武家屋敷跡と亀城址
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上甑島の里地区には、小川氏が統治していた頃の名残として武家屋敷通りがあります。
この里地区の武家屋敷跡は小川氏の居城であった「亀城」のほど近くにあり、整然と積み上げられた玉石垣と生け垣は見事です。
夏はこの生け垣にカノコユリが咲くそうです。今回も一部咲いていましたが、最盛期はユリで埋まるそうです。
里小学校(地頭仮屋跡)の
横門を出た所にある橋です。
武家屋敷の石垣が続いています。

大門口橋とあることから
亀城への入口になるのでしょう。
画面の右の通りを行くと
亀城址に出ます。

左手直進すると武家屋敷跡に出ます。
ここの武家屋敷は微禄の郷士の家で
あったようです。
武家屋敷跡への入口にある
「八幡神社」です。

一説には849年(嘉祥2)創建と言われ、
本殿は江戸中期の建造物です。
武家屋敷跡の石垣です。

石垣の上には色々な草木が生えており、
7月以降は鹿の子百合が咲くようです。
屋敷跡にある「大聖院」です。

真言宗のお寺ですが、
余りお寺らしくない建物です。
武家屋敷は概ね200坪くらいの
敷地で綺麗に石垣が積まれています。

丁字路の突き当りには魔よけの石碑
「石敢當」があります。

魔物は直進しかできない為、丁字路や
三叉路にこの石を置いて、ぶつかった
魔物を消滅させるのだそうです。

沖縄に多いですが、中国福建省が
発祥と思われます。

石敢當の右手の葉はカノコユリです。

武家屋敷跡の内部はこのように、
現在は普通の民家になっています。
こちらのお寺はお寺らしい建物です。

昔は「西昌寺」と称したようですが、
現在は「西願寺」になっています。
浄土真宗本願寺派のお寺です。

元の西昌寺は浄土宗のお寺で
伊能忠敬が上甑島に来た折に
宿舎としたお寺のようです。
従五位下少将中御門松木宗信の墓です。
松木宗信は1609年(慶長14)に
猪熊侍従事件に連座し、甑島に流罪と
なり、この地で京風の文化を広めた
との事です。

直系には明治の元勲松木弘安(寺島宗則)
がいます。

亀城跡のある小山です。

鎌倉方の武将小川太郎季能の子、
季直が地頭として甑島に派遣され、
築城したと言われています。

見えているのは展望台です。
2階建てで、一階には鐘が吊られて
います。

画面にポインターを置くと
展望台の拡大画像をご覧頂けます。
亀城跡の見取り図です。

下界の眺めを写真に撮るため、
城跡周辺の撮影を忘れていました。


下は、展望台から眺める里地区の
全景です。
トンボロ地帯が良く見られます。
トンボロ地帯です。
左手の東シナ海から砂が流されてきて
中央部の陸地が形成されました。

従い、左手は遠浅の海で、右手は
すぐに深くなっているため、こちらに
港が作られています。

また、里地区には田圃が結構多いです。
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