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長柄町(ながらまち)は長生郡に属する町です。
長南町と隣り合わせで人口は8千人程度の町です。
偶々、通りすがりに2か所の史跡、遺跡にめぐりあいました。
こんなところにこんな場所が〜との思いです。
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1013年の開基で当初は鳴滝寺と称しましたが、1192年に源頼朝が胎蔵界曼荼羅を奉納し、 この時胎蔵寺と改名、近世に入って眼蔵寺となりました。 現在の状況からは想像もつきませんが、江戸時代には朱印20石を与えられ、七堂伽藍を有する 上総屈指の名刹だったそうです。 |
元は律宗寺院でしたが、 1289年に臨済宗に改宗、 現在に至っています。 妙心寺派です。 |
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本堂はまだ新しい 感じでした。 最近再建されたものと 思われます。 |
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ここの鐘楼は 金網で囲われています。 と言うのも、 この梵鐘は1264年銘の 古鐘で、鋳工広階重永の 作品で国の指定文化財 です。 この鐘の特徴は 鐘の上部にある突起物(乳) が有りません(無乳)。 このような鐘は日本には 数個しかないそうです。 |
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ご覧のように上部は つるつるで中央に 蓮の花が彫ってあります。 千葉県下では最古の 鐘です。 |
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境内には上総守護で 関東官領も歴任した 上杉朝宗の墓も 有りました。 應永22年(1414年)に 没したとの標が 有りました。 |
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横穴は墓として利用されたもので、紀元500年〜700年ごろの間に作られて います。千葉県内には結構有るそうで、長生郡一帯でも約1,200基あります。 長柄町役場から東へ車で5分ほどのところに横穴群への入口が有りました。 里山と谷津の斜面に横穴墓がありました。第一支群はほぼ整備がなされており、 見学が可能でした。 |
左上図は千葉県内の横穴墓の所在地 (黒い部分)と長柄町の位置です。 千葉県内には結構横穴墓が多いです。 右上図は長柄町の横穴墓群の全体図です。 中央が谷津になっており、田畑になっています。 左下図は横穴墓の形成状況です。 |
横穴のある丘陵です。 | |
谷津は緑いっぱいでした。 そんな中に 「史跡長柄横穴群」の 表示が有りました。 第一支群、第二支群を合わせ 35基の横穴が有り、 国指定の史跡となっています。 |
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少し坂を登ると 横穴が並んでしました。 |
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それぞれの横穴は その価値に因るのでしょうが、 ガラス戸で覆われているもの、 セメントで塞がれているもの、 足場が作られているものなど 様々でした。 |
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岩山に掘られている横穴は 入口はさほど大きく 有りませんが中は 結構広くなっています。 |
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古墳時代に如何して 岩をくり抜いたのか その努力には驚かされます。 内部は二段構造になっており、 下の部分には上段へ登る為の 足置き用の窪みが掘られて いました。 |
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二段になった上部には 棺を置く台も作られて いました。 |
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平成22年(2010)には 資料館が作られ、 横穴の模型が置かれています。 この模型には 線刻画が復元されています。 |
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資料館内部です。 資料館は通常は無人で、 内部見学したい場合、 入口にある電話で解錠を お願いすると、近くの公民館から 担当者が来てくれます。 |
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13号墓の実物大模型です。 この横穴墓は公開されて いません。 |
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残されていた線刻画も 復元されていました。 この線刻画のある横穴は 内部見学は出来ませんでした。 |
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里山では合歓の花が満開でした。 | |
花をちょっと拡大してみました。 | |
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