九州鹿児島県
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奄美群島
2016年2月下旬に奄美群島を訪れました。
羽田から那覇へ飛んで、那覇から与論島へは航空機利用。
与論~沖永良部~徳之島~奄美大島はそれぞれフェリー利用。
フェリーの運行時間により、それぞれの島はほぼ丸一日の滞在となります。

奄美諸島はその存在が日本書紀に記されていて、「海見」とか「阿麻弥」として
表記されています。

14世紀頃に与論と沖永良部が琉球国に朝貢し、1466年に琉球王国尚徳王が
奄美大島や喜界島を制圧することで、奄美諸島は琉球国に属することになりました。

1609年には島津氏により奄美諸島と沖縄本島が制圧され、奄美諸島は
薩摩藩直轄とされました。

1879年の廃藩置県により、奄美諸島は鹿児島県に属しました。終戦後は
米軍統括地となり、1950年には奄美群島政府が設立されましたが、この地域の
祖国復帰運動が激化、1953年12月25日に米軍より返還されています。

現在のこの地域の正式名は「奄美群島」となっています。
那覇空港で与論島行きの飛行機を
待つ間に、沖縄名物「沖縄そば」(右)と
「そーきそば」(左)を食べました。
沖縄そばはチャーシュが、ソーキソバは
豚骨煮が入っています。

市内で食べるよりは細麺でお味は
まずまずでした。沖縄そばは540円、
ソーキソバは650円でした。食べ応え十分。
与論島
与論島へは沖縄那覇空港からDHC-8型機(ボンバルディア双発機
37~40人乗り)で40分の距離です。
沖縄からはフェリーも運行されており、鹿児島行きが奄美諸島に立ち寄り、
Aラインとマックスラインの2社運航で、毎日一便あります。
那覇~与論島の所要時間は約5時間かかります。
与論から沖永良部へはこのフェリーを利用します。約2時間の航海です。

与論島は隆起サンゴ礁で形成された、面積21キロ㎡のほぼ平坦な円形の
島で最高標高は98mです。
周囲の海はサンゴ礁で囲まれており、水深は2~3m程度です。
島の形は熱帯魚(エンゼルフィッシュ)に似ているとも言われています。

東にある「百合ヶ浜」は珊瑚の死骸で形成された浅瀬で大潮の折には
白い島として出現するそうです。今回は残念ながら膝位までの水の中でした。

島内の観光地は限られており、どちらかと言えば、若者のマリンアクティビティの
場所と言えます。ただ、静かで人柄も良いと言う事で、最近は本土からの
定年退職者の移住も増えつつあるとの事です。ハブは生息していません。
島内にはお寺はなく、神社のみで、葬儀などは土地伝統の儀式となります。

沖縄那覇空港から与論島与論空港までは
DHC-8が運行されています。
乗客は40名の双発ターボプロップ機です。
約40分の航行ですが、晴れていれば沖縄本島や
与論島が綺麗に見えただろうと思われます。
与論島南東部の海岸の様子です。
サンゴ礁に取り巻かれ、海の色が異なります。
左陸地の先端は赤崎海岸で赤埼灯台が
見えています。
突堤に囲まれた港は麦屋漁港です。

ここからグラスボートが出ています。
与論島南側の海岸線です。
隆起したサンゴ礁が崖となっています。
右手の砂浜はハキビナ海岸です。
与論空港の正面です。
白い石のモニュメントが有ります。

島内の多くの建物にこの白さとギリシャ風の
スタイルが採用されています。

それもそのはず、与論島はギリシャのミコノス市
と姉妹提携してます。
これは与論中学校の講堂です。
ギリシャ神殿風に建てらています。

潮風でどうしても黒っぽくなるようです。

他の学校の建物でもこのようなギリシャ風の
物が多く見られます。
与論島に着いて先ずは赤崎の
麦屋漁港に出ました。

ここからグラスボート(写真)に乗船し、
百合ヶ浜へと向かいます。
上空から見えていた麦屋漁港です。
赤崎海岸の砂浜です。
海の色と砂の色、岩の色とアダンの色が
調和のある風景を作っています。
赤埼灯台です。
1971年(昭和46年)に点灯されています。
我々の結婚した年です。
百合ヶ浜です。
大潮の満潮時には真っ白な島になるそうです。
今日はひざ下位まで水深が有ります。

