|
元のページへ戻る |
旧記によると、霧島神宮は、第29代欽明天皇の御代 (6世紀中頃)慶胤という僧が、高千穂峯と火常峯 (現御鉢)との中間の背門丘(せとお)に、社殿を 奉斎(つつしんでお祭りすること)されたのが初めて であるといわれます。しかし、この社殿も霧島山の 噴火のために焼けてしまいました。 永い年月を経た後、天暦年間に性空上人が 高千穂河原瀬多尾越に社殿を再興奉遷(御神体など お移しすること)しましたが、文暦元年の大噴火で神殿、 僧坊等、全て焼失してしまいました。それから田口の 待世(現在の霧島中学校の所)の行宮に奉斎されました。 その後、250年経って1484年(文明16)に僧兼慶が 藩主の島津忠昌公の命を受けて再興したのが現在の 御社地です。この後、火事で全焼の災いにあいましたが、 1715年(正徳5)に時の藩主島津吉貴公の寄進によって 建てられたのが現在の御社殿です。 国指定の重要文化財です。 |
国道233号線沿いにある 大鳥居です。 |
|
鳥居の道を進むと神橋に出ます。 | |
橋を渡ると霧島神宮の石標(社号標)が 立っており、長い石段が有ります。 |
|
階段の上には二の鳥居が 立っています。 |
|
二の鳥居から表参道を進むと 三の鳥居に出ます。 この鳥居の前にも長いくて広い 石段が有ります。 |
|
三の鳥居の横には 御座所への冠木門が有ります。 皇族の参拝者が有る時のみ 開門されるようです。 祭典時に開門されることも あるようです。 奥には御座所と貴賓館の 建物が有ります。 |
|
勅使殿、拝殿、本殿の遠望です。 何れも国指定の重要文化財です。 手前にある左右の祠は門守神社 です。これも国指定の重文です。 |
|
手水舎です。 如何にも年を経た岩の造りに なっています。 鹿児島五大石橋 の設計者 岩永三五郎(1793年:寛政5〜 1851年: 嘉永4)作だそうです。 |
|
勅使殿(重文)です。この勅使殿の 横から登廊下(重文)で拝殿(重文)へ 登ります。 その奥に本殿(重文)が有ります。 画面にポインターを置くと 登廊下と拝殿の一部をご覧いただけます。 拝殿の右端にあるお社は税所神社です。 |
|
新しく建て直された新神楽殿です。 霧島神宮御鎮座 1460年を記念して 2005年(平成17)秋に建立されました。 結婚式などがここで執り行われる ようです。 |
|
手水舎の傍に有る御神木(杉)です。 樹種:杉(霧島 メアサ) 樹齢:約800年 樹高:38m、幹回り:7m あります。 この御神木は霧島スギと呼ばれ、 南九州一帯の杉の祖にあたるようです。 |
|
霧島神宮の社務所です。 昭和5年に建築された木造平屋建て、 銅板葺、建築面積548平方メートルの 建物です。 国の重文に登録されています。 |
|
さざれ石です。 この石は国歌発祥の地と云われる 岐阜揖斐郡春日村の山中で発見 されたものです。 さざれ石は石灰石が雨水に溶解して その石灰分をふくんだ水が 地下において小石を集結して次第に 大きくなって出来た岩です。 その集結の過程状態はこの石を 一見するとよく判ります。 |
|
神宮展望所からの眺めです。 本来は正面に桜島が遠望できる 様ですが、この日は何の変哲もない 風景でした。 |
|
大鳥居と神橋の間に有る ロータリーに立つ燈籠です。 胴部に霧島神宮と書かれています。 その上に天狗の顔が彫られていますが、 詳細は下に説明しています。 |
|
霧島が天狗の発祥の地だそうです。 燈籠の天狗のみならず、 傍には「霧島天狗館」が建っています。 早朝の為、開いてなく内部は 見られませんでした。 |
|
元のページへ戻る |