東京都の風景   関東の風景   日本の風景   トップページ
八丈町
八丈町は東京都の南伊豆諸島の内の八丈島と八丈小島を町域とする町です。八丈小島は現在無人島です。
人口は七千五百人強で、大賀郷(おおかごう)、三根(みつね)、樫立(かしたて)、中之郷(なかのごう)、
末吉(すえよし)の五集落から成り立っています。八丈島は八丈富士と三原山の二つの火山が連なった瓢箪型をしています。
八丈町は島の面積72.23㎢で1908年(明治41)に八丈支庁
として現在の5部落が5村として設置されました。そのご、1955年
(昭和30)に八丈小島の2村を含め7村が八丈町となりました。
1969年(昭和44)には八丈小島の住民が全て離島し、無人島と
なり、現在の八丈島5部落体制が成立しています。

三原山(東山)は14万年前頃の火山噴火により形成された島が、噴火を
繰り返し、3~4万年前に現在の三原山の形が出来たようです。
更に、1万3千年前頃にこの島の西北に新たな火山が活動を始め、
八丈富士(西山)が形成されています。この溶岩流が三原山の麓にまで
流れ、今の島の形状が出来上がったようです。
従い、二つの山の間には平坦な部分が形成されました。

島では稲作も行われたようですが、収穫時が台風シーズンにあたり
歩留まりの悪さから、現在は全く稲作は行われず、米は全量本土から
運ばれています。現在の町の収入は農業20億、漁業20億、観光40億
と言われています。農業は観葉植物の栽培が主力だそうです。

流人の島と言われていますが、政治犯等知識レベルの高い流人も多く、
日本で2番目に小学校が出来たり、焼酎の製造をしたり、石垣を組んだり、
文化面でのレベルも高かったそうです。流人は地元民と同じ生活を
していたのだそうです。

八丈島
八丈町のほぼ全域となる八丈島は伊豆諸島の南部にある島で、黒潮の流れよりも南にあります。
通常は黒潮より南では雪が降らないとの事ですが、2018年1月には3度も雪が降り、八丈富士・三原山共に冠雪が
有ったそうです。地球規模での天候異常を感じさせます。
八丈島は伊豆諸島南部の島で、東京都に属しています。

伊豆諸島は江戸時代には幕府直轄でしたが、明治時代初期には
静岡県に属していました。1878年(明治11)に所轄が東京府へ
移されています。

現在、八丈島へは羽田空港からANA便が1日3便あり、
所要時間約45分(実際のフライト時間は約35分でした)です。
竹芝桟橋から1日1便の客船があり、所要時間約11時間です。

以前は名古屋などからも航空便があったそうですが、乗客が
少なく、就航中止されたそうです。

温暖な島との認識で2018年1月末に八丈島を訪れました。
実際は、東京都内とほとんど変わらない寒さで、たまたま雨にも
遭わず、風もそれほど強くなく、まあまあ島旅を楽しめました。
現地のガイドさんがこの時期にこの様なケースはめったにないと
言ってました。
観光シーズンは「花と緑と温泉の島」を楽しめる、4~5月、
10~11月がベストとの事です。
2月は風が強く、欠航も多く、6月は湿度が高く、衣服が湿気で
濡れる程らしく、避けた方がよさそうです。 

今回廻った場所は上図のアルファベットで記した場所で、
2泊3日(実質丸2日)の旅程でした。
羽田から八丈島へ
羽田空港12:15発のANA1893便で
八丈島へ向かいます。
離島便と言う事でしょうか、69番ゲート
は最も端のゲートでした。

思っていたよりは大型機(A320)で、
それでも満席状態でした。

定刻の搭乗でした。
滑走路でANN機とLCC機が並走
していました。
小型のLCC機の方がスピードが
速く、追い抜いて行きました。
LCCの負けん気でしょうか。
順調な離陸でしたが、ガスが出て
富士山を望むことが出来ませんでした。

