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東京国立博物館は1872年(明治5)、文部省博物局が湯島聖堂大成殿において最初の博覧会を開催したとき、 日本最古の博物館としてその産声をあげました。博物館は開館後間もなく内山下町に移転、次いで1882年(明治15)に 上野公園に移り、現在にいたっています。 1889年(明治22)には皇室直轄の帝国博物館となり、この時帝国奈良博物館・帝国京都博物館が同時に設置されました。 1923年(大正12)9月1日の関東大震災は京浜地方に壊滅的な被害をもたらしましたが、帝室博物館でも陳列館として使用していた建物のうち 表慶館を除く第1号館(コンドル設計の旧本館)、第2号館(第1回内国勧業博覧会の美術館)、第3号館(第3回内国勧業博覧会の参考館)が 大きな損害を受け、使用に耐えなくなりましたが、陳列品の被害は軽少であったため、翌年4月には表慶館での展示が再開されています。 戦後は戦災を免れた博物館は1946年(昭和21)3月に再開されています。この時は、旧体制のまま、疎開先から美術品還送も未だ完了していない 状態での開館となっています。 新憲法が公布された1947年5月には帝室博物館は皇室の手を離れて国に移管され、再び文部省所管の博物館となりました。 1999年(平成11)7月には法隆寺宝物館(新館)、さらに同年10月には皇太子殿下のご成婚を記念して平成館が開館されました。 なお、現在の本館は1937年(昭和12)11月に竣工しています。 博物館は日本を中心とする東洋の美術作品と考古遺物を収蔵しています。その数は約11万7000件以上あります。
なかには国宝89件と重要文化財643件(2018年3月現在)が含まれています。 2018年10月に市民カレッジ仲間と訪れました。敷地内には表慶館、東洋間、平成館、資料館、法隆寺宝物館、隣に黒田記念館がありますが、 今回は本館の2階が主で、時間の関係でほかの場所はいずれも見ずでした。 |
本館の正面です。 | |
右手は本館で、左手は表慶館です。 | |
本館正面にある庭園です。 正面奥は上野公園になります。 |
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博物館前庭にある石像群です。 | |
東京国立博物館、通称「トーハク」の ゆるキャラ達が出迎えてくれます。 |
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博物館玄関の内側の様子です。 2階からの鳥瞰になります。 |
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2階の展示室を順路に従い見学すると、 最初に出てくる展示品は 「火焔型土器」(縄文時代中期、新潟県長岡市出土) です。 複雑に発達した把手が燃え盛る炎のように 見えることから名付けられたものです。 煮炊きに使われる深鉢です。 |
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埴輪の「猿」(古墳時代、茨城県行方市出土)です。 埴輪の猿は大変珍しい存在だそうです。 もともとは背中に子猿を背負っていました。 親猿が子猿の様子を見るために少し斜め後ろを 眺めるような形になっています。 顔には赤い顔料が残されています。 重要文化財に指定されています。 |
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「遮光器土偶」(縄文時代)の一つです。 別の展示で青森県つがる市出土の土偶は 重要文化財に指定されています。 |
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「銅造聖観音菩薩立像」の模造です。 飛鳥・奈良時代(7〜8世紀)の薬師寺東院堂 に安置されている銅像から型取りして、 昭和に模造された立像です。 中国唐時代の彫刻の影響が窺われます。 |
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左は「袈裟襷文銅鐸」(弥生時代後期・1〜3世紀) 和歌山県日高町で出土したものです。 中奥は「埴輪・鍬を担ぐ男子」(古墳時代) 群馬県伊勢崎市で出土したものです。 右は「深鉢型土器」(縄文時代中期) 東京都あきる野市で出土したものです。 |
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「金銅装雲珠(うず)」(古墳時代・6世紀) 群馬県伊勢崎市で出土したものです。 雲珠とは馬具のうち、鞍を固定するとともに 馬を飾るために、鞍から尻に回すベルトを結び、 尻の装具全体をつるす役目の物です。 鉄の地金に金銅を張り付けたものです。 |
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「虚空蔵菩薩像」です。国宝です。 |
