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下甑島手打地区では下甑武家屋敷通りが700mほど続きます。その中ほどにある歴史郷土館は、先人たちが使用していた 日常の生活用具や農林用具など約1200点余りが展示され、歴史と文化を知ることができます。 また、、この敷地は、建武の中興の忠臣楠木正成の末流楠木和田家(菊水の定紋)がこの地におちのびて住みついたといわれ、 歴史的に由緒あるところで家屋(おまい・なかい)や庭園・山水池も以前の姿に復元したものです。 武家屋敷通りは「てうちん浜や」の西寄りから、新田神社の近くまで続きます。 |
「下甑郷土館」の建物です。 1982年(昭和57)に建設されています。 内部に各種資料が展示されています。 |
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敷地内に復元された武家屋敷です。 一説には、楠木正成が湊川の合戦の あとに、下甑島に落ち延び、この地で 過ごしたと言われています。 その末裔である和田家の住居、庭が 復元されています。 |
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屋敷の内部です。 質素な作りになっています。 |
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和田家の庭園が復元されています。 右端に立つ石は橋の橋脚だったとの 事です。 |
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庭内にある「移住記念碑」です。 江戸時代の二度の大飢饉の折に、 手打地区から薩摩半島への 集団移住が行われた由です。 200年後の現在も移住先と手打は 交流を持っているそうで、 この事実が風化しないようにと、 この碑が立てられたそうです。 |
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島の生活に使われたもの、生活に 関わりのあるもの、島で作られた物 などが展示されています。 左の中央の額は紅サンゴの採集で 手打が優勝した賞状です。 右はこの地で興った楊心流の衣装です。 |
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左は代々使われてきた農具類です。 右は下甑の風俗歴史を著した書物 などの展示です。中央のある縄は 蔓(かずら)で作られ、蛇の形で、 五穀豊穣を願う伝統行事に使用された ものだそうです。 右上にある黒白写真は当地の祭の 「トシドン」の仮面です。写真にポインター を置くと写真をご覧いただけます。 |
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左は当地でしか作られていない、 ビーダナシと言う、芙蓉の皮を糸にして 織った布で作った着物です。 右はその技術を伝えてきている 中村悦子さんの仕事を紹介している 雑誌です。 この本は京都の実家の発行していた 染色関係の専門誌「染織α」です。 画面にポインターを置くと表紙をご覧 頂けます。 こんな所でお目に掛かれるとは… |
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下甑郷土館へ向かう途中の 武家屋敷通りです。 玉石垣が続きます。 屋敷はほとんど残されていません。 |
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武家屋敷通に「大照寺」があります。 1890年(明治23)建立の 真宗大谷派の寺院です。 手打地区には他に真宗本願寺派の 法雲寺もあります。 |
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郷土館の西寄りの武家屋敷通りです。 外灯が並び、緑豊かな通になっています。 |
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武家屋敷通りの終点です。 この右側に焼酎の酒蔵があります。 後ろ側には新田神社があります。 |
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「吉永酒造場」です。 左手はショップ、正面奥が工場に なっています。 「亀五郎」「甑州(そしゅう)」などの 芋焼酎ブランドが有名だそうです。 画面にポインターを置くと 壺で寝かせている焼酎の様子を ご覧いただけます。 |
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