両国の風景−2−
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両国には佐倉市民カレッジの仲間と3度訪れています。2008年7月に両国駅の北側、国技館や旧安田庭園、横網公園
などを散策し、2013年に両国駅の南側、回向院や吉良邸、勝海舟生誕地などを巡り、2017年11月に再度北側を歩いています。
2008年の両国の様子は墨田区の風景でご覧いただけます。
−2−では両国駅の南側と、2017年11月の両国駅北側の風景を掲載しています。
JR両国駅南側の概念図です。

京葉道路の南側に歴史・文学の名残を
とどめる地区が続きます。
街中はビル街に変っており、往時の名残は
立札や石碑で表示されています。

両国にある「回向院」です。
正式には諸宗山無縁寺回向院と
称します。

1657年(明暦3)の江戸大火で
亡くなった方を弔うために建てられた
寺院です。

その後の天災地変による死者で
無縁仏が葬られており、
関東大震災の際の10万人の分骨も
納められているそうです。

江戸後期には勧進相撲の定場所が
回向院に定められ、明治末期までの
76年間、いわゆる“回向院相撲”の
時代を日本相撲史上に刻しました。

赤穂義士が討ち入り後の集合場所に
していたのですが、僧に入院を断られ
泉岳寺へ向かったのは有名な話です。

境内に鼠小僧治郎吉の墓の
あることでも有名です。
「塩地蔵菩薩」です。

願いが叶った時にお地蔵さまに
塩を塗りつけるのだそうです。

塩の所為か年代によるものか、
凸凹の激しいお地蔵様です。

地蔵菩薩の前には数多くの塩が
供えられています。
皆さん願いが叶ったのでしょう。
塩地蔵の奥に「鼠小僧の墓」が
あります。

鼠小僧は実在の盗賊で1832年
(天保3)に浅草で処刑されたそうです。
その供養墓です。

この墓を削って財布に入れておけば
お金には困らないとの言い伝えがあり、
現在は墓の前に削り石が置かれ
これを削って持ち帰るようになっています。

画面にポインターを置くと
墓石をご覧いただけます。
墓石の前にある白い石が「削り石」
です。
鼠小僧の墓の横に「猫塚」があります。

昔、魚屋が病気で生活に困って
いたところ、ネコが2両の小判を
咥えて戻って来ました。
ある日、猫が戻ってこなくなり、
商家で2両を咥えて逃げるところを
みつかり、殺されたのだそうです。

魚屋は商家の主人にいきさつを話し、
商家の主人も猫の恩返しに感銘し、
二人で猫を回向院に葬った
のだそうです。

実在したネコの墓として重要な
文化財の一つにされています。

現在、回向院には動物の墓も
多数あるようです。
境内の「馬頭観音堂」です。

この周辺には多くの動物の墓が
置かれています。
回向院の門前に
昔の両国国技館とその跡地に
作られた日本大学講堂の写真が
展示されています。

跡地は現在商業施設(両国シティコア)
になっています。
両国小学校の前に立つ
「芥川龍之介文学碑」です。

画面にポインターを置くと
碑を拡大してご覧いただけます。
杜子春の一部が彫られています。

芥川は生後7か月で両国にある
伯父の家に移り、伯父家の養子として
この地で育ったのだそうです。

旧居跡は両国3−21−4ですが、
現在はビルになっています。

下図は現在の両国3丁目21番の
景観です。

両国小学校の隣に
「両国公園」があります。
両国公園の中には
この様な「ラジオ体操会場」が
設けられています。

最近は夏休みのラジオ体操も
学校周辺の住民の苦情で、
体操も出来なくなっているそうです。
公園内には
「勝海舟生誕の地」の碑が
立っています。

この場所は勝海舟の父・小吉の
実家である男谷(おだに)家が
あった場所で、海舟はここで
生まれました。

子供の頃海舟は、従兄にあたる
男谷精一郎(おだにせいいちろう)の
直心影流の道場で剣術を学びました。

海舟は7歳の時に11代将軍家斉の
目に止まり、孫の初之丞(はつのじょう)
の学友として大奥に住み込みで
出仕することとなり、それまでの7年間を
この地で過ごしました。

