鹿児島県の風景
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羽田〜鹿児島空港〜薩摩川内港
 羽田空港から川内港までの風景です。
羽田空港を出て暫くすると
今回は浜名湖が綺麗に見えました。

上空から浜名湖全景を見るのは
今回が初めてです。

何時もは概ね富士山の傍を眺めて
います。
鹿児島県に入ると
「桜島」が遠望できます。

少しガスっていて綺麗には
見えませんが、少し噴煙の
出ているのも見えます。
鹿児島空港です。
空港で少し時間があるので、
昼食を空港内で摂りました。

正面3階部分のエスカレーターの
目の前にある「スカイ・ガーデン・
カフェ」で黒豚カツカレーを食べました。

前回は知人が黒豚のしゃぶしゃぶを
ご馳走してくれましたが、今回は
カツにしました。

空港内に置かれている小冊子に
10%引きの優待券が有ったので
それも利用しました。
空港から薩摩川内市まで
バス移動となります。

空港からは九州自動車道で
一旦鹿児島市内に出て、
南九州自動車道西回り線に入ります。

西鹿児島IC近辺から眺める
正面薄らと桜島です。
川は新川です。

正面の高速道路は走ってきた
九州自動車道です。


バスの車窓からの眺めです。

いちき串木野市街を流れる
「八房川」です。
左手がいちき串木野市街です。

川の奥にある鉄橋は鹿児島本線の
鉄橋です。
薩摩川内市港町交差点近くから
眺める
右手川内港方面です。
左手は船間島になります。

川内川の河口部分になります。
薩摩川内市甑島
甑島(こしきしま)は鹿児島県の離島の一つで、川内港と串木野港から
高速船とフェリーが出ています。
かっては「こしきじま」と呼ばれていましたが、2014年に「こしきしま」が
正式呼称とされています。
現地のガイドさんでも人により呼び方が違っています。
甑島は甑島列島として有人島3島と無数の無人島から形成されています。列島全体(上図)の長さは38kmで、現在は上甑島と中甑島は
2本の橋で繋がっています。中甑島と下甑島は現在橋梁が建設中で2008年に着工、4年前に一度工事が中断され、
その後再開されたものの更に4年後の完成との事ですが、地元の人は4年後は信じてないようです。
一応、道路部分のトンネルなどは、ほぼ完成しており、橋脚の完成待ちのようです。完成後は里港〜長浜港が約50分で繋がり、
現在の高速船での所要2時間を縮小するのと、船なら1日2便の運航に対し、24時間いつでも通れることになります。
島の人口は最も多かったのは1950年(昭和25)で約2.5万人だったそうですが、2015年(平成27)には5千人程度まで減少しています。
小学校、中学校も廃校になっているところも多いそうです。人口は比較的平地の多い、里地区、長浜地区、手打地区に集中しています。
下甑島は山が多く、平地が少ない地形となっています。最高峰は尾岳(604m)です。上、中甑島は幾らか平地が多いですが、
山岳部も多く、列島全体で海岸線も断崖になっている個所が多いです。その分、海からの景観が素晴らしいです。
地層的には砂岩、頁岩、花崗岩から形成されており、8千万年前の地層から恐竜の化石が発見され、島として、観光資源としての利用を
考えているようです。薩摩川内市鹿島支所庁舎には恐竜の資料館が併設されています。
各島の様子は以下に掲載しています。
下甑島
甑島列島の南の島を下甑島と言います。尾岳を境に下甑地区(南側)と鹿島地区(北側)に分かれています。
下甑地区は長浜港、鹿島地区は鹿島港がそれぞれ地区の玄関となっています。
下甑島の面積は約66平方キロで列島の3/5を占めています。
人口は下甑支所が1,893人、鹿島支所が438人の合計2,321人(2016年)です。
甑島の全人口のほぼ半分です。

薩摩川内市に統合されるまでは、島には下甑村と鹿島村の2つの村がありました。
この村をベースに現在薩摩川内市の下甑支所と鹿島支所がそれぞれ設けられており、
島の運営が行われています。

