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朝熊(あさま)山の山頂にある空海ゆかりの古刹で、 伊勢神宮の鬼門を守る寺としても有名です。 金剛證寺の創建は欽明時代の御代(6世紀後半)、 暁台上人によって開かれたと伝えられています。 825年(天長2)弘法大師空海が真言密教の 根本道場を建て本尊に福威知満虚空蔵菩薩を祀り 勝峰山兜率院金剛證寺と称しました。 弘法大師空海は当山において虚空蔵求聞持法を 修したと伝えられています。その後、無住の時代が続き、 1392年(明徳3)鎌倉建長寺71世(円覚寺61世) 仏地禅師が入山し寺の再興に努めました。 仏地禅師は中興の祖と仰がれ、真言宗から臨済宗に 改宗され、臨済宗南禅寺派のお寺となりました。 神仏習合時代、金剛証寺は伊勢神宮内宮の奥の院とされ、 お伊勢参り参拝客が必ず訪れる場所だったそうです。 数字は@連珠橋、A本堂(摩尼殿)の前にある牛と寅の像、 B仏足石、C経ヶ峯参道、D芭蕉句碑、E竹内浩三の碑、 F九鬼嘉隆の碑、G御木本家の墓、Hおちんこ地蔵です。 |
金剛證寺の総門です。 駐車場より外にあります。 |
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仁王門です。 1979年(昭和54)に再建されて います。 両側に仁王像が見えます。 |
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仁王門表側に据えられている仁王像です。 左は吽形像で怒りを内に秘め、 右は阿形像で怒りを顕にしています。 |
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仁王門の反対側にある像です。 左の像は雨宝童子です。 右の像は確認出来ませんでした。 |
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仁王門への登り口にある「金佛」です。 元は寂照寺に祀られており、その後、 三河の昌光寺に売られていたものを 買い戻して、ここに祀られた阿弥陀像だ そうです。 |
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空海によって掘られたという 「連間(つれま)の池」と赤い橋は 「連珠橋」です。 橋は1672年(寛文12)に創建されて います。 画面にポインターを置くと 連珠橋の拡大とその右手に 雨宝堂をご覧いただけます。 |
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橋の向こうの祠は「雨宝堂」です。 雨宝堂では大日如来の化身である 天照大神が、日向国(宮崎県)に 降り立った十六歳の御影を、 弘法大師が感得して刻まれたと 言い伝えられた神仏習合思想の 神像、雨宝童子尊をお祀りしています。 雨宝堂の雨宝童子像は国の重文です。 |
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本堂(摩尼堂)の前にある香堂です。 |
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香堂の傍には牛(左側)と虎(右側)の 像が置かれています。 牛の頭には大黒様が立ち、この牛に 触るとご利益ありとして頭が光っている 「福丑」です。 虎は虚空蔵大菩薩の知恵を授けられた 「知恵寅」です。 やはり頭部が撫ぜられて光っています。 |
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本堂(摩尼堂)です。 国指定の重要文化財です。 1701年(元禄14)に徳川綱吉の母、 桂昌院により修復され、現在に 至っています。 ご本尊は福威智満虚空蔵菩薩で 秘仏とされ二十年に一度 (神宮の御遷宮の翌年)御開帳される とのことです。 |
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本堂から奥の院への参道にある 「明星堂」です。 1860年(万延元)3月建立とされ 御本尊は明星天子、脇侍として 飛頗藜大王、毘沙門天をお祀りしています。 明星天子は、虚空蔵菩薩の化身であり、 太白星、金星の御名があり、伊勢神宮の 内院鬼門除けで、厄除開運の星斗と いうことから神宮鎮護のため、ご本尊を 助けていると言われています。 |
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八大龍王、経ケ峯への入口です。 八大龍王社は朝熊山(555m)の 頂上にあります。 参詣道入り口だけで失礼しました。 眺望は素晴らしいとの事です。 |
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奥の院への参道途中にある 芭蕉の句碑です。 影で見難いですが、 「神垣や おもひもかけず 涅槃像」と 刻まれています。 |
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極楽門です。 奥の院への入口になります。 「この門をくぐったものは仏様の 慈悲の誓願によって、全て皆 極楽浄土へ往生せしむる」と 記されています。 1976年(昭和51)の建立です。 極楽門をくぐると数多くの卒塔婆や 供養塔が並んでいます。 |
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墓、供養塔の入口にある 「伊勢の反戦 詩人」竹内浩三の 石碑です。 戦争で死んでしまう人の、「その心や」 と、呼びかけています。 |
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「卒塔婆の供養林」です。 奥の院の参道には仏地禅師の五輪塔を 始め歴代住職、北畠家、九鬼家、慶光院、 伊勢志摩地方の方の供養塔、 そして追善供養のための卒塔婆が 参道狭しと連立しています。 これは人が亡くなると霊魂は山に 還るという霊山習俗によるもので、 仏は三十三年、神は五十年経たなければ 先祖になれず、その間は山に留まって いるとされることによります。 画面にポインターを置くと、卒塔婆に 遺族が掛けた遺品をご覧いただけます。 卒塔婆に遺品は掛けないで下さいとの 注意書きもありますが、結構いろいろと 掛けられていました。 因みに、卒塔婆のお値段は一番大きい 7.8mのもので永代供養料が50万円、 以下10万円刻みで小さくなり、4.2mが 10万円、更に7,5,3,2,1万円(1.8m) とあり、ここまでは建立期間6年間維持 されます。これ以下は3ヶ月未満となり、 5千(1.5m)、3,2,1千円(75cm)で 45cmは期間1か月未満で500円です。 |
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奥の院境内にある手水屋です。 寒さで凍っており、真中に穴が 開けてありました。 |
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奥の院本堂です。 奥の院のご本尊は延命子安地蔵を祀り、 境内にはたくさんの地蔵尊が 祀られています。 画面にポインターを置くと 奥の院の全体をご覧いただけます。 |
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奥の院本堂の傍に有る地蔵尊です。 合祀供養塔があり、卒塔婆を立て、 6年経つと、全てここに合祀されるとの ことです。 奥の建物は茶屋で、ここから富士山が 見えることもあり、富士見台と 名付けられています。 「海を呑む 茶の子の餅か 不二の雪」 という、一休禅寺の句が案内板に 書かれています。 |
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墓地に滴る水流が寒さで ツララになっていました。 寒の時期なればこそ。 |
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御木本家の墓地です。 | |
武州白川荘の城主小川頼重公の 五輪塔です。 頼重公の息女御曾孫の方が 父の菩提の為に建てられたものです。 |
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九鬼嘉隆の五輪塔です。 九鬼嘉隆は志摩の国衆として、 安土桃山時代に九鬼水軍を率いた 水軍武将です。 1600年(慶長5)に関ヶ原の戦いで 敗れ、自害しています。 嘉隆の三男・有慶が父の菩提を 弔うために金剛證寺に入り、 第12世となったのを機に父の 供養塔を建てたものと思われます。
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仁王門の手前にある 「おちんこ地蔵尊」です。 子授け地蔵尊とも言われています。 この地蔵尊は、子宝に恵まれない 人々に広く信仰されている そうです。 お地蔵さまに可愛いらしいおちんこが 付いています。 |
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