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工房の説明書には黄八丈について下記説明があります。 『黄八丈が内地へ渡ったのは、遠く室町時代に貢物として納めたのがはじまりとされています。おそらく島の名も八丈絹を産する島ということで、 いつしか八丈島と呼ばれるようになったものと思われます。 それから、江戸時代を経て明治のはじめに至るまで、島の織物はすべて年貢として内地へ運ばれました。 その間に黄八丈の名は、南島独特の色合い等により広く世間に知れ渡り、各地に模造品ができるほど愛好されるようになりました。 はじめは、大奥や大名などの限られた階級で使われていたようですが、やがて町娘の間で流行したり、また、黄色の不浄除けの意味から 医者の決まった衣服となり、島出来の物はなかなか手に入りにくく値段も高かったようです。 なお、黄八丈という名称は島で「黄八」と呼ぶ黄色を主調とした織物のことで、他に黒色が主な「黒八」樺色の「鳶八」などがありますが、 やはり目に鮮やか な 山吹色の黄色が人々に斬新な感じを与えたようで、黄八丈は島の織物を代表する呼び名になりました。』 |
機織り機です。 若いお嬢さん(前二人)や 若い男性(後ろの織機)が 織機を操っていました。 |
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黄八丈の基本の色です。 左は黒八で材料は椎の樹皮ですが、 2〜3年枯らした物を藁で束ねて煎じます。 鉄分を多く含む泥土を漉した物へ糸をつけ、しばらく寝かせたのち清流が流れる 小川でよくすすぎ、かたく絞って干します。 中は鳶八で材料は島に自生する 「マダミ」の樹皮で本土でいう「イヌグス」 です。媒染には灰汁を使います。 右は黄八で材料はコブナグサ(小鮒草) を用います。このコブナグサを島では 「カリヤス」と呼びます。 秋口に穂の出かかった頃刈って干しあげ、 大釜で2~3時間煎じます。 媒染には灰汁を使います。 何れの色も同じ事を十数回繰り返し、 やっと色が付きます。 |
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工房の裏手には「工芸館」があり、 古い時代の織機が置かれています。 |
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古い時代の織機の展示です。 現在も使用しているようです。 |
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こちらの織機は裏表両方に 同じ模様を入れることが出来ます。 真中の丸い石は糸を強く引くための 錘です。 画面にポインターを置くと拡大画面を ご覧いただけます。 錘が無いと二重に織るのが難しい 様です。 |
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織り上げられた二重織の帯です。 裏表全く同じ模様になっています。 織り上げるのに大変時間がかかる との事です。 |
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