羽田空港の滑走路が見えています。
伊豆大島も冠雪があります。
新島が見えています。
三宅島は雲の下でした。
噴火口が見えず残念でした。
八丈島の遠景です。

左が東山(三原山)、
右が西山(八丈富士)です。

島の東側からの進入になります。

八丈島空港は山の間の平地に
設けられています。
火山流の関係で、海岸線は岩と崖で
砂地は殆どありません。

八丈富士の麓になります。
八丈富士は水を含み易い地質(焼砂)で
形成されており川がありません。

三原山は玄武岩主体で色々川や滝が
あります。
空から見る八丈町の三根地区です。
この地区が島では最もにぎやかな
場所です。

中央の通りは八丈中央通りです。

奥は底土港(神湊港)です。
滑走路から見る八丈富士です。

七合目付近で段に見えるのは
当初の火山が爆発後、カルデラが形成
された後に、更に噴火があって、
カルデラにもう一つ山が出来たためです。

山頂は火口があり、カルデラになって
いるそうですが、今回は頂上までは
登れませんでした。
七合目から往復約90分は掛るそうです。
八丈島空港です。

画面にポインターを置くと
空港ビルの拡大画面をご覧いただけます。
八丈町末吉地区
末吉地区は八丈島の東にある集落です。
三原山の周辺にある集落は末吉地区を含め坂上と呼ばれており、八丈島の人口の2割ほどしか住んでいません。
中でも末吉地区は人口500人弱で風光明媚な温泉と八丈島灯台以外には何もない地区です。
八丈八景のひとつ「名古秋月」の
場所である「名古の展望台」です。

末吉地区に入ってすぐの場所にあり、
高台からの眺望がなかなかの場所です。

名古秋月:
八丈島の最南端にあり、名月鑑賞の
最適の場所として八景に選ばれ、
この名がついているそうです。

展望台からの眺望です。
島の南方向の眺めです。

下に見える漁港は洞輪沢(ほらわざわ)
漁港です。

この漁港の中に洞輪沢温泉があり、
掛け流しの湯です。サーファーなどが
愛用しているようです。
石鹸・シャンプーの使用は禁止されて
います。

画面にポインターを置くと漁港の
拡大画面をご覧いただけます。
港の奥にある建物が温泉浴場です。
崖には椰子が並んでいます。
海風を受けるので、どうしても葉が
枯れるのだそうです。
1986年(昭和61)に建立された
「第16震洋特別攻撃隊慰霊の碑」
で、安倍晋太郎が揮毫しています。
碑文は「太平洋の黒潮に偲ぶ」と
記されています。

碑の台座の碑文は昭和19年に
海軍の特攻隊として編成された
震洋特別攻撃隊についての説明が
されています。

べニアの特攻船の震洋については
当HPの奄美大島の加計呂島で
その模型を見ることが出来ます。
みはらし台への道辺に咲いていた
花です。名前教えてもらいましたが
メモが見つかりません。

1月末は花には厳しい季節の様で
アロエ以外にはあまり花を見掛けません。

椿はありますが、大きな虫が付くとかで、
八丈島の椿は殆どが切られたそうです。
八丈島でもトップランクの温泉
「みはらしの湯」です。

露天風呂からの見晴らしが素晴らしく、
湯船から御来光が見られるとの事で、
元旦にも営業しているらしいです。
浴場内へのカメラの持込みは
禁止されているので、露天風呂の
様子は資料からの拝借です。

撮影は営業前ならねぇと番台のおばさんが
言ってました。
こちらは脱衣場の洗面台からの
眺めです。ちょっと失礼しました。
浴場の休憩室からの眺望です。

手前の水槽は温泉ではなく、単なる
池です。休憩室から崖の方へ行けない
ようにしているのでしょう。

中央に見える半島は島の南端部、
小岩戸ヶ鼻です。
末吉地区の石積ヶ鼻にある
「八丈島灯台」です。
1951年(昭和26)に点灯されました。

今回は灯台の近くまで行けず、
みはらしの湯からの灯台の頭部だけを
見ることが出来ました。

八丈町中之郷地区
中之郷地区は八丈島の南にある集落です。玉石垣に使われている玉石が産出される地域でもあります。
玉石はここからバケツリレーの方法で大賀郷大里まで運ばれて玉石垣が作られたのだそうです。
この地域には滝や地熱発電所などがあります。坂上地区では一番人口の多い集落です。三原山もこの地区に属します。

