安脚場戦跡公園
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加計呂麻島は奄美大島の南側に大島海峡を挟んで存在する東西に細長い離島です。
加計呂麻島東端にある安脚場(あんきゃば)集落には、大島海峡内の連合艦隊の泊地を防衛するために軍事施設が置かれていました。
今でも弾薬庫や防潜網や管制機雷を遠隔操作する金子手崎防備衛所の建物跡が残っていて、現在は公園として整備されています。
大島海峡は水深が深く、東西両側で外海に接続していることから、戦前は海峡内の加計呂麻島側にある薩川湾が聯合艦隊の泊地として
用いられていました。この泊地を防衛するために、安脚場集落東側の島の東端に軍事施設が置かれるようになったのです。
もともとは1920年(大正9年)頃から旧日本陸軍が奄美大島要塞として砲台を設置していましたが、1941年(昭和16年)から海軍によって
砲台として整備されて利用されるようになりました。

兵舎跡を過ぎて、細い道を山へ登ると
弾薬庫跡に出ます。

この辺りは大型バスは入れず、マイクロバスで
戦跡を回ることになります。
弾薬庫の全景です。左は左入口、
右は右入口の様子です。
入口の右側に削られたような跡がありますが
鉄の扉が付いていた跡です。
鉄不足ですべて供出されたそうです。
山道へ入る手前に雨水を貯めて
山頂の建物へ給水するための
天水貯水池です。
現在もこの水は管理用に利用されている
との事でした。
弾薬庫の辺りから眺める大島海峡です。

入組んだ岬が続き、天然の良軍港に
なっていたようです。
弾薬庫から金子手崎防備所へ登る
道に有る石垣で、当時のままのものです。
山の上に有る弾薬格納庫跡です。
小銃、機銃の弾薬を格納するため、
1920年(大正9)に旧陸軍が構築した
建物でしたが、太平洋戦争の時は
主に旧海軍が兵器庫として活用しました。
金子手崎防備所跡です。
この施設は1941年(昭和16)に
構築された建物で、戦時中大島海峡に
潜水艦の進入を防ぐため、防潜網や
機雷等を敷設し、潜水艦の接近を監視し、
更に、進入した場合は機雷を爆破させる
設備で、これらは全てこの防備衛所で
コントロールされていました。
コンクリート造りの内部が残されて
いますが、内装は木質部材で構成
されていたようです。
上の写真の左手部分になります。


最も高い所に有る砲台跡です。
1920年(大正9)頃から旧陸軍の砲台が
据えられていた場所で、1941年(昭和16)
には旧海軍の砲台が設置されました。
当時のコンクリートの基礎が残されています。
砲台跡から眺める大島海峡です。
進入した艦船を砲撃するには
もってこいの場所のようです。
上の写真の右寄りです。

大島海峡の入口となります。
向かいに見えるのは皆津崎です。
海峡を見渡すことが出来ます。
岬は断崖上で自然の要塞に
なっています。
衛兵の見張り台も残っています。
探照灯が設置されていた跡です。
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