東シナ海に浮かぶ下甑島は砂岩、頁岩、花崗岩などの堆積隆起地層となっています。
海から眺める断崖はそれらの地層が良く見えます。

珊瑚礁の隆起した島の平坦さに比べて、甑島は山に囲まれており、わずかな平坦地に
人家が集中しています。下甑島には長浜、手打、青瀬、野々瀬、片野瀬及び藺牟田
(いむだ)の6つの集落があります。最高峰は尾岳(604m)です。

今回、川内港から長浜港へ向かい、長浜港の近くのホテルで宿泊し、
翌日は下甑島の西海岸を回り、南の手打ちに出て、その後、東海岸から鹿島地区を
観光後、鹿島港から船で上甑島の里港へ向かいました。

島は予想以上の大きさと、長い歴史を有しており、海岸からの断崖や奇岩の眺望や
白亜紀後期の地層から出た恐竜の化石なども見られ、更には武家屋敷まで残されて
います。
薩摩川内市の川内港です。

乗客待合室は物産館になっています。
乗船券もここで発券されます。
発券には乗船名簿の提出が義務付け
られています。

左手は高速船乗り場になっています。

川内港から甑島の長浜港、里港へ
一日2便の高速船が運行されています。
200人乗りの高速船は総排水量
199トン、長さは45.7mあります。
カモメを思わせる白い船体です。

川内港の様子と高速船甑島の
詳細は下記ボタンからご覧頂けます。

川内港と高速船
川内港を出発して、甑島に近づくと
何やら橋が半分しかできていない
光景を目にします。
この橋については後出します。
下甑島の長浜港に近づくと
左手に青潮岳が、正面に
航空自衛隊のレーダー基地が見えます。

右寄りの集落が長浜港です。

下甑島はまさに山ばかりの島です。
長浜港です。
着船しているのは、われわれが
乗って来た高速船です。
宿泊ホテルのある高台から眺めた
長浜の町並です。

最初の宿泊場所である
こしきしま親和館です。

ご主人は建設業者で
佐川急便の創業者と同級生で
自分は島に残るから、
お前は都会に出て活躍せよと
話し合ったそうです。

ホテルの後ろの高台にある家が
創業者中野さんのご自宅です。

ホテルや、食事の様子などは
下記ボタンからお入り頂けます。


ホテルと食事
ホテルの周辺の道端には
この様に鹿の子百合が蕾を
付けていました。

開花は7月だそうで、ちょっと
時期的には早かったようです。

甑島は鹿の子百合の日本唯一の
自生地です。

画面にポインターを置くと
別のカノコユリの葉もご覧頂けます。
甑島の中央の山を越えて
西海岸に来ました。
松島展望所で、金山海岸が
見えるそうですが、木が茂って
下の方は見えません。

島がいくつか見えました。
これらの島は海上クルーズの際、
見ることが出来ます。

画面にポインターを置くと
別の岩もご覧いただけます。


松島展望所の北方向に
甑島の最高峰・尾岳(604.3m)が
見えています。

下甑島は下の中型バスで
周りますが、これでも曲がりくねった
道を行くには高度の運転技術が
必要のようです。




山を越えて西海岸に出ます。

瀬々野浦です。
街へ向かう途中に前の平展望所が
あります。

展望所からの眺望はナポレオン岩と
瀬々野浦の街が中心です。
下は展望所です。


展望所から見るナポレオン岩(左)です。
高さは122mあります。

下甑島のシンボル的存在で
漫画「Dr.コトー診療所」や
「キン肉マンU世」にも登場しています。

西山小学校の校長室から見える岩が
ナポレオンの横顔にそっくりと
言う事で校長がナポレオン岩と
名付けたそうです。
瀬々野浦の街並です。

正面左寄りの赤い屋根が
西山小学校です。
ガイドさんのお子さん2名が
最後の生徒で現在は廃校に
なっていると説明がありました。

学校は石垣の上に立っており、
戦時中はグラマンの標的にも
なったそうです。

画面にポインターを置くと
小学校の拡大画像を
ご覧いただけます。
瀬々野浦の海岸まで出ると
色々な変った島や岩が見られます。



瀬々野浦の港から眺める
前の平展望所(正面崖の上)です。

瀬々野浦の風景は下記ボタンから
お入り頂けます。

瀬々野浦風景
漫画「Dr.コトー診療所」の
モデルとなった診療所の一つです。
瀬戸上健二郎医師が30年間
この診療所もカバーされていました。

漫画では「古志木島」になっています。

画面にポインターを置くと
診療室の内部をご覧頂けます。
医師であった青瀬地区在住の
故平田清氏が峠を越えた
瀬々野浦地区に行く途中、水平線の
はるか彼方にビル街を見たときの
不思議な感動を詠んだ句です。

