豫章館
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豫章館とは藩主伊東家の屋敷と庭園です。廃藩置県で飫肥藩は飫肥県となり、藩主伊東祐帰は初代知事になっています。
豫章館(よしょうかん)は1869年(明治2)に建てられた藩主の住まいで、広い屋敷地に主屋や御数寄屋・雑舎・蔵を配し、
入口には薬医門を構えています。飫肥城下では最も格式のある武家屋敷です。南面一帯は武学流の作庭といわれる庭園で、
広い空間に庭石や石灯籠・庭木などが巧みに配置され、閑静な佇まいの枯山水式庭園を形作っています。
豫章館の名前は邸内に有った楠(樟)から伊東祐帰の父裕相が名付けたと言われています。
豫章館入り口の藥医門です。
邸内側から見ています。
表側は元のページに掲載しています。

薬医門とは門の屋根の中心の位置が
前よりに出張っている門を云います。
横浜三溪園の門も薬医門でした。

門を入って左手、(写真では右手)に
受付が有ります。


門を入ると屋敷まで長いアプローチが
続いています。

左手には蔵が見えています。
母屋から眺める庭園です。
庭園の塀には一段下がった門が
ついていました。この門のいわれは
聞いても判りませんでした。
主屋とその壁です。

ちっと見難いですが、コンクリートの
打ちっぱなしのような壁になっています。

主屋は1868年(明治1)建てられた
もので、飫肥藩武家屋敷の典型的な
形式で、その中でも最高の格式のもの
なのだそうです。

主屋から正面に見える庭です。
庭の奥に裏口?が有りました。

石柱に木材で支えを作り、
その前に門が作られていました。
数寄屋(茶室)です。
屋敷の一番奥まったところにあります。

裏は酒谷川に面しています。
主家の内庭です。
植木屋さんが入っていましたが、
刈り込まれたイヌマキは
何とも言えない姿でした。
主家から門までの眺めです。
さすが殿さまの家と言う感じです。
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