画面にポインターを置くと実際の水深が
お分かり頂けます。

カリブ海のケイマン諸島の浅瀬にも似た
雰囲気ですが、ケイマン諸島はもう少し深く
アカエイと遊べる浅瀬でした。

赤崎海岸からすぐの所に
与論民俗村が有ります。

ここは個人の島民が自宅を資料館として
一般開放されている場所です。
ご主人が案内役で島の建物の状況や
島の仕事の道具類を紹介してくれます。

丁度母屋の建て替えをしていました。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

与論民俗村
島の中央東寄りに陶芸工房が有ります。
「ゆんぬ・おーどぅる焼窯元」です。
店を運営している女性は京都から移ってきて
島の男性(大工さん)と結婚し、窯元を
開いたのだそうです。

色んな品評会等で表彰されていました。
工房の横にはこの様に作品も
並べられています。
南の国の木々の中に陶器が馴染んでいます。

画面にポインターを置くと
製品がご覧いただけます。
ここの陶器は焼く前に海水を塗り、
海水焼と称されています。

14~15世紀頃、琉球の北山王の
三男である王舅(おおしゃん)が、
与論世之主(島主)として島を治めて
いました。
与論城跡はこの王舅が築城していた
城ですが、建設中に北山王朝が滅亡した
ため、未完成のまま石垣のみが今に
残っています。
この珊瑚の石垣は龍が身を伏せて島を
守る姿に作られているそうです。

城跡の詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

与論城跡

与論島では空港傍のリゾートホテルに
宿泊しました。
ギリシャのミコノスを髣髴とさせる白い
建物群と庭園で造られています。
夕食はこの庭園に有るレストランで摂りました。

ホテルと与論の料理は下記ボタンから
お入り頂けます。


与論のホテルと食事

与論港の一部です。
港は台風の影響を避けるため、
建物は建てず、フラットな状態です。

沖縄~鹿児島間を往来するフェリーです。

この船は「マルエーフェリー」の「波の上丸」で、
排水量8,100トンで乗船可能乗客は707名、
全長145m、全幅24mあります。
2012年に就航しています。

与論を12時10分に出港し、14時10分に
沖永良部島の和泊港に到着予定です。

積荷等の関係で定時運行は難しく、
この日も12時30分着、13時出航となりました。

画面にポインターを置くと
フェリーの船首をご覧いただけます。
埠頭にはコンテナーのみが置かれており、
倉庫などの建物は一切ありません。

乗客の待合所は少し離れた丘の上に
作られていました。最近出来たそうです。
待ち時間の間に名産のモズクそばを食べました。
沖永良部島
沖永良部島は与論島と同じく、隆起サンゴ礁により形成された東西20km、
南北10kmの殆ど平坦な石灰石からなる島で、知名町の昇竜洞の
近くにある大山(240m)が最高峰となっています。
石灰岩だけに島内に鍾乳洞も200~300か所あります。
一般公開されているのは「昇竜洞」のみです。

島津久光の怒りを買った西郷隆盛がこの島に流されたのは有名で、
1年7か月この島に滞在しています。

島内の植物はガジュマルやアダンが主体で、日本一のガジュマルが
存在しています。与論同様ハブは生息していません。

13世紀には琉球北部の北山王国に属しており、1609年の薩摩藩の
侵攻により、その直轄地となり「大和世」と呼ばれています。
与論同様、お寺はなく、神社だけです。

永良部空港もありますが、徳之島へは和泊港よりフェリーで
渡りました。所用時間は約2時間弱です。
フェリー船上から眺める沖永良部島
和泊港です。
奥に見える小高い丘は越山です。

越山の麓にある「世之主の墓」です。
世之主とは1400年代に琉球北王より
派遣された次男の真松千代のことで、
琉球中山王が琉球制覇した折に、中山王の
娘が奥方である沖永良部島へ派遣した
和睦の為の軍船を、世之主は攻めて来たと
誤解し、非力な島を自認していた世之主は
奥方と嫡子共々自害しました。

この世之主と奥方、嫡子の墓です。

四角になった納骨堂スタイルの
掘り込み墓で純琉球式のお墓です。
こうした墓を沖永良部では、
“トゥール墓”と呼んでいるそうです。

墓の詳細は下記からお入り頂けます。

世之主の墓
墓から越山公園に向かう途中に
桜並木が有ります。
緋寒桜です。既に葉桜になっています。
越山(188m)の頂上にある公園です。
ここはその展望所になっています。
建っている像は町制施行50周年を
記念して和泊の悠久の繁栄と新しい
町づくりのシンボルとして制作された
ものだそうです。

貝は陽光に輝くサンゴ礁の海と幸
螺旋は未来につながる階段
蝉は脱皮して明日へ羽ばたく自由の姿、
子山羊はのどかで心情あふれる農村風景
百合は花の島沖永良部の象徴、
手をかざし大空を見上げる子供たちの
明るい眼差しは、明日の和泊の姿を表す、
と言う事が作者の思いとして込められて
います。