当時は自動車道もなく、山道を歩いて
山越えをされたそうです。

ビル街は上海との説もあります。

「往診の 道すがら見し しんきろう」
句は平田清氏、書は町春草さんです。

画面ンポインターを置くと
丘から眺める瀬々野浦地区が
ご覧頂けます。
「孤島の野犬の碑」です。

西郷隆盛が連れていた犬は薩摩犬で、
その先祖は甑島原産の日本犬だった
とのことです。

甑島犬は戦争中に絶滅したそうです。

椋鳩十が甑島犬をテーマに描いた
児童文学作品「孤島の野犬」が
ありますが、この犬の碑はその文学碑
です。
甑島にもキリシタンが渡来しました。

渡来地は長浜で(渡来碑がある)、
ここ釣掛埼は処刑地です。

「キリシタンに厳しい江戸時代でも
手打・青瀬地区ではキリスト教信仰は
守られていたが、1638年に信者は
捕えられ、処刑されたと言われている。
ここ釣掛埼は名も知れず、殉教して
行った人々が眠っている所です。」
と碑文が書かれています。
1988年7月28日の建立です。

画面にポインターを置くと
東 一愛作の歌碑がご覧頂けます。
殉教地から眺める丘の上の牧場です。

牧場の傍を通って殉教地まで
来ましたが、バスの車窓が反対で
牧場の様子は撮れませんでしたが、
何頭も牛が飼育されていました。

手打地区の平地には牧草の
育成地がありました。
ロールにして丘まで運ぶそうです。

海抜164メートルの釣掛埼
断崖上には1896年(明治29)に
灯台が設けられ、以来、その光は
東支那海を航行する船の安全を
守ってきました。

1784年(天明4)に異国船監視
拠点としてこの地に遠見番所が
置かれたのが起源です。

釣掛埼灯台
釣掛埼から眺める東シナ海です。

紫陽花が植えられていました。
手打湾です。
正面が手打港になります。

雲の形が面白くて撮影しました。
手打地区にはこの様な広い平地が
広がっています。
田圃もあります。

手打の名前の由来は源平合戦に
敗れた平家の落人がこの地に
流れ着いた際に「ここは良い所だ」と
手を打ったという伝説からと
言われています。

手打地区にある深海水工場です。
九州では唯一の深海水工場です。

沖合4kmの水深375mの海水を
汲み上げて生産しています。

画面にポインターを置くと
生産工程の図がご覧頂けます。

手打浜です。
海亀が産卵に来るそうです。

映画「釣りバカ日誌」(6作目)の
ロケ地にもなっています。
上図の右端の地区にあるレストラン
「てうちん浜や」で昼食を摂りました。
元手打港待合室がレストランに
改装されています。

