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台東区
台東区(たいとうく)は1947年(昭和22)に旧下谷区と浅草区が合併してできた区です。
上野のある台地の台、浅草、下谷の下町を示す東から名付けられたのだそうです。

区の面積は10.11㎢で、23区内では小さい方です。
人口jは約20万人あります。
区は隅田川に沿っており、対岸は墨田区となっています。
区内には上野駅があり、区としても商業地区で、住居は少ないです。

区内は上野、浅草、入谷、根岸、千束に区分されます。
緑地帯が多く、桜並木の多いのも特徴です。

上野 浅草 入谷
上野は東北への玄関口。と言うのも昔の話で、新幹線の始発駅は東京駅になり、
現在は下町を持つ文化地域になっているようです。お花見では有名な上野公園には動物園から
国立博物館、国立科学博物館、西洋美術館などが並んでいます。
上野と言えば上野公園、上野公園と言えば西郷隆盛像ですが、上野公園もじっくり歩くと
動物園と博物館以外にも結構いろいろと有りました。上野にも大仏さまの有ったこと知ってました??
上野公園へ京成上野駅から入って
すぐの所にある清水観音堂です。
お堂は写真の撮り辛い場所に
ありますが、ここには子育て観音が
安置され、子宝に恵まれたい人が
お参りすると効果があるそうです。
子宝を得た人はお礼に人形を奉納します。

画面にポインターを置くと
別の角度からの御堂をご覧頂けます。
人形塚です。
子宝に恵まれた人が奉納した人形や
家庭内にあった汚れたり壊れたりした
人形を秋の彼岸に荼毘に付し、
供養するための塚です。
清水観音堂からすぐの所にある
花園稲荷神社です。
元は穴稲荷と言われ,彰義隊の最後の
激戦地としても有名です。
明治6年に改名されました。

画面にポインターを置くと
ずらりと並ぶ鳥居の様子を
ご覧いただけます。
穴稲荷です。
正式名は忍岡稲荷と呼ばれていました。
左のお社は寛永寺創設のために
追われた狐のための祠だそうです。
花園稲荷と同じ敷地内にある
五条天神社です。
大国主命と菅原道真公が祀られています。
稲荷神社から出て精養軒の手前にある
「時の鐘」です。
江戸時代に町人に時を告げるために
打たれた鐘で、
「花の雲 
    鐘は上野か 
         浅草か(芭蕉)」
の鐘です。
時の鐘のすぐ横にある清水観音堂
「大仏パコダ」です。
元は寛永八年に建立されました。
本尊は薬師三尊です。
大仏さまは大震災で崩れたものを
寛永寺で保管していましたが、
戦時の金属供出で顔面部以外は
すべて供出されたそうです。
1972年(昭和47)に再建されました。
大仏さまの顔は寛永寺に保存されている
頭部から写し取り、1972年(昭和47年)
パコダとともに顔面のみが再建されました。

画面にポインターを置くと昔の大仏の
像がご覧いただけます。
画像は台東区のページから拝借しています。
国立歴史博物館の前にある庭園と
噴水です。
都民の憩いの場所になっています。

上野東照宮です。
1617年(寛永4)に藤堂高虎の屋敷の
有ったこの地に建てられたものを
三代家光が改築し現在に至っています。
現在本殿は改修中です。

画面にポインターを置くと
参道をご覧いただけます。
本殿です。
なんか一寸おかしいですね。
修復中のため元の建物の写真を
キャンバスにして張っています。
ここには家康、吉宗、慶喜が
祀られています。

  2018年12月に再訪した際の改修後の
東照宮です。
上野東照宮は1627年創建の神社です。

現存する社殿は1651年(慶安4年)に三代将軍
徳川家光公が造営替えをしたもので、震災、戦争
にも破壊されることなく、残されています。

画面にポインターを置くと修復後の
唐門の様子もご覧いただけます。
科学博物館の裏にある寛永寺
旧本坊表門です。国の重文です。
1868年(慶応4)の上野戦争で寛永寺は
すべて焼失しましたが、この門だけは
焼け残り、帝国博物館の正門として
利用され、国立博物館に改修後は
現在地に移されています。

画面にポインターを置くと大戦で
焼失した徳川家綱霊廟の内、
焼け残った勅額門をご覧頂けます。
国の重文に指定されています。
東叡山寛永寺開山堂です。
寛永寺開山の天海僧正・
慈眼(じげん)大師と慈眼が尊敬していた
平安時代の高僧・慈恵大師の像を
安置している堂です。
二人の大師の像があるので
両大師と称されています。
上野公園内の建物群
上野公園内には数々の博物館・美術館がありあます。夫々が独自性を持った建物です。
西洋美術館は世界遺産への登録も意図しています。(2016年に世界遺産に登録されました)。
上野公園の入口にある
「西郷隆盛像」は有名です。

西郷の実際の顔写真は残っておらず、
実物どおりかどうかでの議論があります。
清水観音寺の舞台の庭にある
「月の松」と呼ばれる枝を丸くした
松があります。

広重の描いた月の松は明治初期の
台風で被害を受けてなくなっていましたが、
2012年(平成24)に復元されました。
舞台の上から見る「月の松」です。
東京美術館です。

1926年(大正15)に日本で最初の
公立美術館として開館しています。

現在の建物は1975年(昭和50)に
完成した新館を2012年(平成24)に
リニューアルオープンしています。
都立美術館の(左)は入場ゲートと西館、
(右)は地下の入口の様子です。
国立歴史博物館です。
1872年(明治5)に創設された
日本で一番古い博物館です。