中之郷地区は八丈一周道路の南端に
あります。
道路は八丈一周道路で、二車線に
なっています。この一周道路は大型バスは
末吉までしか通れません。
それより北方向は狭い山道になっている
そうです。

街路樹はヤシの木で南国ムード
一杯ですが、1月末の気温は8℃です。
今年(2018年)は特に寒いとの事。
中之郷地区に入ってすぐの所に
黄八丈の工房があります。

「黄八丈めゆ工房」です。
「ゆめ」ではなく、めゆで、これは
当主のお母さんの名前だそうです。

黄八丈の機織りは若い人ばかりです。
熟練のお婆さんが織っているかと
思いきや、若い織子さんばかりで、
黄八丈の織には若い力が必要だそうです。

江戸時代には織手は20~40歳に限定
されていたとの事です。
それだけの力仕事だったのでしょう。

工房の様子は下記ボタンからお入り
頂けます。

黄八丈めゆ工房
末吉行の路線バスに遭遇しました。
お客さんは一人だけでした。

路線バスは2路線あり、夫々1日6本ほど
運行されているそうです。

このバスは三根地区の神湊から
末吉までのバスです。

ちょっと見難いですが、車両ナンバー
プレートは「品川」ナンバーです。
島内でも期間限定で免許取得が
出来るそうですが、基本は都内の
試験場で受ける事に成るようです。
「裏見ヶ滝」へ向かう途中に出会う
ヘゴシダ林です。

シダの幹が蛇に似ていることから
蛇木(ヘゴ)と呼ばれるようになった
そうです。

八丈島のヘゴシダは国の天然記念物
らしいです。
滝への道の途中にある「為朝神社」です。

源為朝が祀られている神社ですが、
参道が玉石で積まれており、現地の人でも
登るのが危ないとの事で、本殿へは
行くことが出来ませんでした。
「裏見ヶ滝」です。
雨の多い季節には滝の水量も
多いそうですが、今回はこの程度の
滝でした。

下図左は滝の右手からの眺め、
中は滝の裏からの眺め、
右は滝の左手からの眺めです。
滝の下流に架かる木橋です。
流れも何となく亜熱帯を感じさせます。

翌日に滝の近くから地熱発電所へ
向かう道路で、河津さくらの咲いている
場所がありました。

八丈島では大島桜、寒緋桜、河津桜など
何種類かの桜があるようですが、
ソメイヨシノは殆どないそうです。
花見の習慣もないとの事です。
地熱発電所です。
発電所の設備です。

中央の大きなパイプに蒸気が
集められて、タービンを回すようです。

発電量は3,000KWHで島内の一部の
電力をカバーし、主力は火力発電で
1万KWHを供給しているそうです。
「地熱館」です。

館内には地熱に関する資料展示と
地熱実験装置などがあります。
地熱館の2階展望所から「青ヶ島」が
見えました。
薄らと正面に見える島が青ヶ島です。

青ヶ島が見える翌日は八丈島の天気は
悪くなるそうです。
我々はこの日が旅の終わりで助かり
ました。

地熱発電所の近くにある
農産物販売所の「えこ・あぐりまーと」
です。
地熱栽培野菜などを販売しています。

立っている木は「龍血樹」です。
幹を傷つけると血のような樹液が
流れます。

温室には色々な亜熱帯植物があり、
販売所では地元産の野菜や花の苗、
花卉類を販売しています。

温室内の状況は下記ボタンから
お入り頂けます。
えこ・あぐりまーと

八丈町樫立地区
立(かしたて)地区は八丈島の南南西にある集落で、坂上になります。人口は550人強です。
大坂トンネルを抜けると坂上地区の樫立に入ります。
樫立にも黄八丈会館や、石室などがありますが、今回は服部屋敷のみの見学でした。
江戸時代、お船預りを務めていた
服部家の屋敷跡です。

