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2016年2月下旬に奄美群島を訪れました。 羽田から那覇へ飛んで、那覇から与論島へは航空機利用。 与論~沖永良部~徳之島~奄美大島はそれぞれフェリー利用。 フェリーの運行時間により、それぞれの島はほぼ丸一日の滞在となります。 奄美諸島はその存在が日本書紀に記されていて、「海見」とか「阿麻弥」として 表記されています。 14世紀頃に与論と沖永良部が琉球国に朝貢し、1466年に琉球王国尚徳王が 奄美大島や喜界島を制圧することで、奄美諸島は琉球国に属することになりました。 1609年には島津氏により奄美諸島と沖縄本島が制圧され、奄美諸島は 薩摩藩直轄とされました。 1879年の廃藩置県により、奄美諸島は鹿児島県に属しました。終戦後は 米軍統括地となり、1950年には奄美群島政府が設立されましたが、この地域の 祖国復帰運動が激化、1953年12月25日に米軍より返還されています。 現在のこの地域の正式名は「奄美群島」となっています。 |
那覇空港で与論島行きの飛行機を 待つ間に、沖縄名物「沖縄そば」(右)と 「そーきそば」(左)を食べました。 沖縄そばはチャーシュが、ソーキソバは 豚骨煮が入っています。 市内で食べるよりは細麺でお味は まずまずでした。沖縄そばは540円、 ソーキソバは650円でした。食べ応え十分。 |
与論島へは沖縄那覇空港からDHC-8型機(ボンバルディア双発機 37~40人乗り)で40分の距離です。 沖縄からはフェリーも運行されており、鹿児島行きが奄美諸島に立ち寄り、 Aラインとマックスラインの2社運航で、毎日一便あります。 那覇~与論島の所要時間は約5時間かかります。 与論から沖永良部へはこのフェリーを利用します。約2時間の航海です。 与論島は隆起サンゴ礁で形成された、面積21キロ㎡のほぼ平坦な円形の 島で最高標高は98mです。 周囲の海はサンゴ礁で囲まれており、水深は2~3m程度です。 島の形は熱帯魚(エンゼルフィッシュ)に似ているとも言われています。 東にある「百合ヶ浜」は珊瑚の死骸で形成された浅瀬で大潮の折には 白い島として出現するそうです。今回は残念ながら膝位までの水の中でした。 島内の観光地は限られており、どちらかと言えば、若者のマリンアクティビティの 場所と言えます。ただ、静かで人柄も良いと言う事で、最近は本土からの 定年退職者の移住も増えつつあるとの事です。ハブは生息していません。 島内にはお寺はなく、神社のみで、葬儀などは土地伝統の儀式となります。 |
沖永良部島は与論島と同じく、隆起サンゴ礁により形成された東西20km、 南北10kmの殆ど平坦な石灰石からなる島で、知名町の昇竜洞の 近くにある大山(240m)が最高峰となっています。 石灰岩だけに島内に鍾乳洞も200~300か所あります。 一般公開されているのは「昇竜洞」のみです。 島津久光の怒りを買った西郷隆盛がこの島に流されたのは有名で、 1年7か月この島に滞在しています。 島内の植物はガジュマルやアダンが主体で、日本一のガジュマルが 存在しています。与論同様ハブは生息していません。 13世紀には琉球北部の北山王国に属しており、1609年の薩摩藩の 侵攻により、その直轄地となり「大和世」と呼ばれています。 与論同様、お寺はなく、神社だけです。 永良部空港もありますが、徳之島へは和泊港よりフェリーで 渡りました。所用時間は約2時間弱です。 |
徳之島は奄美大島同様古生層からなる地層を持つ島で、古代より 島として存在しています。最高峰は中央にある井之川岳(644.6m)で、 他にも標高400m以上の山並みが島の中央部に連なっています。 従い、ハブも生息していますが夜行性で昼間は人目には付かないとの事です。 ハブを捕まえて役所に届けると一匹3千円もらえるそうです。 但し、生きたハブでないとダメなのだそうです。昔は5千円でした。 海岸線の延長距離は80km、人口は7万8千人です。 奄美群島の中では奄美大島に次ぐ大きさと人口を持っています。 徳之島の出生率は日本一で、子宝の島とも言われ、空港名は 「徳之島子宝空港」と称しています。 生物は古生層を持っているため非常に豊富で、アマミクロウサギを始め、貴重な 動植物が存在しています。ウンブキでは天然記念物の赤ひげに出会いました。 文化的には琉球(沖縄)に近く、方言や民謡は琉球系となっています。 有名人では横綱朝潮や世界最高齢者泉重千代氏などがここ出身で、 徳田虎雄氏は出身地の徳之島始め、奄美群島すべてに徳洲会病院を 設立しています。 |
奄美大島の南にある加計呂麻島は古仁屋からフェリーか水上タクシーで 渡ります。 面積は77㎢ですが、リアス式海岸を持ち、海岸線延長は148kmもあります。 入り江に入った船がどこにいるか判らなくなるほどの入組みようなのだそうです。 その地形から太平洋戦争の折には軍港として利用されていました。 従い、現在もその頃の遺構が島内に残されています。 島内には路線バスもありますが、ほとんど利用されないそうで、バス会社は 経営が大変なのだそうです。観光客が利用してくれるバス収入が頼りだと 運転手が言ってました。だからバスにハブ捕り仕掛けを積んで、見つけると ハブを捕ってボーナス代わりにするのだそうです。 今回2016年2月に古仁屋から水上タクシーで生間港へ渡り、東北部を 走って瀬相港より古仁屋へ戻りました。従い、見学したのは4時間で島の 四分の一程でした。全島を回るには8時間以上必要だそうです。 |
奄美大島は奄美群島で最大の島で、日本では佐渡島に次いで 5番目に大きい(1:択捉、2:国後、3:沖縄本島、4:佐渡)島です。 2016年1月に115年ぶりの降雪が有りましたが、殆ど雪は降らない 島です。 多雨多湿の地域で、生物も多く、熱帯・亜熱帯植物が数多く栽培されて います。主力はサトウキビ、タンカン、ポンカン、パイナップル、バナナ、 ドラゴンフルーツ、サツマイモなどですが、これらの作物は個人的には 持ち出しが禁じられています。 日本で2番目のマングローブ原生林が有ります。(1位は西表島) 言葉は琉球圏となりますが、文化的には鹿児島県に影響を受けています。 奄美諸島では黒糖を利用した焼酎の生産が特認されています。その代り、 他のお酒は生産が認められず、本島からの持込みとなっています。 ビールはオリオン、アサヒ、キリンでサントリーやサッポロは余り見られません。 2016年2月に2度目の奄美大島を訪れました。 1971年1月に新婚旅行で奄美大島を訪れ、名瀬に宿泊しましたが、 その頃の記憶と現実はまったく一致しません。45年の年月はそれなりに 長いです。 今回、奄美大島に到着翌日日帰りで「加計呂麻島」へ向いました。 |