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上図を含め、仏像の彫刻・絵画のフロアです。 仏像図が集められています。 |
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「阿弥陀如来座像」(鎌倉時代作) l静岡県裾野市の願生寺に伝来した像です。 運慶に通ずる技法が使われており、鎌倉時代 初頭に東国で活躍した運慶周辺の仏師の作と 見られています。 |
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「瑞花鳥鈕八稜鏡」(平安時代・銅製) 唐鏡の文様を取り入れた構図は唐鏡から 和鏡への過渡期の様相を示しています。 唐式鏡と称されています。 つまみ(鈕)の部分が鳥(鳥鈕:とりちゅう)に なっているの鏡は珍しいそうです。 |
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このコーナーは「武士の装い」と称され 武士の鎧兜や刀剣類が展示されています。 この鎧は「樫鳥糸肩赤威胴丸(かしどりいとかた あかおどしどうまる)」(室町時代)で 陸奥の三春藩主秋田家に伝来したもので、 胴に兜と袖を加えた三つ物完備の代表的な 胴丸です。 重要文化財に指定されています。 |
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左:黒漆の大小(江戸時代) 中:三つ鱗紋兵庫鎖太刀(鎌倉時代;重文) 右:梨地桐葵紋糸巻太刀(江戸時代) | |
左:十文字槍(室町時代;銘・金房政次) 中:薙刀(南北朝時代;銘・長船盛景) 右:二十五間星兜鉢(鎌倉時代;重要文化財) | |
こちらは「屏風と襖絵」のコーナーです。 「秋草図屏風」(江戸時代・俵屋宗雪作)です。 重要文化財に指定されています。 宗雪は宗達の後継者です。 画面にポインターを置くと 「粟穂鶉図屏風」(江戸時代・土佐光起作)も ご覧いただけます。 こちらも重要文化財です。 土佐派は室町時代の光信以来の流派です。 |
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こちらは安土桃山時代から江戸時代までの 「暮らしの調度」をテーマにしたフロアです。 生活の調度品や衣装などが展示されています。 画面にポインターを置くと 「志野萩図平鉢」をご覧いただけます。 安土桃山から江戸時代にかけて美濃で焼かれた 志野(白い焼き物)です。 |
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こちらは「書画の展開」と称するフロアです。 安土桃山時代から江戸時代にかけての 書画が展示されています。 画面にポインターを置くと絵画の展示の様子も ご覧いただけます。 |
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「伊勢物語」絵図です。 画面にポインターを置くと伊勢物語の 別の絵図もご覧いただけます。 |
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「秋山遊猿図」(森狙仙筆:江戸時代)です。 重要美術品に指定されています。 山中に遊ぶ猿や鹿を描いています。 元は襖二枚分の絵だったそうで、左右の引き手の 跡を金泥で隠しています。 狙仙は大阪の画家で猿描きの名手と言われて います。最初は祖仙と称していましたが、還暦を 機に「狙仙」と改めています。 狙とは猿のことです。 |
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能楽に関連した展示品のフロアーです。 中央の面は「出目満昆」の焼き印のある 「小面」(江戸時代)で奈良の金春家に伝わる 能面です。 後ろの衣装は能楽に使われていた小袖などです。 |
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浮世絵と衣装のフロアーがあります。 展示されていた「風流江戸八景」(鈴木春信筆) 「浅草晴嵐」図です。 画面にポインターを置くと 葛飾北斎の「琉球八景・城嶽霊泉」も ご覧いただけます。 |
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浮世絵と衣装のフロアーです。 江戸時代の衣装の展示と装飾品の展示が 行われています。 画面にポインターを置くと 簪などの装飾品の展示もご覧いただけます。 この後、1階展示場もざっと見ましたが、 記録した画像はありません。 11室から18室まで各種の展示が行われています。 本館以外の展示館を含めて、じっくり見るには 丸一日が必要でしょう。 |
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