画面にポインターを置くと
塔の反対側をご覧いただけます。
展望所からは和泊町と左手東シナ海、
右手太平洋が眺望できます。

奥は国頭(くにがみ)岬になります。
こちらは和泊町戦没者慰霊の塔です。

日清戦争・日露戦争・第二次世界大戦等に
出征し、戦死した町民673柱の御霊への
慰霊のために建てられています。
公園内には「しだらぎ」と呼ばれる
樹木が生えていました。
しだらぎはこの地方の名称で、
ヤブニッケイのようです。
乾燥に強い、海岸に多い樹木だそうです。

根のはり方が南の国らしいです。
島の北西部にある「田皆(たみな)岬」を
訪れました。

島の北西部にあり、東シナ海に
突き出した岬は、高さ40〜50mの
石灰岩でできた断崖絶壁です。

映画「青幻記」のロケ地です。
岬に有る「矢護仁屋埼灯台」です。
1974年(昭和49)に建てられています。

岬は別名矢護仁屋岬とも呼ばれています。
沖永良部島は隆起サンゴ礁で
出来た島で高い山がなく、海からの
強い風で削られた石灰岩のカルスト地形
の形成された断崖が続く田皆岬です。


東シナ海の波に洗われる崖です。

曇り空でもこれだけ青い海です。
沖永良部島の西寄りに有る
住吉地区の一角にある
住民サービス施設です。

住吉に隣接する正名は2000年(平成12)
村づくり天皇杯を獲得した地区だそうです。

沖永良部島全体でも住みよい街づくりが
色々と進められているようです。
知名町の町役場です。
どこでも町一番の建物が役場です。

奄美群島ではもう一つ徳洲会病院が
立派な建物です。

知名町は沖永良部島の南半分で
人口は6千人強あります。
知名町のメインストリートです。
ほとんど人通りが有りません。
お店も締まっているところも散見
されます。

それでも、スーパーらしい店で
地元の人との会話も楽しめました。
みなさん親切です。
商店街を外れたところに
神社が有ります。
ここでも神社はありますが、寺院は
全く見掛けません。

向田神社です。
由緒略記によると、400年前頃に
この地の娘がノロに選ばれ、
琉球尚真王の子を産み、世之金と
名付けられました。
この子が長じて、その人柄が人々の
畏敬をうけ、亡くなる際に向田の高台に
埋葬せよと言い、この地に向田祠堂が
作られたのが始まりとの事。
従い、祭神は向田世之金の神です。

画面にポインターを置くと本殿を
ご覧いただけます。
町中にあるドラゴンフルーツの
農園です。
丘にそびえる「おきえらぶ文化ホール
あしびの郷・ちな」です。
まことに立派な建物で、6千人の街の
文化ホールとは思えません。

本土復帰後に復興予算等で街づくりが
進められたようで、その一環として
作られたものだと思われます。
知名漁港の北側にある
「はみやま神社」です。

祭神は知名出身の英霊501柱と
金比羅の神および知名字氏神です。
護国神社、金比羅宮、氏神の三社が
それぞれ別の場所に有ったものを、
道路建設のために、ここに合祀された
との事です。

画面にポインターを置くと
社殿から海を眺めた風景を
ご覧いただけます。
神社の登り口から眺める
知名漁港方面です。

右手にカラフルな建物が有るのは
今回の宿舎フローラルホテルです。
国民宿舎になっています。

左手の建物は町役場で、その奥は
知名小学校です(画面にポインターを
置くと小学校の様子をご覧いただけます)。。
知名町電力事業発祥の地です。

1927年(昭和2)に沖永良部電気が
設立され、1929年(昭和4)に初めて
電燈の灯りが見られました。

1935年(昭和10)にこの場所に
発電所が移され、以来1998年
(平成10)までここから供電されて
いたそうです。

現在は町民の憩いの場所になっています。
沖永良部島の宿舎は
国民宿舎おきのえらぶフローラルホテル
でした。
海沿いの南国的な宿でした。
夕食はモズクが島らしいほかはごく普通の
和食でした。
永良部牛のステーキはちょっと硬くて・・・・
ビールはやはりオリオンビールにしました。

