鶴丸城 (鹿児島城)
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鹿児島城は別名「鶴丸城」と言われていた城です。この城は1602年(慶長7)に
初代薩摩藩主・島津家久(忠恒)の命によって築城をし、 2年後に完成したもので、
「人をもって城となす」の考えで天守閣もなく質素な屋形造りだったそうです。
鶴が翼を広げた形をしていたので「鶴丸城」と言われてましたが1843年(明治6)の
大火で焼失しました。

現在、城址には歴史資料センター「黎明館」や県立図書館、市立美術館、博物館などが
建てられています。
城址を偲ばせるのは、お堀と石垣程度です。

黎明館の裏手には庭(茶室)と展示場があり、二ツ家が移設されていました。
国道10号線から入る御門跡への
入口で、石橋が掛かっています。

画面にポインターを置くと
御門跡への入り口をご覧いただけます。
この写真は2010年12月に屋久島から
戻った際に撮影したものです。
御門跡です。石垣が桝形に
作られています。

この石垣には西南戦争の際に
政府軍側からの総攻撃を受けた時に
できた、弾痕跡が幾つもついています。

画面にポインターを置くと
石垣の拡大画面で弾痕を
ご覧いただけます。
城址の東北角になります。
石垣は残されています。
この写真は2010年12月に
撮影したものです。

この東北は鬼門になります。
従い、鬼門除けに石垣の角が
少し凹んで作られています。
見難いですが、左端をよく見ると
信号灯の所で折れ込んでいます。

御野立所跡の碑です。

1935年(昭和10)に昭和天皇が
鹿児島行幸のさいに、七高造士館を
ご覧になった事を記念して建てられた
碑です。

石碑の裏には「御野立所跡」の
刻字があります。
御門跡(左端)から御角楼跡(右手)
の景観です。
あちこち工事中でした。

天璋院像です。
天璋院(篤姫)の功績を顕彰するために,
2010年(平成22)12月19日に
建立されました。
制作は文化勲章受章者中村晋也氏です。
歴史資料センター「黎明館」です。

この日は休館日で中には
入れませんでした。

周辺も工事中でゆっくりと回ることが
出来なかったのは残念でした。
御池です。

元鹿児島城内に有った庭の池の
部分を当時の石などを使って
復元されたものです。
古い石塔が有りました。

説明書きがなく、来歴は不明です。
城址の低い石垣が残されています。
姶良郡横川町下ノ赤水
(現霧島市横川町)の
海老ヶ迫(えびがさこ)家住宅を
移築したもので,建築の時期は
天保年間(1830〜1840年)と
伝えられています。

棟の間の雨水を流すように
竹の樋が作られています。
画面にポインターを置くと
その様子をご覧いただけます。
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