異人館
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異人館」は島津藩の興産事業の一環として建てられた外国人技師宿舎です。

1867年(慶応3)、薩摩藩によって、日本最初の洋式紡績工場である鹿児島
紡績所が建設された際に、その工場の指導者として招へいしたイギリス人技師
イー・ホームら7名の宿舎として島津忠義の命により建築されたもので、幕末・慶応
から明治初期における洋風建築(住居)として極めて貴重な建造物です。
建物は国の重要文化財、敷地の一部は国の史跡に指定されています。

紡績工場は1897年(明治30)に閉鎖され、現在跡地のみが残されています。
紡績機は尚古集成館に残されています。

異人館の外国人宿舎としての利用は1年間で、1871年(明治4)の
廃藩置県でその翌年異人館は大砲製作所となり、西南戦争の折には
薩摩軍の仮病院になっています。
1881年(明治14)には建物は鶴丸城内に移設されましたが、
1936年(昭和11)に「明治天皇臨幸記念館」として、再び現在地に
移設されました。戦後、アメリカ軍の宿舎として利用され、返還後、国の史跡、
文化財に指定されました。

異人館の外観です。

訪問者が我々だけで、本来建物内は
撮影禁止でしたが、個人利用ならいいよ、
と言う事で、部屋も写真に撮らせて
貰えました。
正面からの眺めです。

建築様式はイギリス系のコロニアル
様式です。四方形の作りになります。
周囲をベランダが取り巻いています。

正面中央部が張り出すイギリス人好みに
仕上げられています。
1階部分には回廊が取りつけられ、
暑さを凌ぐため、木質と漆喰の
造りになっています。
正面の回廊部分です。
正面玄関を入った所です。
1階部分の部屋の様子です。
2階の応接室(ダイニング)です。
正面の突き出た部分は
ロビースタイルになっています。
2階の寝室の様子です。

当時の家具は残されておらず、
複製品です。
2階のホールです。
薩摩様式と洋風が折衷されています。
資料展示場になっています。

資料の中で、明治天皇が異人館を
訪れた時(1872年)、ここで昼食を
摂ったが、給仕役の老婆が天皇のことを
知らなかったようだと、天皇が笑い話に
した、と伝えられています。
英国の鹿児島砲撃の様子を伝える
英字新聞が残されています。
「London News Paper」紙の
記事で「鹿児島・日本への砲撃」として
スケッチ画が掲載されています。
「8ページ参照」との注記がり、そこに
具体的記事が書かれていたようです。
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