ホテルから昇竜洞へ向かう途中で
自衛隊基地内を通過しました。

自衛隊駐屯基地の中を公道が
通り抜けているのはここだけだそうです。

基地内の貯水池です。


島内にある鍾乳洞のひとつ
昇竜洞です。
沖永良部島には数多くの鍾乳洞が
存在しますが、公開されているのは
この「昇竜洞」のみです。

鍾乳洞の内部は下記ボタンから
お入り頂けます。

昇竜洞

ウジジ浜は長い年月をかけて浸蝕された
奇岩群が並ぶ浜です。
1890年9月22日にカナダ船
リージ・トゥループ号がウジジ浜沖で
難破座礁し、島民が救助にあたり
22人の乗組員の内半分が救助され、
カナダから感謝されました。
記念に船の模型が展示されています。

ウシジ浜の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

ウジジ浜

国頭(くにがみ)小学校の校庭に
日本一のガジュマルが有ります。
小学校第一期生が記念に植えた
ガジュマルで144年経っているそうです。

ガジュマルの様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

日本一のガジュマル

フーチヤは沖永良部島海岸の断崖絶壁と
浸蝕されてできた潮吹き洞窟です。
風の強い時は数十mも潮を噴き上げる
そうです。
天高く飛び散った水滴が雲霧状となり、
農作物に大きな被害をもたらしたため、
1963年(昭和38)に4か所あった洞窟を
一つだけ残して、3か所は破砕したそうです。

塩害被害の少ない現在のフーチヤだけが
観光資源として残されています。

フーチヤの詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

フーチャ

笠石海浜公園は和泊港と空港の中間に
ある、沖永良部島では最も長い海岸線を
持つ場所です。

沖永良部島の主力生産品である「えらぶユリ」
を模った展望塔が建っています。

海岸線も砂浜と磯が入組んで景色の良い
ポイントになっています。

公園の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

笠石公園

沖永良部島は島津久光の怒りに触れた、
西郷隆盛が流されたことでも有名です。
この島に約1年半強幽閉されていた間に
島民には種々の教えを行い、島民には
慕われたとの事です。
それを記念して当地に記念館も設立
されています。

また、空海運送業でこの島の繁栄に
尽くした山田親子の記念碑や記念館も
あります。

写真の左手は西郷南洲記念館(この日は
休館日)、右手茅葺は南洲が幽閉されていた
牢獄を再現した建物です。

詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

西郷記念館と和泊付近
沖永良部島の和泊港です。
此処にはターミナルビルが
建っていました。
鹿児島~沖縄定期航路運行の
2社の内マッリクスラインの
「クイーンコーラル」です。
この船で沖永良部島から徳之島へ
向いました。
徳之島までの所要時間は約2時間です。

船はAラインの波の上丸に比べ4900トンと
小型になります。
徳之島
徳之島は奄美大島同様古生層からなる地層を持つ島で、古代より
島として存在しています。最高峰は中央にある井之川岳(644.6m)で、
他にも標高400m以上の山並みが島の中央部に連なっています。
従い、ハブも生息していますが夜行性で昼間は人目には付かないとの事です。
ハブを捕まえて役所に届けると一匹3千円もらえるそうです。
但し、生きたハブでないとダメなのだそうです。昔は5千円でした。

海岸線の延長距離は80km、人口は7万8千人です。
奄美群島の中では奄美大島に次ぐ大きさと人口を持っています。
徳之島の出生率は日本一で、子宝の島とも言われ、空港名は
「徳之島子宝空港」と称しています。

生物は古生層を持っているため非常に豊富で、アマミクロウサギを始め、貴重な
動植物が存在しています。ウンブキでは天然記念物の赤ひげに出会いました。

文化的には琉球(沖縄)に近く、方言や民謡は琉球系となっています。
有名人では横綱朝潮や世界最高齢者泉重千代氏などがここ出身で、
徳田虎雄氏は出身地の徳之島始め、奄美群島すべてに徳洲会病院を
設立しています。

沖永良部島の和泊新港を
マリックスラインの「クイーンコーラル」で
15時に出航しました。
乗船時間は約2時間。
船上から徳之島が見えてきました。
山は島の最高峰、井之川岳(644.8m)
です。
徳之島の亀徳港に17時に入港。

港の待合所です。
左手が本船埠頭になります。
ホテルにチェックインの後、
まだ陽が有るので付近を散策しました。

ホテルの前の県道80号線を南に向かい
大瀬川に架かる新大瀬橋の上から
眺めた景色です。

更に南に下がると亀津児童公園が
あって、子供たちが野球の練習を
していました。

2014年春の甲子園大会に奄美大島高
が21世紀推薦で出場し、
群島総揚げの応援となったそうです。

その所為でしょうか、徳之島では
この公園や、朝潮関碑の有る公園で
子供たちの野球練習を見掛けました。
公園の南には徳之島町役場が
ありました。
それなりに立派な建物です。

