世之主の墓
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世之主(真松千代)は西暦1400年ころ、沖永良部島を統治していた人です。世之主、真松千代の母は沖永良部の人で、
琉球が北山、中山、南山と別れていた時代、北山に働きに行ったとき、北山王に気に入られ、妾となり、子供を身ごもりました。
母は沖永良部へ帰り、真松千代を生んで育て、真松千代が17歳になったとき、真松千代は琉球の北山王に会いに行き、
北山王の子供として認められ、沖永良部島の世之主となったのだそうです。
琉球北山国が中山に滅ぼされ、中山国の船がこの島へ和睦交渉に来たとき、世之主は中山国が攻めてきたと誤解し、
とても対抗できないと、妃、嫡子共々自害しました。これら三人の墓が「世之主の墓」です。
墓の形態は琉球式で、岩壁を掘り込んだトゥール墓で、歴史上貴重な遺跡・文化財と言えます。
第一石門、第二石門、納骨堂からなっています。
人間は死ぬと元に帰るという琉球思想から、墓全体が女性の股間を型どっていると言われています。
世之主の墓の全景です。

珊瑚岩の石垣で取り囲まれ、
右奥にある納骨堂は
岩壁を掘り込んでいます。

左手に見えるのが第一石門です。
第一石門です。
珊瑚岩の石垣に木製の門が
付けられています。
第一石門を入った所は広い芝生と
なっています。
昔はここで宴が催されていた様です。

奥に見えるのが第二石門です。
第二石門です。
この門は開けられるようになっています。
奥の壁の下が納骨堂です。

門内は狭い庭で、祭典場に
なっていたそうです。
納骨堂の入口です。

木の門を開けると内側に柵が有り、
そこから内部を見ることが出来ます。

納骨堂は大きな岩をくり抜いてあり、
岩の上は更に珊瑚岩が積み重ねて
あります(上の写真の上部)。
納骨堂の内部です。

正面三つが世之主、妃、嫡子の
骨壺になっています。

部屋の四隅にある骨壺は
殉死した家来の四天王の4名
(後蘭孫八、屋者真三郎、
西目国内兵衛、国頭弥太郎)の
骨壺だそうです。


内部は暗くて肉眼では
骨壺の確認が難しい位でした。
写真に撮って初めて骨壺の
位置関係が判りました。
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