食事の内容は画面にポインターを置くと
ご覧いただけます。

名産のきびなごの刺身、天ぷら、
メジナのあら煮とそうめんのすまし汁
及びいなか寿司です。

そうめんのすまし汁やいなか寿司は
昔はめでたい食事として年に数度
食べられれば良かった食材だ
そうです。
元手打港の傍の岩山に鉄梯子が
掛かっていました。

垂直に近い梯でしたが、取敢えず
登ってみました。
上には鎖が付いており、左の方へ
歩けるようになっていました。

ガイドさんからは降りる様に注意
されましたが、釣り人用の設備で
濡れていると滑って危ないとの
事でした。

リスクを冒すほどの景観は
残念ながら得られませんでした。

画面にポインターを置くと
岩の上の様子をご覧いただけます。
手打集落の武家屋敷通りの東端に
ある「津口番所」です。

江戸時代に海上監視や入境者を
管理する番所でした。

番所の裏側が武家屋敷通りに
なります。


手打地区にある
「下甑郷土館」です。

下甑の昔の生活用品や
歴史文書などが展示されています。

郷土館の内容や、武家屋敷通りの
様子などは下記ボタンから
お入り頂けます。


甑島郷土館と武家屋敷通り
武家屋敷通りの一角にある
「おふくろさんの碑」です。

森進一のお母さんが甑島の
手打出身と言う事でこの碑が
立てられました。

碑の前に立つとおふくろさんの歌が
流れるようになっています。

画面にポインターを置くと
石碑の拡大画像をご覧頂けます。
新田神社です。

13世紀に入島した小川氏が、
高城郡水引郷新田宮の末宮として
勧請したと伝えられています。

鳥居の掲額には菊の紋章が
付いています。

御祭神は神功皇后、応神天皇、
玉依姫だそうです。

画面にポインターを置くと
神殿をご覧いただけます。

「瀬尾(せび)観音三滝」の三の滝です。

瀬尾川上流にある滝で、55mの高所
から一の滝、二ノ滝、三の滝と三段で
落ちてきます。

一の滝は遠目に見えましたが、
二ノ滝への登り口ではガイドさんから
登りが険しいのと、上がっても
大したことないとの話で行くのを
止めました。

滝の様子は下記ボタンからお入り
頂けます。

観音三滝
長浜港の近くに「タカエビ」の
選別場がありました。

水揚げされたエビはここで
選別されて、出荷されるそうです
「八尻展望所」からの下甑島
北方向の眺望です。
切り立った断崖が続きます。
一番奥は鹿島断崖、その手前
池屋崎の奇岩・大岩です。
一番手前は西崎です。

後出の「甑島西海岸」のページで
海からの眺望もご覧いただけます。



パノラマ写真は展望所からの眺望です。此の辺りは下甑島の北の部分が最も狭くなっている個所で
右手に見える橋は県道349号線の「吹切(ふっきり)陸橋」です。この陸橋からは両側に海が見え、眺望抜群の道路です。
吹切陸橋の上でバスを止めてくれ、
両側の海の撮影が出来ました。

こちらは西海岸の様子です。
陸橋から南寄りを眺めています。
こちらは東側の海岸です。
西に比べ海の色が薄色で
透明度も高いです。

奥の方に上甑島が見えています。
高架道路の鹿島港に近づく途中の
東側の海岸には車エビの養殖を
行っている溜池が右下に
見えています。
築地にも出荷されているとの事で
高価な取引価格になっているそうです。

車窓からで少しボケました。
鹿島港に近づいた道路傍に
8千万年前の白亜紀の地層が
露出している場所がありました。

右下の黒くなっているところが
その場所で、多くの科学研究者により
発掘調査が行われたそうです。

鹿島地区の市役所支庁です。

建物右手は恐竜ミュージアムに
なっています。
詳細は下記ボタンからお入り頂けます。


甑ミュージアム

下甑島の北東端にある
鳥の巣灯台と展望所です。
真下では架橋工事が行われています。
「藺牟田瀬戸(いむたせと)架橋」です。

詳細は下記ボタンからお入り頂けます。

鳥の巣山展望所
下甑島北西端の夜萩円山公園
展望所です。

ここからは西海岸の断崖が
良く見えます。

夜萩円山公園の展望台から
眺める鹿島断崖の光景と、
崖に咲くニシノハマカンゾウです。

公園の様子は下記ボタンから
お入り頂けます。

夜萩円山公園
鹿島港から里港へと向かいます。
上甑島・中甑島
甑島列島の北側にある有人島2島です。2島は甑大明神橋と鹿の子橋で繋がっています。
両島の中心は里になります。下甑島に比べると幾らか平地が多いです。
最高峰は遠目木山(423m)です。
上甑島の面積は44.14平方キロ、中甑島は7.31平方キロで、両島合わせて
51.45平方キロとなります。下甑島の約4/5の広さです。
人口は両島合わせて2,447人(2016年)で、下甑島より多くなっています。
里地区だけで約1,200人が生活しています。

