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鵜戸神宮の御由緒を少し長くなりますが、立て看板の文章をそのまま下記します。 主祭神は日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと):(作者註)神武天皇の父になります。 「当宮のご創建は第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後、第五十代桓武天皇の延曆元年には、天台宗の僧光喜坊快久が 勅命により、当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜った。 また、宗派が真言宗に移った事もあり、洞内本堂の外本堂には六観音を安置し、一時は「西の高野」とうたわれ、両部神道の 一大道場として盛況を極めていた。そして、明治維新とともに権現号、寺院を廃し、後に、官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。 母君の豊玉姫が御子の育児の為、両乳房を御神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちち岩」は今もなお絶え間なく玉のような 石清水を滴らせて安産、育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。また、霊石亀石亀の背中に運玉を投げ見事に入ると 願い事がかなうという伝えがある」 |
国道220号線を走り、鵜戸神宮手前で 旧道と新道に分かれており、左の 旧道に入ると直ぐに鵜戸神宮入口にでます。 予定では鳥居をくぐって海沿いの道を 駐車場まで行くつもりが、雨で道路陥没し 通行止めとなっていて、やむなく、大型車 駐車場に入りました。 ここからは石段を下がって新参道トンネル を通り、神門まで出ました。 参道を通り、御本殿から同じ道を戻り、 八丁坂を途中まで登って新参道へ出て 駐車場へ戻りました。 雨は戻りのトンネルで降られたほかは 止んでくれて、ゆっくりと参拝できました。 亀石に運玉を投げましたが、残念ながら 一つも入れられませんでした。運のつきかな。 |
「神犬石(いぬいし)」です。 奥に見える岩です。 「八丁坂(本参道)から、御本殿を 御守護するように見えることから 神犬石と呼ばれている」、 のだそうです。 |
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楼門です。 左の門から社務所、儀式殿へ 入れます。 |
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千鳥橋です。 |
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種田山頭火の句碑が 有りました。 山頭火は1930年(昭和5)10月2日に 鵜戸神宮に参詣し、 「鵜しきりに 鳴いて 何を知らせる」 の句を残しています。 |
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手水舎です。 千鳥橋を渡ったところに有ります。 本殿の横に有った赤塗の手水舎が こちらに移されたようです。 |
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石燈籠の説明板には 奉寄進「灯籠10基」飫肥(おび)藩主 伊東祐久(すけひさ)公慶安元年8月 吉日(注1648年)と書かれています。 燈籠には九曜紋(伊東の家紋)が あります。 |
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玉橋です。 「神橋」とも呼ばれ、釘を一切用いない 橋板36枚からなる反橋で、 橋の向こうでは本殿も眺めることが 出来ます。 かっては、橋の手前から履物を脱ぎ、 はだしでお参りをしていたそうです。 緑の屋根は以前は手水舎でしたが、 現在は事務所になっているようです。 |
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玉橋を渡ると急な下り階段に なります。 ここからの眺めは巨岩の並びが 良く見えます。 |
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洞窟内に造られた本堂です。 権現造りで拝殿、幣殿、本殿が 一体となっています。、 |
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「御乳岩(おちちいわ)」です。 祭神の御母君豊玉姫命は(海宮に 帰る時に)温かい母性愛から御祭神の 為に両乳房を窟内(岩穴の中)に置いて 行かれたと伝えられ、そのお乳岩から 出るお乳水は、今もなお絶え間なく 玉のような岩清水を滴らせて、安産・ 有児・身体健全その他、心願成就が かなうことで知られています。 |
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白っぽい岩が「亀石」です。 「亀石」は海宮(龍宮)から豊玉姫命が 乗ってきた亀が岩になったものと 言われています。 「亀石」には四角の凹みがあり、 その周りにしめ縄が置かれています。 この凹みに運玉(5個100円)を 入れられたら願いがかなうとの 事です。 男は左手、女は右手で投げます。 |
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二柱岩です。 海岸沿いに面白い形をした 岩が沢山あります。 泥岩部分が浸蝕されやすことから 色んな変化が出ているのでしょう。 画面にポインタ―を置くと 違った岩の様子もご覧 頂けます。 泥岩に包まれた岩が洗い出されて 来たようです。 |
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社務所の横にある 鵜戸稲荷神社です。 |
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鵜戸の古狛犬でこの狛犬は1828年 (文政8)に土砂崩れにより海中に 没していたものを引き上げ修復した ものだそうです。 その隣には神武天皇御降臨伝説地の 石碑が立っています。 |
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八丁坂です。 「平安時代より江戸時代に磯石にて 築かる。参拝者の往還で中央部が すりへり凹んでいる。この部分はその 一部である」との説明が有りました。 日南市の指定文化財です。 手すりは勿論後でつけたものですが、 真中の石の減りが激しいのが 判ります。 |
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新参道に1965年(昭和40) 開通した鵜戸崎隧道です。 それまでは八丁坂を登り降り していました。 |
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