「本因坊屋敷跡」です。

ここに本因坊屋敷がありました。
本因坊家は、囲碁の名門で、織田信長、
豊臣秀吉、徳川家康の三人に仕えた
日海(一世本因坊算砂)を開祖とする
家系で名棋手を輩出してきました。
「本因坊」の名は、算砂が住職を務めた
寂光寺の塔頭の一つに由来しています。
両国の「馬車通り」です。

なぜ馬車通りなのか、昔は
馬車が走っていたのか?
その辺の事は判りません。
このビルは元「吉良邸正門」の
有った場所だそうです。

左手の立札に詳細説明されて
います。

1702年(元禄15)12月14日に
大石内蔵助以下23名がこの正門から
邸内に侵入したと伝えられています。

当時の面影はなく、立札にその縁を
知るみです。
「吉良上野介義央(よしなか)邸」跡
です。

本所松坂町公園になっています。

内部には吉良邸の配置図や
大石内蔵助以下36名の署名
義士親類書なども掲示されています。

正面には吉良上野介の像も
置かれています。

画面にポインターを置くと
園内の稲荷神社をご覧頂けます。
敷地内に鎮座する松坂稲荷は、
もと兼春稲荷と称し吉良邸内に
あったもので、この地がまだ宅地開発
される以前から、この周辺の土地に
祀られていたものだそうです。
吉良邸跡にある「吉良上野介像」
です。

画面にポインターを置くと
像を拡大してご覧いただけます。

稲荷神社は左手になります。
鏡師・中島伊勢の住居跡です。
現在は「飯澄神社」になっています。

中島伊勢は幕府御用達の鏡師で、
1763年(宝暦13)に後の葛飾北斎
を養子としています。
その後、養子縁組は破たんしましたが、
北斎は中島伊勢の子供と自称
していたそうです。
工藤写真館に併設されている
「相撲写真資料館」です。
国技館通りに並んでいる
「力士像」の一つです。

通りには幾つもの力士像が
並んでいます。

台座には関取の手形が
貼り付けられています。

残念ながらそれぞれの像のモデルが
誰であるかはメモし忘れました。
国技館通りにある力士像です。
JR両国駅北側の風景
既に、墨田区の風景で主な個所の写真は掲載していますが、2017年11月の散策した折の写真を
追加しています。一部、重複する部分もありますが、約10年前の風景と比べてみてください。
前回(2008年)に訪れた時は、安田庭園と横網(よこあみ)公園を
中心に回りました。
横網公園には1923年9月1日の関東大震災と1945年3月10日の
太平洋戦争における東京大空襲の犠牲者を祀る慰霊堂が
建てられています。
そうした経緯から、横網公園は関東大震災と太平洋戦争の
メモリアルパークと言えます。
園内には二つの事件に関わる、種々の記念碑や慰霊碑が立っています。

両国と言えば、国技館。国技館内にある相撲博物館にも入場しました。
但し、館内は撮影が禁止されています。

旧安田庭園の隣にはNTT・Docomoビルがあり、1階には携帯電話の
歴史が展示されており、新しい技術の体験なども出来ます。

JR両国駅には旧駅舎を利用して、「江戸NOREN」という
レストラン街が作られています。飲食店12店が入っています。
建物中央には両国らしく、原寸大の土俵が作られています。
JR両国駅西口の様子です。

両国駅らしく、壁には大相撲の
浮世絵が飾られています。
駅の入口にはこのように相撲の像も
飾られています。
国技館です。右手は江戸東京博物館、
国技館の奥に見えるビルはNTTドコモ
ビルです。

画面にポインターを置くと
国技館正門前の相撲櫓をご覧頂けます。
国技館の中には「相撲博物館」が
あり、江戸時代からの古文書や
古絵図などが展示されています。

館内の撮影は禁止されています。

画面にポインターを置くと
この時のイベントの案内板を
ご覧いただけます。
国技館の北寄りには
「旧安田庭園」があります。

庭園から東京スカイツリーが
望めます。

この庭園は元大名屋敷を安田財閥が
買い取り、関東大震災で破壊されましたが、
当時の東京市が復元して、1927年
(昭和2)から一般公開されています。

現在は墨田区の所有となっています。
庭園内にある「駒止稲荷」です。

この傍には駒止石があります。
1631年(寛永8)に墨田川の大洪水が
あり、家光がその被害を調べる際に、
阿部豊後守忠秋が危険を顧みず、
馬を進め、対岸に渡って被害状況を
調べて回りました。
その際に、馬を止めて休んだ場所が
此の辺りで、このへんに住んでいた人々が
忠秋の徳を敬い、この駒止稲荷を
祀ったのだそうです。
安田庭園内にある「刀剣博物館」です。