2003年(平成15)の市制になる前は里村と上甑村の2村に分かれていました。
市制が引かれて以降も地域的には里支所と上甑支所の二つに分かれています。

両島を案内してくれたガイドさんは上甑、中甑を「かみごしき」「なかごしき」と称して
いました。訛なのかもしれません。

下甑島西海岸の切り立つような断崖に比べると両島の海岸線はなだらかで、
特に、上甑島の東側は砂州が多く、トンボロ(陸繋砂州)と呼ばれる堆積による
陸地になっています。

上甑島の部落間の交流が少なかったため、それぞれの部落の言葉は異なり、
部落が違うと言葉が通じなかったそうです。現在も地域の言葉は異なるそうです。
里港埠頭の様子です。
我々の船が鹿島港から里港へ
入港しました。

小型船で貸切運行でした。
乗客は20名。

船上には荷物を積む場所が無いので
前甲板の下に収納庫があり、
荷物はここに積んでいます。
画面にポインターを置くと
荷物を出している船員さんをご覧
頂けます。

上甑島の里での宿泊は
港の近くの「甑島館」です。

ホテルや食事の内容、里港の
模様については下記ボタンから
お入り頂けます。

ホテル・里港
ホテルの窓から眺める
甑島の夕景です。
こちらは里港に昇る太陽です。

この日も海はべたなぎです。

3日間殆ど雨風に遭わず、海も
穏やかでした。
過去のツアーでは風・波で行程が
変更され、すべて予定通りに
進んだのは本年初めてだった
との事です。

ホテルは「トンボロの里・みなと公園」
の中にあります。

公園や近辺の様子は下記のボタンから
お入り頂けます。


みなと公園
里の街並です。

この石垣は石垣をうめた上に
作られたものだそうです。

もともとこの辺りの土地が低いため、
潮の浸水を受けていたため、
盛り土をしました。

盛り土のため、元の石垣は埋められ、
その上にこの玉石垣が作られた、
との事です。
元の高さに家屋が残されています。

手前は盛り土された部分です。

この柱は縦に筋が入っていますが、
この筋に防潮用の板塀をはめ込んだ
物です。

画面にポインターを置くと
板をはめ込んだ場所をご覧頂けます。
石垣の上に鹿の子百合が咲いて
いました。
下甑島ではまだ蕾も堅かったのに、
上甑島ではすでに花を付けている物も
少なくありません。

気候の所為でしょうか、土地の
違いでしょうか。

ここは江戸時代からの船溜まりで、
里港では一番古い港です。

この傍に「津口番所」が設けられて、
入港する船の監視と管理を行って
いたようです。

番所跡は建物もなく、土地だけですが、
下記の様な標示板がありました。


その向かい側には「里小学校」が
あります。

この小学校は「地頭仮屋跡」です。
江戸時代には、薩摩藩として島津氏が
甑島を治めており、上甑島の里と
下甑島の手打に地頭仮屋が置かれ、
その周辺に麓集落が形成されました。

里と手打は甑列島の最北端と
最南端にあるため、津口番所も
置かれ、異国からの侵入に備えて
いたようです。

画面にポインターを置くと
学校の敷地がご覧いただけます。
この敷地のほぼ全体が地頭仮屋
だったそうです。

亀城の麓に当たる武家屋敷跡です。

玉石で積まれた石垣です。

武家屋敷の詳細と亀城跡の様子は
下記のボタンからお入り頂けます。

武家屋敷跡と亀城
武家屋敷街には元地域おこし
協力隊・柴田美咲さんが古民家を
いちから改修してつくり上げた宿が
オープンしていました。

地元おこし協力隊とはテレビ番組の
一つで「ボンビーガール」という
番組で放映されたそうです。

画面にポインターを置くと
家の前にある「一期一会」の岩が
ご覧いただけます。

亀城址です。
これは戦没者慰霊碑です。

亀城と鶴城をあわせて
「亀鶴(きかく)城」といいます。
高所から見るとその形が、鶴・亀に
似ているのが名の由来だそうです。
ちなみに鶴城跡は亀城跡から
南東200mの丘にあるようです。
武家屋敷跡を参観後、中甑に出て、
元の中甑港旅客待合所であった、
コシキテラスを訪れました。

