吉松家住宅
 元のページへ戻る
松家は豊臣秀吉の九州征伐に敗れた秋月種長が、甘木(福岡県)から高鍋・串間へ配置替えとなった時、
秋月氏に従って串間へ入ったと伝えられています。江戸期を通じて武士格の家柄であり、幕末期に
吉松卓蔵が市木川北郷の庄屋となって串間の歴史に登場します。
長男の忠敬、孫の忠俊と、三代にわたり材木商いなどで財を成し、政界にも進出して、地域の政治・経済の牽引役を
果たしてきました。旧吉松家住宅は、その全盛期にあたる大正年間に建築されました。
2004年(平成16)に国登録有形文化財に、2008年(平成20)には国指定の重要文化財になっています。
吉松家住宅の見取り図です。
表玄関は下段中央になります。

現在は右の蔵の前の入口から
入ります。

串間市の運営で見学は無料でした。
一部の部屋(ピンクの丸の部屋と大広間)
は有料で貸し出ししています。

表玄関の門は閉じられています。
特別な来客以外には開けられない
そうです。

受付から入って、台所方面を見学、
仏間から戻り、座敷(ろ、は)を通り、
大広間から浴室を見て、書斎、玄関の間
から受付に戻りました。

家屋は国の重要文化財に指定
されています。

入り口部分です。ここは二階建てに
なっています。

右手の白い建物が外蔵です。
台所の廊下から眺めた
座敷(ろ)、(は)の外側と内庭です。
台所の内部です。
仏間です。
仏間と奥座敷は吉松家由来の品が
展示されています。
奥座敷の様子です。
展示場になっています。
奥座敷から眺める内庭です。
庭に石造りの筒状のものが
有りました。
防空壕かと思ったら井戸の水を
ためておく貯水槽のようです。
書斎から大広間へ向かう外廊下です。
廊下のガラスは全て手作りのものです。
景色が少し歪んで見えます。

奥の右は浴室になります。
座敷(ろ:奥)、(は:手前)です。

ここは有料で一般利用が可能です。
大広間です。
ここも有料で一般に貸し出しされています。
浴室です。

元々は大きな桧の浴槽が有ったとの
ことです。奥に見える水槽は湯溜で
ここから桧の浴槽にお湯を入れた
様です。
浴室の廊下から眺める内庭です。
玄関の間です。

ここには竹を描いた杉戸が
張り巡らされています。
絵は建設当初のままです。
 元のページに戻る