画面にポインターを置くと
役場の正面玄関に有る
初代徳之島町長の銅像が
ご覧いただけます。
町役場の西寄りには
徳之島町生涯学習センターが
あります。
此処には郷土資料館があります。

この建物の中には資料館の外
公民館、図書館がありました。

17時過ぎのため、資料館は閉館と
なっていました。
大瀬川の上流方向を眺めた
夕刻の景観です。
徳之島の宿泊先
グランドオーシャンリゾートです。

表側はベージュのおとなしい色の
建物ですが、裏側は赤色の派手な
色になっていました。

画面にポインターを置くと
ホテルの裏側をご覧いただけます。

昔は表も裏も同じ色だったようですが、
なぜか、ツートンカラーになって
いました。




下段は当日の食事の一部です。
オーダーバイキングで、自由に食材を
取れるほか、メニューでオーダー
することもできます。

島の郷土料理をオーダーしました。
左から夜光貝バター焼き、あおさ天ぷら、
豚骨煮、ゴーヤチャンプルー、豚足焼、
徳之島牛ステーキです。
このほかに島魚のフライ、島魚の塩焼きも
オーダーしました。
今回の旅行では唯一の日の出が
徳之島で見られました。
他の日はお天気が良くても朝夕は
水平線に雲が有って、日昇、日没共に
見ることができませんでした。

画面にポインターを置くと
昇った旭をご覧いただけます。
ホテルの前の砂浜で
女性が二人で砂地に絵を描いて
いました。
何の絵かはよく判りません。


画面にポインターを置くと
砂浜に遊ぶ鴎もご覧いただけます。
徳之島の南側、伊仙町にある
喜念浜海岸です。

横綱闘牛を育てた福田喜和道さんが
私財をなげうって建てたという
「横綱の地」という神社です。
県道80号線沿いに建っています。

福田さんは太陽館、福田喜和道1号の
2頭の横綱を育て上げました。
徳之島では赤土で育てたジャガイモが
名産だそうです。
ブランド品で、赤土でないと駄目だそうです。

丁度、収穫の時期でした。
あちこちで収穫が行われており、
収穫したジャガイモは買い入れ窓口があり、
毎日価格が表示され、高い所を探して
納入するらしいです。

闘牛の盛んな徳之島でも
屋根つきの闘牛場は少ないそうです。
伊仙町にある「なくさみ館」は
ドーム式の闘牛場です。

闘牛場の様子は下記のボタンから
お入り頂けます。

なくさみ館

徳之島の南西にある「犬田布岬」です。

沖合で沈んだという戦艦大和の慰霊塔が
建っています。
慰霊塔は沖に向かって合掌した形に
なっています。

岬からは切り立った断崖絶壁の岩肌を
見渡すことが出来ます。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

犬田布岬

泉重千代さんはギネスブックにも載った
日本男子最高齢者です。
徳之島の生まれで、記念銅像が
建てられています。

生家も無人ですが、残されています。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

泉重千代像
島の西側にある秋利神大橋です。

総工費77億円だそうです。
奄美群島祖国復帰の際の復興基金で
建設されました。

画面にポインターを置くと
橋の先端部をご覧いただけます。

犬の門蓋(いんのじょうふた)と
呼ばれる奇岩群の一帯です。
この岩は「メガネ岩」と呼ばれています。
東シナ海に面し、季節風や荒波で
浸蝕された断崖、奇岩が見られます。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

犬の門蓋
島の西側にある天城町平土野港の
近くにある西郷南洲上陸の地です。

公園になっており、碑が有りますが、
車窓からの眺めとなりました。

丘状になった上に円形の記念碑が
見えています。
天城町にあるお店で昼食を摂りました。
郷土料理のバイキングでした。

左下のお椀は奄美名物の
「鶏飯(けいはん)」です。
鳥のささみに鳥のスープをかけて
食べるお茶漬け風丼です。

奄美大島の最後の昼食が
専門店での「鶏飯」でした(後出)。


ウンブキ(陸の海)です。
今回の観光ルートに入ってない場所ですが、
昼食場所に近いので、早めに済ませて
見学してきました。
鍾乳洞が沈み、400m先の海底と
繋がった海底洞窟です。

詳細は下記ボタンからお入り
頂けます。

ウンブキ
ウンブキにいた「アカヒゲ」です。
天然記念物に指定されています。

たまたま運よく撮影できました。
一度目は全てピンボケで諦めた
所に、二度目の出現で何とか
カメラに納められました。
雀より一回り大きい位の鳥です。
天城町と徳之島町の町境にある
山並みが身ごもった女性が横たわって
いる様に見えることから殷山(寝姿山)と
呼ばれています。
ガイドさんは寝仏山とも言ってました。
胸のふくらみと、お腹の膨らみからは
妊婦の寝姿の方が合ってるかも。