ここはショップ、カフェ、観光船受付
などがあります。

西海岸観光後、ここで昼食を
摂りました。
甑島西海岸遊覧船の「かのこ」号です。

一般には西海岸を瀬々野浦まで行き、
戻ってくるルートだそうですが、天候が
悪い時には東ルートとして鹿島港の
近くまでの遊覧となるようです。

我々は穏やかな海で西海岸巡りが
できました。
中甑港を出ると「甑大明神橋」を
潜り抜けて行きます。

甑大明神とは中央部の岩の形が
甑(蒸し器)に似ており、これを祭神と
した神社で、甑島の名前の源でも
あるそうです。

西海岸を約40分ほど南下し、
甑島の断崖、奇岩群を見て行きます。

砂岩、頁岩、花崗岩の隆起による
地層の妙と、波と風にさらされる断崖の
造形美を味わうことが出来ます。

船から見た景観は下記ボタンから
お入り頂けます。

甑島西海岸
遊覧後、コシキテラスで頂いた昼食の
スペッシャル断崖バーガー(左)
および、豆腐ハンバーグ定食(右)です。

バーガーはキビナゴとタカエビのパテが
とても美味しいです。

豆腐ハンバーグは豆腐とキビナゴを
練り合わせたハンバーグです。
ちょっと生臭いかな。
ハンバーグの付け合せにサラダ、ごはん、
サツマイモフライと「柔らか豆腐」(右上)、
「焼キビナゴ」(右中)、「さつま揚げ」
(右下)も付いています。
食事の後、再びバスで中甑島へ
向かいます。

甑大明神橋を渡ります。

甑大明神が見られます。

甑の形をした岩が対で並んでいます。
更に、鹿の子大橋を渡ります。
平良に入ると藺牟田瀬戸架橋へ
繋がる道路とトンネル工事が
進められています。

車窓のガラスの反射で少し見難い
ですが、トンネルは「平良トンネル」
です。

中甑島の木の口山(294m)にある
展望所から架橋工事の状況を
眺めました。

木の口展望所からの眺めは
下記ボタンからお入り頂けます。

木の口展望所
木の口山から眺める甑島最高峰
「尾岳」です。

中甑島の帽子山の上にある
帽子山展望所です。

帽子山からの眺めは下記ボタンから
お入り頂けます。


帽子山展望台
帽子山から眺める平良の街並です。

港を取り囲むように町が形成
されているのが良く判ります。
鹿の子大橋です。
浦内小学校です。

現在は廃校となり、校庭は
太陽光発電パネルの設置場所に
変っています。

2002年(平成14)に100周年を
迎えた小学校も人口減には抗えず、
その歴史を終えたようです。

上甑島の北部にある長目の浜と
なまこ池です。
池は全部で4つあり、なまこ池では
なまこが採れるそうです。
なまこ池は完全な海水で、浜の組成
から海水が自由に出入りできる池
なのだそうです。

他に、貝池(汽水池)、鍬崎池(淡水池)、
須口池(淡水)の3池あります。

田の尻展望所からの眺望です。

田の尻展望所と長目の浜展望所から
の眺めは下記ボタンから
お入り頂けます。

長めの浜
島の中ほどにトンボロが綺麗に見える場所があります。そこからの眺望です。函館を想起させる眺めです。函館も同じトンボロ(陸繋砂州)です。
西側はどうしても風の影響を受けるため、西之浜海岸(左)として残し、風の影響の少ない東側に里港(右)が作られています。
現在でも西側には砂の流入があり、防砂堤が作られています。海水浴には最適の遠浅の浜だそうです。
亀城跡のある小山の麓には
水田が広がっています。

白鷺が起こした土を漁りに来ています。

画面にポインターを置くと
トラクターの後を追っかけるサギの
姿をご覧いただけます。
夕刻5時過ぎに高速艇に乗船し
川内港へ向かいます。
里港の夕景です。
ホテルが立派に見えます。
川内港に近づくと
九州電力川内原子力発電所が
見えてきます。

2011年に稼働停止後、新規制基準に
適合しているとして2015年8月に
再稼働されています。
出発地の川内港に戻って来ました。

往路と同じ「高速船甑島」です。

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