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熊野古道は前述のように6本の道があります。 中辺路は熊野本宮大社を軸に東西に繋がる参道です。 大辺路が貴族の参道だったのに対し、中辺路は一般大衆の 参道だったようです。一説には鎌倉時代は中辺路が公式参詣道(御幸道) であったともいわれています。ただ、滝尻王子から本宮への道は 大変険しく、女人などは大辺路経由したものと思われます。 左図のごとく田辺の滝尻王子からのルートと那智勝浦から大門坂を 通るルートがあります。熊野川沿いに新宮へ出る道もあったようです。 我々は初日に田辺から本宮本社経由熊野川沿いに新宮へ出て、伊勢路を 東へ向かい、花の窟神社へで、翌日に那智勝浦から大門坂経由那智大社・ 青岸渡寺から再び新宮へ出て、伊勢路を伊勢にと向かいました。 徒歩では本宮の北寄りにある平岩口から歩き始め、三軒茶屋跡経由、 祓殿王子に出て、本宮大社から大斎原(おおゆはら)までの3kmほどを 歩きました。また、翌日は大門坂から300m程古道石畳を経験しました。 |
平岩口でバスを降り、いよいよ 熊野古道を歩きます。 熊野古道の三軒茶屋跡まで 舗装された道路を700m程登ります。 先頭を行くのは語り部の山崎さんです。 |
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台風の余波で道路には木々の 破片が散らかっています。 |
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途中からは山道になります。 両側にはシダ系統の草が多いです。 |
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熊野古道には特有の植物も見られます。 語り部さんの説明では 左は「ヒトツバ」です。シダの仲間です。 右は「ミツマタ」です。紙の原料で、 吉野の紙は上質だそうです。 春には花が咲きます。 夫々の特徴の説明もありましたが、忘れました。 |
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九鬼ヶ口関所は本来は国道168号の 辺りにあったものを、ここに復元 されのだそうです。関所を通るには 通行手形と通行料が必要で、通行料は 江戸時代で十文(今の価値だと200円 くらい)したそうです。 関所跡の左奥が元茶屋があった 場所らしいです。 |
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現在、右手に茶屋ができています。 この場所は二つのルートの合流点 だったそうで、お茶屋が丁度休憩所に なったようです。 |
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茶屋跡にある道標です。 左きみい寺・三十一り半、 右かうや(高野)十九リ半 と刻まれています。 |
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三軒茶屋跡からはこのような 石組の道が結構あります。 |
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長さの異なる石段で結構疲れます。 前を行くのは語り部さんです。 流石に山歩きには慣れていて、 軽やかな歩みです。 |
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途中にある道標で「72」と 刻まれています。 滝尻王子から72番目の道標で ここまでの距離で36kmです。 我々が歩いたのはここまで1kmほどです。 |
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途中に「ちょっと寄り道」の表示のある 分かれ道があります。 寄り道をすると見晴らし台に出ます。 見晴らし台からは熊野川の流れが 眺められます。大きく蛇行する 熊野川が望めます。 |
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上図の右手方向には 元の熊野本宮大社のあった 「大斎原(おおゆはら)」が 眺められます。 現在は日本一大きい鳥居だけです。 参拝道を歩いてきた昔の人は ここから大社を眺め、あと少しと 気持ちを奮い立たせたのでしょう。 |
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中辺路のあちこちには遺跡が 有るようですが、ここは「祓殿石塚遺跡」 と称される所で、出土した品の レプリカが置かれていました。 出土品は江戸時代後半の陶器や 銭貨なので、この頃に作られた 石塚と考えられます。 |
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「祓殿王子」の前にある道標です。 75と刻まれており、中辺路の終点を 表わしています。 滝尻王子から75番目で37.5km あります。 |
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「祓殿王子」です。 祓所とも祓戸とも呼ばれますが、 熊野本宮大社に入る前ここで心身を 祓い清め、新たな想いで熊野本宮大社に 詣でるための王子です。 参加者一同、語り部さんの合図で 礼拝しました。 |
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いよいよ「熊野本宮大社」到着です。 ここは正門ではなく、裏門になります。 今回は裏から正面へと回りました。 |
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