右手膝を立てたように見える山は
天城岳(533m)で2007年3月に
急病の町民救済に向った自衛隊の
ヘリコプターがこの山で墜落したそうです。
近くから見る殷山です。
近くから見ると顔と胸の膨らみが
バランスの悪い形になっています。

川が流れています。川沿いは
広い砂地になっています。

左手は東シナ海です。
海沿いの道路はマラソン用の道路に
なっていて、「尚子ロード」と
名付けられています。

4月と12月に徳之島ワイドマラソンが
開催されています。
スタートがこの碑のある場所となります。

ムシロ瀬です。
南国には珍しい花崗岩がムシロのように
敷き詰められていることから名付けられました。

岩と崖からなる眺望は絶景です。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

ムシロ瀬
ムシロ瀬から金見海岸へ向かう途中に
バス停がありました。
停留所には時間が書かれていますが、
この時間になってもバスは来ません。
乗りたい人はこの時間に合わせて
バス会社へ配車を連絡するとバスが
来るのだそうです。「デマンドバス」と
呼ばれ、必要な時に呼ぶバスです。

金見崎海岸に沿って
蘇鉄のトンネルが有ります。
元は、畑の仕切りに蘇鉄が植えられて
いたようですが、それが年と共に
増えて行き、蘇鉄のトンネルになりました。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

蘇鉄のトンネルと金見崎海岸
徳之島出身の横綱、朝潮関の碑が
建てられています。

後ろは徳之島の最高峰井之川岳です。

画面にポインターを置くと
銅像の裏側をご覧いただけます。
左、徳之島出身の八波むとしさんの記念碑も
同じ場所にありました。
「噫 八波むと志、南国に生まれ、情熱に死す、
喜劇に生き、悲劇に死す、いまは生きるか、
珊瑚の花」と言う菊田一夫氏の言葉が刻まれて
います。

右は西郷南洲逗留の地の標識です。
南洲はこの地にも逗留していたのでしょう。
亀徳新港です。
フェリーの発着所になっています。

西側の平土野港にもフェリーが発着
しますが、こちらがメインの港に
なっています。

亀徳新港からAラインのフェリー
「あけぼの」8,100トンで奄美大島へ
向います。船の形は「波の上」と
ほとんど同じです。
航海時間は3時間半位かかります。

出航は17時過ぎ、大島への到着は
21時頃になります。
沖合から見る亀徳・亀津の街並みです。
加計呂麻島
奄美大島の南にある加計呂麻島は古仁屋からフェリーか水上タクシーで
渡ります。

面積は77㎢ですが、リアス式海岸を持ち、海岸線延長は148kmもあります。
入り江に入った船がどこにいるか判らなくなるほどの入組みようなのだそうです。
その地形から太平洋戦争の折には軍港として利用されていました。
従い、現在もその頃の遺構が島内に残されています。

島内には路線バスもありますが、ほとんど利用されないそうで、バス会社は
経営が大変なのだそうです。観光客が利用してくれるバス収入が頼りだと
運転手が言ってました。だからバスにハブ捕り仕掛けを積んで、見つけると
ハブを捕ってボーナス代わりにするのだそうです。

今回2016年2月に古仁屋から水上タクシーで生間港へ渡り、東北部を
走って瀬相港より古仁屋へ戻りました。従い、見学したのは4時間で島の
四分の一程でした。全島を回るには8時間以上必要だそうです。
奄美大島の南端にある古仁屋港です。
大島海峡は瀬戸内海に似ていることから
この一帯は瀬戸内と呼ばれています。

この建物は港の待合室兼土産物などの
ショップになっています。
古仁屋の港です。
停泊しているのは加計呂麻島へのフェリー、
「かけろま」で生間港へは1日3便、
瀬相港へは1日4便が運行されています。

時間に制限のある観光客は
海上タクシーを利用すれば、いつでも
加計呂麻島に渡ることが出来ます。
我々は古仁屋港から海上タクシーに乗って
加計呂麻島にわたります。
約15分ほどの航程です。