「お船預り」とは、米に代わる年貢として
黄八丈を納めるための御用船の船頭の
ことで、島では代官に次いで重要な
役目だったとされています。

入口は流人の築いた二重の玉垣が
遺されています。

建物等の遺跡はありません。

屋敷内にあった樹齢700年の
蘇鉄です。この蘇鉄は雌雄あり、
雄にも花が咲きます。

過ってはこの蘇鉄の雄花が咲くと
御赦免になるといわれ、御赦免花と
称されています。
詠み人知らずの歌が遺されています。

「嬉しさを ひとにも告げん さすららへの
みゆるしありと 赦免花咲く」

蘇鉄の前の木板に上の歌が記されて
います。
屋敷内にある「金毘羅宮」です。

服部氏は船預かりと言う役職で
その意味からも金比羅宮をお祀り
していたのでしょう。
屋敷内には舞台が設えられており、
こちらで地元に伝わる樫立踊りと
流人のやるせない心情を太鼓の音に
託したと言われる八丈太鼓の上演が
行われています。
樫立踊りです。

黄八丈に身を包んだおじさんと
おばさんが地元に伝わる踊りと歌を
披露してくれます。

画面にポインターを置くと
踊りの別の場面をご覧頂けます。
八丈太鼓です。

太鼓は昭和48年製のものです。
ここの名物とも言われる
パッションフルーツの生ジュースも
600円也で求めました。

口に残るつぶつぶもそれらしくて
美味でした。
服部屋敷を出た所にある駐在所です。

横には「樫立住民総会百年記念」の
碑が立っています。

駐在所にはパトカーもあります。
八丈町大賀郷地区
大賀郷(おおかごう)地区は八丈島の西から北西部に広がる集落です。地区内には町役場や空港もあり、
島の中心的地区となっています。人口は約2600人で島では二番目の地区です。
八丈富士の西側は地区内ですが、頂上含む東側はお隣の三根地区となっています。
地区内にあったふるさと村は2018年1月の火災で焼失しています。
宿泊ホテルから八丈富士の中腹に
ある、ふれあい牧場への道辺に
浅間神社の名入り石碑と鳥居が
ありました。

八丈富士頂上にある浅間神社の
入口の意味でしょうか。
八丈富士へ向かう道路から眺める
三根地区です。
正面手前小高い山は「神止山(かんどやま)」
(195m)です。
右寄りの集落は三根の街並です。

神止山については伝説があります。

「昔、江戸時代の頃、19人の船乗りが
島に向かう途中、深い霧に囲まれて
危うく遭難しそうに なりかけました。
ほどんど諦めながら、ひたすら祈っていると、
一筋の光が空から差して、赤い衣を着た
天女が山の上に降りてきました。
その天女の姿に力を得て、必死に舟を
漕ぎ無事に島に到着。この事があってから、
天女が降り立った山を神が止まる山、
神止山(かんどやま)と呼ぶようになりました。
到着した港を「神の湊」 神湊(かみなと)と
名づけ、船員19名はそれまで浅沼と
名乗っていましたが、沖から山を見る
沖山と改名しました」(八丈実記)

現在でも三根には沖山姓の方が
おられるそうです。

神止山は戦時中は地下連隊本部壕が
有ったそうです。
八丈富士七合目にある
「ふれあい牧場」です。

黒牛が放牧されています。
牛舎はなく、餌場だけがあります。

正面奥に見える台状の場所は
展望台になっています。

左手に見える集落は大賀郷です。
牧場の展望台から眺める南方向、
三原山と左・三根、右・大賀郷です。

中央の茶色い部分は八丈島空港です。


展望台から北方向を眺めると、
正面に八丈富士が見えます。

ふれあい牧場の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

ふれあい牧場
山から麓の空港方面に下る途中で
バスの後方に軽自動車がついてきました。
ナンバープレートは品川ナンバーに
なっているのをご覧いただけます。
今回、八丈島滞在中の観光バスで
3日間ガイドをしてくれた大山さんです。

