境内にある「一遍上人神勅名号碑」です。
1971年(昭和46)に建立されています。

一遍上人(1239〜1289)は、鎌倉中期
から室町時代にかけて日本全土に
広まった浄土系仏教、時宗の開祖です。

一遍上人と熊野の関係は、修行僧の
一遍(当時は智真)が熊野本宮大社の
証誠殿で熊野権現のお告げを受けたと
言われていることによります。
稀山の句碑があります。

「しばらくは 花の下なる 御輿かな」

稀山は少し調べましたが、いかなる
人物かは不明です。
音無川を大斎原(右手)から石橋で
渡ります。

昔は橋がなく、そのまま川を渡るのが
禊になったそうです。
残念ながら台風の影響で流れは泥水です。
橋を渡った右手にこの広場があります。

本宮大社のシンボル・八咫烏のマークの
入った石が置かれています。
八咫烏の石碑のある所から眺める
音無川と大鳥居です。

大斎原は熊野川、音無川、岩田川の
合流点にあります。
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