画面にポインターを置くと
船の正面をご覧いただけます。
生間(いけんま)港近辺の山が、
2010年の奄美豪雨被害で崩れた
ままになっています。

奄美集中豪雨は奄美大島のあちこちで
被害を受けたようで、2016年の現在も
まだその爪痕が各地に残されています。

加計呂麻島でも色々被害が出たそうです。
「来来夏ハウス」で昼食を摂りました。

渡連(どれん)海岸に面した民宿で、
新鮮な魚を食べさせてくれます。

近くには色々な花が咲いていました。

昼食は「むろアジ」の塩焼きと
ハマチの刺身でした。

店主が釣り好きで毎日お客の為に
魚を釣ってくるそうで、出す魚も
その日によって異なるとの事です。

店内には馬鹿でかいむろアジの魚拓が
沢山貼られていました。
渡連海岸の一部です。
渡連の村の家が並んでいます。
この家についての説明が有ったけど、
どうしても思い出せない。

文化財のような話が有ったけど、
調べても何も出てきません。

まあ、加計呂麻島の一風景として
ご覧ください。
左手の半島は奄美大島の神の鼻、

右手は安脚場で、この山頂に
安脚場戦跡公園があります。

この水道が狭いのを利用して、
軍事施設が作られたようです。

安脚場に入ると直ぐに、旧兵舎跡が
ありました。この辺りから軍事施設が
多くなります。

安脚場戦跡公園の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

安脚場戦跡公園


安脚場から南寄りの諸鈍(しょどん)へ
向いました。

此処にはデイゴ並木が有ります。
インドから持ち帰られた樹木です。
樹齢は300年以上で全部で85本
あります。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

デイゴ並木

加計呂麻島は映画「男はつらいよ」の
最終回のロケ地となっています。
撮影は1995年に行われました。

諸鈍にロケ記念地の碑が建っています。
碑の左には1996年に逝去した
渥美清を悼む山田洋次の碑文が
刻まれています。

「男はつらいよ」最終回のロケで
リリー(浅丘ルリ子)と寅さんが
一緒に住んでいたリリーの家です。

デイゴ並木の途中にあります。
この塀から満男が覗いた時に寅さんが
奥の部屋から出てきた場面です。
大島海峡側に有るスリ浜です。

この辺りもロケ地になっています。
島の中ほどにある「震洋艇」です。
本物ではなく、模造されています。

震洋(しんよう)は、太平洋戦争で日本海軍が
開発・使用した特攻兵器です。
小型のベニヤ板製モーターボートの船内
艇首部に炸薬を搭載し、搭乗員が操縦して
目標艦艇に体当たりするという兵器です。

今考えればバカげた兵器ですが、当時は
これしか考えられなかったのでしょう。

神風特攻隊と同様、若人を無駄に死なせた
戦争でした。

下は実際の艇の姿です。
鳥尾敏雄文学碑です。

鳥尾は1944年震洋特攻隊隊長として
183名の隊員とともに加計呂麻島に
上陸しました。
この地で国民学校の教師の大平ミホに
出会い、戦後に結婚しています。

終戦後の彼の執筆活動はこの地での
生活を抜きでは考えられないと
1988年にこの文学碑が建てられました。
島の中ほどにある瀬相港から
再び海上タクシーで古仁屋へ向かいました。
加計呂麻島はリアス式の海岸をもち、
入組んだ湾が多く、海岸線の総延長
距離は148kmで、不慣れな船長は
自分が何処にいるのか判らなくなるほど
だそうです。
古仁屋港に戻りました。
港にはAラインの「あまみ」3,000tが
接岸していました。
この船は鹿児島~喜界~名瀬~古仁屋~
平土野(徳之島)を回るフェリーです。
奄美大島
奄美大島は奄美群島で最大の島で、日本では佐渡島に次いで
5番目に大きい(1:択捉、2:国後、3:沖縄本島、4:佐渡)島です。
2016年1月に115年ぶりの降雪が有りましたが、殆ど雪は降らない
島です。
多雨多湿の地域で、生物も多く、熱帯・亜熱帯植物が数多く栽培されて
います。主力はサトウキビ、タンカン、ポンカン、パイナップル、バナナ、
ドラゴンフルーツ、サツマイモなどですが、これらの作物は個人的には
持ち出しが禁じられています。
日本で2番目のマングローブ原生林が有ります。(1位は西表島
言葉は琉球圏となりますが、文化的には鹿児島県に影響を受けています。
奄美諸島では黒糖を利用した焼酎の生産が特認されています。その代り、
他のお酒は生産が認められず、本島からの持込みとなっています。
ビールはオリオン、アサヒ、キリンでサントリーやサッポロは余り見られません。

2016年2月に2度目の奄美大島を訪れました。
1971年1月に新婚旅行で奄美大島を訪れ、名瀬に宿泊しましたが、
その頃の記憶と現実はまったく一致しません。45年の年月はそれなりに
長いです。