八丈島の観光バスは町営で、運転手、
ガイドさんは町の公務員です。

画面にポインターを置くと
バスの様子をご覧いただけます。
空港の傍に有る「八丈植物公園」です。

手前の火山石は八丈島の形に
セットされています。
奥に見える山は八丈富士です。

アロエと椰子の間から八丈富士が
眺められます。

亜熱帯の風景です。

植物公園の内部については
下記ボタンからお入り頂けます。
時間の関係で、ビジターセンター
以外の場所には殆ど回れませんでした。
八丈植物公園

八丈島内燃力発電所です。
八丈中央道路沿いにあります。

発電能力は1万Kwhあります。
地熱発電の3倍の発電量があり、
島内の電力需要を賄っています。

東京都は八丈島の電力を地熱発電に
重点を移す方向で検討を進めている
との事で、この発電所の老朽化に
対処するようです。

植物園の後は大賀郷地区南部にある
玉石垣を訪れました。

玉石垣は樫立地区の海岸に
多く見られる玉石で積まれています。
玉石は真ん丸ではなく、ラグビーボール
のような形をしているそうで、先端部を
外に並べて積んでいます。

右手の石垣は陣屋の石垣として組まれ、
内側に弓なりに沿って積まれています。
これを築城積みと言うそうです。

左手の石垣は直線の積み方で一般
家屋の石垣として組まれ、土手積みと
呼ばれています。

玉石垣の詳細とふるさと村の焼け跡は
下記ボタンからお入り頂けます。

 玉 石 垣
陣屋跡です。
石垣の残骸以外には全く何も
ありません。

案内板は立っていますが、
読みにくく、内容把握が難しいです。



玉石垣のページの頭の説明文と
ほぼ同じ説明です。

陣屋跡に近い所に
「八丈島歴史民俗資料館」が
あります。

この建物は1939年(昭和14)に
建てられた旧八丈支庁舎です。
国の登録有形文化財にも指定されて
います。

2018年3月に建物を東京都に
返還するため、資料館は閉館される
との事です。
その後の事はまだ決まってないようです。

資料館の内部などは下記ボタンから
お入り頂けます。
民俗資料館
大賀郷地区から樫立地区へ向かう
八丈島一周道路です。
高架橋になっていますが、旧道は高架の
右側の山腹に沿って有ったそうです。

奥が坂下(大賀郷)、手前にトンネルが
あります。大賀郷地区の南端で地区境に
なっています。

大坂トンネルの手前の展望台からの
眺望です。

大坂トンネルは1907年(明治40)に
竣工した全長151mのトンネルで、
坂下と呼ばれる大賀郷地区と坂上と
呼ばれる樫立地区を結ぶ島の重要な
生活道路となっています。

現在のトンネルは八丈島一周道路の
建設時に6年の歳月をかけて、
1968年(昭和43)に完成しています。

展望台からは大きく裾野を広げる
八丈富士や黒々とした玄武岩が広がる
南原千畳岩海岸、青い海に浮かぶ
八丈小島が一幅の絵を見るかのように
並び、その壮大で秀麗な展望は
「大坂夕照」として、八丈八景のひとつ
にも数えられています。
大坂トンネル展望台(左)です。

右手の道路は旧道で山裾を通って
いましたが、新しい橋の完成で
現在は使用されていません。

大型バスなどの駐車場として利用
されています。

横間ヶ浦海岸です。

この海岸には玉石が多くあるそうです。
玉石垣のために、流人が玉石1個を
握飯1個で約1kmある大里まで運んだ
との事です。
大賀郷の風景の一つです。
公園になっていますが、椰子の木が
珍しい形をしています。
大賀郷地区の西寄りにある
「あしたば加工工場」です。