徳之島から奄美大島に着いたのは 午後8時頃で、名瀬港は夜景でした。 フェリーはAラインの「あけぼの」8100トンです。 正面は乗ってきたフェリーです。 この船は21時過ぎに出港し翌朝の8時半に 鹿児島港に到着します。 画面にポインターを置くと喜界島から 朝に名瀬港についたフェリーがご覧 頂けます。 この船は徳之島の平土野港へ向かう フェリー「あまみ」3千トンです。 |
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奄美大島で宿泊した 「山羊島ホテル」です。 山羊島と言う小さい島にこのホテルだけが 建っています。 ホテルの港側の様子で 前は人工の浜を作り、熱帯魚を 放しています。 左手奥に滝があり、その上に展望台への 入口が有ります。 ホテルについては後出のボタンから 詳細ご覧いただけます。 |
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奄美大島の南部にある 日本第二の「マングローブ原生林」です。 お天気が悪くて(ガスが出た)良くは 見えませんが、スケールだけは感じることが 出来ました。 日本最大のマングローブ原生林は 八重山群島の西表島にあります。 沖縄のページでご覧いただけます。 |
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やはり南部にある高知山展望台です。 晴天の時にはこの展望台から 南に広がる加計呂麻島、請島、与路島、更に 徳之島まで見えるそうです。 今回は残念ながらガスの為、見通しは 悪くて、何も見えませんでした。 |
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奄美大島南部の風景です。 | |
ヘゴが沢山自生しています。 |
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奄美大島南端にあるホノホシ海岸です。 この海岸は太平洋に面しており、海岸の石、 砂利は打ち寄せる荒波に洗われて玉石と 化しています。波が引くときには、石が擦れて 太鼓のような音が聞こえます。 沿岸には奇岩がきり立ち、洞窟もあって、 豪壮で男性的な景観を有しています。 |
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浜の様子です。 波で綺麗に角が取れた丸い小石が 浜一杯に敷き詰められています。 |
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波で洗われた岩には穴が開いています 大きな岩と小さい丸い石が 何とも言えぬ景観を作っています。 |
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押し寄せる波が飛沫となってい散っています。 この波で削られた岩石が丸くなって いくのでしょう。 |
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大島の中ほどに湖があります。 川の水が流れ込み、海ともつながり 汽水域を形成しています。 名前は内海と呼ばれていて、固有名詞は ないそうです。 画面にポインターを置くと ゴイサギ(?)が餌をついばんでいるのを ご覧いただけます。 |
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加計呂麻島から戻った時は 既に夕刻でした。 ホテル周辺の様子と食事は下記の ボタンからお入り頂けます。 |
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上の写真は展望台から見た名瀬港への 入口の様子です。西北の方向になります。 左は名瀬港の夕景です。 左手前には蘇鉄の花と実が見えます。 |
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翌朝は奄美大島の北部を回りました。 大島紬は高価な織物ですが、この紬村で 制作工程を眺めると、値段の高くなるのも 止む無いかと思われます。 残念ながら自分用には手に入れようが ありません。家内は着物を2枚持ってる 様です。 紬村の様子は下記ボタンから お入り頂けます。 |
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奄美大島の北、笠利町にある 奄美パークです。 パーク内には奄美の郷(写真の建物)、 田中一村美術館や展望台が設けられて います。 詳細は下記ボタンよりお入り頂けます。 |
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奄美空港の北寄りに有る 「あやまる岬」と蘇鉄のジャングルです。 「あやまる」は謝るではなく、綾毬で まーるくなっている岬が綾織の毬に 似ていることで付いた名前だそうです。 |
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奄美での最後の昼食は「ばしゃ山村」で 奄美名物の「鶏飯」でした。 ホテルの朝の食事でも出ていますが、 ここは専門店のようです。 右のお皿はトッピング用の鳥の裂いたもの、 錦糸卵、椎茸煮、分葱、糸生姜などがあり、 これをご飯の上に載せて、鳥スープを掛け おお茶漬けのようにして食べます。 トッピングのお替りは出来ませんが、ごはんと スープのお替りは自由です。 ばしゃ山村の「ばしゃ」とは馬車ではなく、 糸芭蕉のことで、昔、嫁の貰い手のない娘に 糸芭蕉の山を付けて嫁に出したことから ばしゃ山が不美人のことを指す言葉に なったそうです。 |
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奄美空港です。 画面にポインターを置くと正面からの ターミナル建物をご覧いただけます。 |
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