現在の本館は1937年(昭和12)に
竣工し、翌年開館したものです。

国立歴史博物館の内部は下記ボタンから
お入り頂けます。

国立歴史博物館
国立科学博物館です。

1877年(明治10)に創立された
教育博物館を祖とし、1930年に
現在地に新館が建てられ、
1949年に国立となっています。

上は国立西洋美術館の全景です。
1959年に松方コレクションの展示を
主として創られた美術館です。
左手に考える人、中央にカレーの市民、
右手に地獄の門(何れもロダン作)が
展示されています。

左はカレー市民の像から見る本館。
右は正門からの美術館正面です。
西洋美術館の隣にある
「東京文化会館」です。

都立の音楽ホールで、東京都交響楽団の
本拠地でもあります。

音楽ホール以外にも各種レストランや
カフェショップが入っています。
日本芸術院会館です。
会員の故・吉田五十八(文化勲章受章)
の設計により1958年(昭和33)に
竣工しました。
展示室では日本芸術院所蔵の
美術作品を一般に公開(不定期)
しています。

上野の森美術館です。
日本美術協会美術展示館の設備を
一新して、1972年(昭和47)4月に
開館しています。
常設展示は行わず、公募展などの
企画展を行っています。
上野公園内にある子規記念球場です。

野球好きだった正岡子規が
「春風や 
    まりを投げたき
            草の原」
と詠んだ句碑を上野公園内に設置し
2006年(平成18)に句碑の除幕式と
正岡子規記念球場の愛称が
披露されました。

画面にポインターを置くと
句碑をご覧いただけます。
上野公園内にある「彰義隊の墓」です。
徳川慶喜の側近が上野に籠り、
彰義隊と称して新政府軍と戦い
(上野戦争)、この時の彰義隊の
戦死者をここで荼毘に付しました。

墓石の奥の大きな石は
1881年(明治14)元彰義隊の
小川良興郷により建てられ、
手前の小さい石は1869年(明治2)に
寛永寺子院の住職が密かに埋めていた
墓石です。
旧岩崎邸
東京都内には明治時代に建築された多くの洋館があります。
その内のひとつに三菱の興祖岩崎弥太郎氏が買収した土地に
息子の岩崎久弥氏が建設した洋館があります。
1896年(明治29)の建築で、当時は15,000坪の敷地に
20棟の建物が並んでいたそうです。
左図の緑の部分は現在の敷地、白い部分が往時の敷地です。

場所は不忍池の西側で、現在の敷地面積は当時の1/3程度、
建物も洋館部分の160坪は現存していますが、和館の500坪は
大広間の部分のみとなっています。

また、別棟として撞球室が遺されています。鹿鳴館を設計した
英国人ジョサイア・コンドルの設計だそうです。

大名庭園を一部踏襲する広大な庭は、建築様式と同時に
和洋併置式とされ、「芝庭」をもつ近代庭園の初期の形を残しています。
岩崎邸への入口です。

アプローチの石垣が立派です。
岩崎邸の洋館正面玄関です。
洋館の南側です。
1・2階ともテラスが設けられています。
本館から地下道で通じている撞球室
は英国人コンドルの設計により
建てられました。
正面三角部分の壁は鱗張りに
なっています。
洋館の二階への階段です。
重要文化財になっている
吹き抜け柱です。

現在内部は写真撮影が禁止
されているそうですが、この時は
特に指定はありませんでした。

画面にポインターを置くと
二階から下を眺めた所を
ご覧いただけます。
2階の部屋の1つです。
金唐革紙とよばれる貴重かつ豪華な
壁紙が使用されいます。

修復工事にあたり忠実に製造技術
ともども復元されました。

画面にポインターを置くと
別の部屋の様子をご覧頂けます。
洋館から和館への渡り廊下です。

画面にポインターを置くと
別の和室廊下をご覧いただけます。
和館・大広間の濡れ縁と内庭です。
不忍の池周辺
不忍池は上野恩賜公園の中に位置する天然の池です。中央に不忍弁天堂があり、
北部は上野公園の西園となっています。池はボート池、蓮池、鵜池の三つに分かれています。
冬枯れの不忍池です。

上野恩賜公園の南端にあり、
周囲は約2kmあります。

シーズンには蓮で埋まり、
その様子は浮世絵にも描かれています。
弁天島内にある大黒天堂です。
看板には「豊太閣護持・大黒天堂」と
あります。
豊太閤の所持していた大黒天像が祀られて
いますが、徳川由来のこの場所に
豊臣由来の大黒天がなぜ有るのかは不明です。

大黒堂では、縁日に豊太閤護持の
大黒天尊前にて護摩供養が執り行はれ、
人々の信仰を集めているそうです。

弁天島にある弁天堂です。

1625年(寛永2)江戸の鬼門を
護るため、京の比叡山延暦寺に倣って
慈眼大師・天海は、上野の岡に
東叡山寛永寺を創建しました。
常陸国下館城主・水谷勝隆という人に
不忍池を琵琶湖に見立てて池の中に
竹生島を模した小島を築かせ、
竹生島宝厳寺の弁財天を勧請して
弁天堂を建てたのだそうです。

御堂の前には弁天様のシンボル
琵琶が飾られています。
下の写真はその琵琶です。
蓮池から見た弁天堂です。

冬場の不忍池にゆりかもめが
来ていました。
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