ここでは農家から集めた明日葉を
粉末加工して、種々の商品を
作っています。製品販売もしています。

この建物は、元ゲームセンターで
そのまま工場として使用しています。

画面にポインターを置くと
ゲームセンターの外装のままの
建物をご覧いただけます。
加工工場の製品群です。

左上は京都の八つ橋会社と共同で
製造したあしたば八つ橋です。
八丈島名産と銘打っています。

左下は明日葉パスタです。明日葉粉を
練り込んでいるそうです。

右は明日葉茶で粉末を水に溶かせて
飲用します。血圧に効くとの売り言葉で
一袋買ってきました。
大賀郷地区の西寄り海岸に
「宇喜多秀家と豪姫の像」があります。

宇喜多秀家は八丈島流人の第一号で
元備前の大名でしたが、関ヶ原の戦いで
敗れ、薩摩に逃れたものの、家康に
八丈島へ流されました。

正室のお豪は前田家の出で、流された
あとも、前田家からは色々と支援物資が
八丈島に届けられたそうですが、途中で
抜かれて、殆ど本人には届かなかったと
云う事です。

墓は同じ大賀郷の中央通り沿いに
あります。(下図)

大賀郷地区の海岸には八丈富士(西山)
の噴火溶岩台地が広がっています。

「南原千畳岩海岸」と名付けられています。
ごつごつした溶岩が海岸に広がっています。

溶岩台地から八丈小島が眺められます。

海岸の様子は下記ボタンからお入り
頂けます。

千畳岩海岸
ここからは三根地区に入りますが、
周回道路の走行ルートの関係で
大賀郷地区に掲載しています。

元小学校の跡地にアロエ園が
作られています。

この石碑は昭和32年から49年まで
存在した永郷小学校記念碑です。
17年間の卒業生総数は98名、
閉校時の在校生4名と言う小さなん
小学校だったそうです。

左手の丘の上がアロエ園になります。
アロエ園のアロエ群です。
植栽されたものです。
丘一面がアロエになっています。
「大越鼻灯台」です。

アロエ園の側である島の北端部にあり、
塔の高さは15m、海面からの高さは
99mあります。
1961年(昭和36)に初点灯されて
います。

八丈島の北の海岸を照らしています。
周辺にはロベリニーやビロヤシの
群生地もあります。
灯台の近くから眺める
八丈小島の夕景です。

八丈島周回道路の東側、三根地区の
海岸沿いに延びる直線道路は
サッカーの長友選手が練習場として
使っていたそうで、「長友ロード」と
名付けられています。

道路沿いには記念碑も立っています。
(下図)


八丈島滞在中に2連泊したホテルで、
「リードパークリゾート八丈島」です。

二階建てのホテルで、東側は海が、
西側は八丈富士が望めます。

ホテルの詳細は三根地区に
掲載しています。
八丈町三根地区
三根地区は八丈町では最も賑やかな集落で、人口も最も多い4千人近くが澄んでいます。
客船の港(底土港)があり、飲食店街もあって、飲み屋街の親不孝通りまであるそうです。
大型ホテルも何軒かあります。今回我々のホテルも三根地区の北東部の海岸近くにありました。
ホテルからは海と八丈富士が眺められます。食事も殆どこの地区で摂りました(基本的にホテルですが)。
1日目の夕方にホテル着です。
ホテルの玄関です。

