八丈島歴史民俗資料館
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「八丈島歴史民俗資料館」は、国の登録有形文化財に指定されている旧東京都八丈支庁舎の建物を使用しています。
館内には、遺跡から発掘された考古資料や、古文書、流人に関する資料、島内の各地域の民家に残されていた民具、農具、漁具などが
所蔵されています。
館内は9室に分かれており、夫々の部屋ごとにテーマ別に展示品が並んでいます。今回はボランティアガイドの説明で廻りましたが、
反って、展示品をじっくり見る時間がなく、館内を通り抜けただけに終わってしまいました。
元のページでも説明したように、2018年3月31日でこの資料館は閉館となります。
資料館の建物内部です。

廊下の左側に3室、正面奥に
横向きの廊下があり、廊下に面して
6室の計9室の展示室があります。

建物はさすがに古い木造で、
80年近い歴史を感じさせます。
この部屋には宇喜多秀家に関わる
展示品があり、岡山、東京板橋と
八丈島の関わりを説明しています。

下段左の家紋は宇喜多家のものです。

宇喜多家の係累は現在も残っており、
浮田、喜多などに改称した子孫も
多いそうです。
宇喜多秀家の肖像などと、
岡山城の石なども展示されています。
秀家は備前(岡山)の大名でした。
生活用品の一部、壺類の展示です。

焼酎は鹿児島からの流人がその技術を
伝えて造るようになったとの事です。
機織り用の糸繰り機です。
右奥には織機もあります。

年貢や税としてこれらの製品が
納められています。

八丈島の産業の一つ、「くさや」の
製造過程の展示と、八丈小島の
住民の完全移住の時の様子の展示が
されています。

八丈小島に有った「為朝神社」は
島に残されることになり、為朝神像銅板は
この資料館に移されています。

為朝の神像は画面にポインターを置くと
その写真をご覧いただけます。
流人の近藤富蔵は1872年(文政10)
八丈島に流され、滞在中に
「八丈実記」を著し、民俗学者の草分け
と言われています。
その八丈島における活動状況を
展示しています。

資料館の庭にある高倉です。
南国では風水害やネズミ害を防ぐため
穀物倉は足高に造られています。

以前、京都の実家の工場に奄美大島
から移設した高倉がありました。
これより大きく高い倉でしたが、屋根葺き
の職人さんがいなくなり、数年前には
解体されました。

左の高倉は四脚倉ですが、
この隣にあった六脚倉(下図)は東京都の
有形文化財に指定されています。

1929年(昭和4)の昭和天皇行幸啓を
記念して建てられた行幸記念碑です。
更に1982年(昭和57)に昭和天皇・皇后
両陛下は、再び八丈島を行幸啓されて
います。

碑の前にある木は「タコノキ」です。
果実が実っています。

画面にポインターを置くと
正面からの碑をご覧いただけます。
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