元々は両国公会堂があった場所で、
2008年の写真では赤レンガの
公会堂が写っています。
公会堂は2015年に解体されています。

現在は白い色の建物で、博物館の開館は
2018年(平成30)1月の予定です。

古い公会堂の建物は墨田区の風景で
ご覧いただけます。

博物館の右奥の建物は「同愛記念病院」
です。
旧安田庭園の園内の風景です。

潮入式の回遊庭園として造られた
大名庭園です。
旧安田庭園の隣に横網町公園があります。

ちょっと見ると、両国らしく「横綱公園」に
見えますが、横網(よこあみ)町公園です。

園内には東京都慰霊堂や
東京都復興記念館があります。
東京都慰霊堂の塔です。

1930年(昭和5)に関東大震災
遭難者約5万8千人の遺骨を納める
霊堂として建てられました。

当初は震災記念堂と呼ばれていましたが、
東京大空襲の被害者10.5万人も
この霊堂に奉安されたことから、
1951年(昭和26)に「東京都慰霊堂」と
名称が改められました。

現在16.8万体の遺骨が安置されて
います。


画面にポインターを置くと
塔の前で近くの保育園の園児たちが
遊んでいる様子をご覧頂けます。
彼らが震災や空襲の犠牲となるような
ことの無いようにしたいものです。
慰霊堂の正面です。

画面にポインターを置くと
慰霊堂の内部をご覧いただけます。
慰霊堂の祭壇です。

千羽鶴が数多く並んでいます。
天幕には東京都の都章・銀杏が
描かれています。
慰霊堂の境内にある
「東京空襲犠牲者を追悼し
平和を祈念する碑」です。

2001年に造られました。
碑の内部には東京空襲で犠牲になった
人達の名前を記録した「東京空襲犠牲者
名簿」が納められています。

中央の窪みは名簿収納室への入口に
なっています。
公園内にある「日本庭園」です。

大きくはありませんが、纏まった庭園に
なっています。

日本庭園の側には「東京都復興記念館」
があり、震災で受けた産業設備の
被災状況が記念館の周囲に展示
されていますが、その状況は別項の
墨田区の風景でご覧いただけます。
日本庭園の石垣には数多くの
ツワブキが植えられ、花を付けているのも
散見されます。

画面にポインターを置くと
池の岩に佇む白鷺をご覧いただけます。
空襲での被害が激しかった
石原町3丁目の慰霊碑です。

この慰霊碑の慰霊堂を挟んだ
反対側には鐘楼や震災遭難児童
弔魂像などがあります。
墨田区の風景でご覧いただけます。

国技館と横網町公園の間に有る
NTTドコモ墨田ビルです。

四角のビルも丸型のビルも
その内部の殆どに通信設備が
据え付けられているそうです。

携帯電話の普及による通信設備の
膨大さを感じさせるビルです。
ビルの1階には「NTTドコモ歴史展示
スクエア」が設けられており、無料で
見学することが出来ます。
要請すれば説明も受けられます。

画面にポインターを置くと
携帯電話の歴史が判る展示室の様子が
ご覧いただけます。
NTTドコモ墨田ビルから両国駅へ
向かう遊歩道が作られています。
ビルの谷間ながら、心休まる散歩道に
なっています。
両国駅旧駅舎です。

現在は「両国江戸NOREN」と称する
レストラン街になっています。
両国江戸NORENの内部です。

中央には原寸大の土俵の模型があり、
その周辺にレストランが並んでいます。

2階にもレストランがあります。


画面にポインターを置くと
原寸大の土俵をご覧いただけます。
昼食には門前茶屋成る口で
「深川あさり蒸篭めし」を
食べました。熱々のせいろ飯です。
両国駅の3番線は過ってのお召列車の
出発ホームなどに使用されていた
ようですが、現在は臨時ホームとなり、
入口にはギャラリーが出来ています。

ギャラリーでは両国駅の歴史を
写真展示しています。

画面にポインターを置くと
写真の一部をご覧いただけます。

古い時代の機関車や列車の写真が
満載で、鉄道ファンには嬉しい
ギャラリーでしょう。
江戸東京博物館は2018年3月31日まで
全館休館中です。
再開は2018年4月1日の予定です。
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