「リード パーク リゾート」ホテルでは
八丈島滞在中の2泊しました。

2階建てのホテルですが、まずまずの
環境と設備のホテルでした。
玄関入り口部分です。
ロビーになります。

客室は正面の廊下左右に並んでいます。

右は海側、左は山側の部屋になります。
ホテルから眺める八丈富士(西山)です。

ホテルの建物です。
客室部分です。反対側(右手方向)の
1階はレストランや大浴場になっています。

滞在中のホテルでの食事内容は
下記ボタンからお入り頂けます。

 ホテルと食事
三根地区の街の様子です。

殆ど車の通行はありません。
人を見るのも難しいです。

これでも八丈島最多人口を持つ
地区です。
2日目の昼食の場所の近くの
街並です。
商業地区には見えない佇まいです。
2日目の昼食の場所です。

「あそこ寿司」で名物亭主のいる店です。

色々と煩いけれど、客人を楽しませようと
努めているのは判ります。

画面にポインターを置くとご亭主を
ご覧いただけます。

岩のりの説明をしている所です。
昼の寿司セットです。

器の真中の巻物は鮪まがいの魚で
キツネと呼ぶそうです。
亭主はこれを一番に食えと煩いこと。

右側の握りの下から上へ 金目鯛、
アオリイカ(バショウイカとも云う)、メバチ鮪、
岩のり、メダイ2貫、島寿司2貫です。

島寿司はネタを醤油漬けにして、砂糖で
甘味を付けた酢飯で握ります。
ワサビではなく、練からしを使うのが
特徴になっています。

お吸い物はトビウオのすり身団子と
岩のりの入ったすまし汁です。

何れも美味でした。
お寿司屋さんの座敷の床の間です。

掛かっている凧は八丈凧で
縦長の長方形になっています。
亭主が孫のために買った凧だそうです。
為朝凧とも言われ、凧に足が無く、
糸目が長く、本数も多いです。
寿司屋の近くに「天照皇大神宮」が
あります。
同じ名前の神宮が大賀郷地区にもあり、
こちらは「護神」と呼ばれます。

10月には神宮祭が行われ、船主さんが
祈願に訪れるようです。

画面にポインターを置くと二の鳥居からの
本殿をご覧いただけます。
神宮の本殿です。
緋寒桜が咲いていました。
底土港の一部です。
八丈島の東側の海岸線になります。
警視庁八丈島警察署です。

三根地区にありますが、大賀郷地区の
境界近くになります。
八丈島空港から羽田へ
2018年1月29~31日の3日間の八丈島観光を終えて、昼には八丈島空港へ出ました。
八丈島は全日空機しか便がありません。基本は9:00,14:05,17:20の3便です。
今回は14:05のANA1894便利用です。団体ツアーの為、12時過ぎには空港に到着です。
昼食も空港のレストランで摂りました。羽田着は15:00で、帰宅するには良い時間です。
空港の前にある空港通りです。

土手にはアロエがびっしりと植えられて
います。
人工的に植えたものだそうです。

並木は勿論ヤシの木です。
空港ターミナル正面です。
空港ターミナルの入口から眺める
八丈富士です。

手前のモニュメントは東京都文化デザイン
事業(昭和61年3月)によるモニュメントで、
空港ビルの目の前にあります。
このモニュメントは八丈島の「八」の字を
立体的に構成し、中央のレリーフ・
スクリーンは島の自然・風物・伝統を
表現しているのだそうです。

レリーフが見難いですが、下図のように
なっています。

空港ビルの横から眺める滑走路です。

右は八重根港になります。

空港内レストラン「アカコッコ(伊豆諸島
固有の鳥の名前)」で昼食を摂りました。

左:明日葉そば、明日葉の天婦羅付、
明日葉を練り込んだ麵ですが、そば粉は
使ってないとの事で、ラーメン的な麵です。

右:ひんぎゃ塩ラーメン
ひんぎゃの塩とは、青ヶ島で
地熱蒸気を利用して、平釜でじっくり
仕上げた塩です。
搭乗機から眺める八丈富士です。

心配した雨風もなく、定刻に離陸しました。
往路に比べ復路は搭乗客も少なめで、
3席に2人掛けでした。
恐らく最終便の17:20発は満席に
なるのでしょう。
離陸後に見える八丈富士と
大賀郷地区の北部です。
到着時は東から着陸に入りましたが、
出発は西向きに離陸しました。

右上の頂上付近白っぽいのは
ふれあい牧場です。

右下プールのある建物は八丈ビューホテル
です。
今回の旅程では最後に眺める
八丈島です。
南原の少し北寄りの景観です。

中央に少し突き出ているのは
船付鼻と呼ばれる岬です。

この左手に八丈小島がありますが、
雲の下になってしまいました。
約35分のフライトで、東京湾です。

右手木更津から東京アクアラインが
延びています。

奥の煙の出ている煙突は
東京ガス袖ヶ浦LNG基地です。

いよいよ最終地点が間近かです。
                       東京都の風景     関東の風景    日本の風景  トップページ