今回、奄美大島に到着翌日日帰りで「加計呂麻島」へ向いました。


徳之島から奄美大島に着いたのは
午後8時頃で、名瀬港は夜景でした。
フェリーはAラインの「あけぼの」8100トンです。

正面は乗ってきたフェリーです。
この船は21時過ぎに出港し翌朝の8時半に
鹿児島港に到着します。

画面にポインターを置くと喜界島から
朝に名瀬港についたフェリーがご覧
頂けます。
この船は徳之島の平土野港へ向かう
フェリー「あまみ」3千トンです。
奄美大島で宿泊した
「山羊島ホテル」です。

山羊島と言う小さい島にこのホテルだけが
建っています。

ホテルの港側の様子で
前は人工の浜を作り、熱帯魚を
放しています。
左手奥に滝があり、その上に展望台への
入口が有ります。

ホテルについては後出のボタンから
詳細ご覧いただけます。
奄美大島の南部にある
日本第二の「マングローブ原生林」です。

お天気が悪くて(ガスが出た)良くは
見えませんが、スケールだけは感じることが
出来ました。

日本最大のマングローブ原生林は
八重山群島の西表島にあります。
沖縄のページでご覧いただけます。
やはり南部にある高知山展望台です。

晴天の時にはこの展望台から
南に広がる加計呂麻島、請島、与路島、更に
徳之島まで見えるそうです。

今回は残念ながらガスの為、見通しは
悪くて、何も見えませんでした。
奄美大島南部の風景です。
ヘゴが沢山自生しています。
奄美大島南端にあるホノホシ海岸です。

この海岸は太平洋に面しており、海岸の石、
砂利は打ち寄せる荒波に洗われて玉石と
化しています。波が引くときには、石が擦れて
太鼓のような音が聞こえます。
沿岸には奇岩がきり立ち、洞窟もあって、
豪壮で男性的な景観を有しています。
浜の様子です。
波で綺麗に角が取れた丸い小石が
浜一杯に敷き詰められています。
波で洗われた岩には穴が開いています
大きな岩と小さい丸い石が
何とも言えぬ景観を作っています。
押し寄せる波が飛沫となってい散っています。
この波で削られた岩石が丸くなって
いくのでしょう。
大島の中ほどに湖があります。
川の水が流れ込み、海ともつながり
汽水域を形成しています。
名前は内海と呼ばれていて、固有名詞は
ないそうです。

画面にポインターを置くと
ゴイサギ(?)が餌をついばんでいるのを
ご覧いただけます。

加計呂麻島から戻った時は
既に夕刻でした。

ホテル周辺の様子と食事は下記の
ボタンからお入り頂けます。

ホテルと食事
上の写真は展望台から見た名瀬港への
入口の様子です。西北の方向になります。




左は名瀬港の夕景です。
左手前には蘇鉄の花と実が見えます。

翌朝は奄美大島の北部を回りました。

大島紬は高価な織物ですが、この紬村で
制作工程を眺めると、値段の高くなるのも
止む無いかと思われます。

残念ながら自分用には手に入れようが
ありません。家内は着物を2枚持ってる
様です。

紬村の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

大島紬村

奄美大島の北、笠利町にある
奄美パークです。

パーク内には奄美の郷(写真の建物)、
田中一村美術館や展望台が設けられて
います。

詳細は下記ボタンよりお入り頂けます。
奄美パーク

奄美空港の北寄りに有る
「あやまる岬」と蘇鉄のジャングルです。

「あやまる」は謝るではなく、綾毬で
まーるくなっている岬が綾織の毬に
似ていることで付いた名前だそうです。

あやまる岬と蘇鉄ジャングル
奄美での最後の昼食は「ばしゃ山村」で
奄美名物の「鶏飯」でした。
ホテルの朝の食事でも出ていますが、
ここは専門店のようです。

右のお皿はトッピング用の鳥の裂いたもの、
錦糸卵、椎茸煮、分葱、糸生姜などがあり、
これをご飯の上に載せて、鳥スープを掛け
おお茶漬けのようにして食べます。

トッピングのお替りは出来ませんが、ごはんと
スープのお替りは自由です。

ばしゃ山村の「ばしゃ」とは馬車ではなく、
糸芭蕉のことで、昔、嫁の貰い手のない娘に
糸芭蕉の山を付けて嫁に出したことから
ばしゃ山が不美人のことを指す言葉に
なったそうです。

奄美空港です。

画面にポインターを置くと正面からの
ターミナル建物をご覧いただけます。
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