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三重県は中部東海に含まれる場合と、近畿地区に含まれる場合が有りますが、
経済圏的には東海に近いようです。
名古屋経済圏に含まれる地区が北部では多いようです。

三重と言えば伊勢。そして、松阪牛に真珠。
もっとも公害都市として有名になった四日市もあります。

県庁所在地は日本で最も短い名前の津市。

内陸に入ると東海よりも近畿に近い感じがします。
名張市の赤目四十八滝も奈良県に近いし、伊賀上野も京都・滋賀にも
接しています。

三重県の人口は約185万人、都市では四日市市が人口約31万人で最大、
次いで県庁所在の津市が約28万人です。

2012年4月に名張市の赤目48滝を訪れました。

2017年1月には久し振りの伊勢志摩地区を訪れ、伊勢参りをして來ました。
宿泊はサミットの折、安倍総理が宿泊した「賢島宝生苑」に二連泊しました。


伊勢・志摩
伊勢志摩は三重県の南東に位置し、伊勢神宮と真珠養殖が有名ですが、2016年にサミットが開催され
有名になりました。日本人の心として、一生に一度は伊勢参りがしたいとも言われています。
2017年1月に団体ツアーに参加して伊勢志摩地方へ行きました。
新幹線豊橋駅からバスで伊良湖(いらご)岬へ出て、伊勢湾フェリーで三重県鳥羽市の
鳥羽港から伊勢志摩地方へ入りました。
鳥羽市から志摩市へと向かい初日は英虞湾にある賢島で宿泊、ホテルはサミットで
安倍総理が宿泊した「賢島宝生苑」でした。今回は連泊でした。

伊勢市は伊勢神宮の門前町として発展した街で、人口は約13万人弱で、桑名市に次いで
6番目になります。市内には伊勢神宮の外宮・内宮や別宮があります。
伊勢神宮別宮14社の内12社は伊勢市内にあります。他に摂社、末社、所管社をあわせ
全部で125社あるそうです。

鳥羽市は伊勢市に隣接し、人口2万人弱の街で、伊勢参りの観光客の宿泊地になっています。
伊勢湾フェリーの発着港があります。

志摩市は北側が鳥羽市、伊勢市に接する人口約5万人ほどの街です。市の海岸は
リアス式海岸で、中央には英虞湾があり、2004年の地域合併時に市名が志摩と
なりました。志摩市はそのほぼ全域が伊勢志摩国立公園内にあります。
養殖漁業が産業の中心で、海女さんの多い地域でもあります。
海女さんは元々は男性の海士だったのが、皮下脂肪の厚い、乱獲をしない女性が多くを
占めるようになったとの事です。
伊勢志摩へ入るのに、新幹線豊橋駅
から三重県へ向かいます。

豊橋駅前の様子です。
右の建物はホテルアソシア豊橋です。
駅ビルに接しています。
建物の向こうが駅構内になります。

中央は駅の一部で、南口広場です。

手前は路面電車の停車場です。
伊良湖岬にある道の駅「伊良湖
クリスタルポルト」です。

伊勢湾フェリーの乗船受付も
あります。
鳥羽行きの伊勢湾フェリーが発着する
伊良湖岬港です。

この船が伊良湖と鳥羽を往復しています。
港を出てすぐに左手に見える
伊良湖岬です。

左手の塔は伊勢湾海上交通センター
です。海上保安庁交通部の施設です。

右手は伊良湖岬灯台です。
日本でも珍しい、磯に建つ灯台です。
1929年(昭和4)に建設・点灯されました。

海面から塔頂までは15.5mあります。
港を出てすぐに出会う島は「神島」で、
伊良湖岬の目の前にありますが、
三重県鳥羽市に属しています。

三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった
島です。
鳥羽港です。
右手奥が伊勢湾フェリーの桟橋に
なっています。
この日は鳥羽市に到着後、そのまま
志摩市賢島にあるホテル
「賢島宝生苑」へと向かいました。

このホテルは2016年に開催された
サミットの折に安倍総理の宿舎として
利用され、議長会見場としても使用
されました。

賢島の南端にあり、英虞湾を一望できる
ホテルです。

下は、ホテルの部屋からの英虞湾の
眺望です。
ホテルの庭園でサミットの為に
造られた庭だそうです。

英虞湾に昇る朝日です。

ホテルの様子や食事の内容など
宿舎の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

賢島宝生苑
近畿日本鉄道の賢島駅が
鉄路の奥に見えています。

賢島線の終着駅です。

画面にポインターを置くと
近鉄賢島駅の入口もご覧頂けます。
伊勢市二見町にある「二見興玉神社」
です。二見ヶ浦に面しています。
この先に神社本殿や天の岩屋が
あります。

二見ヶ浦の「夫婦岩」です。

二見ヶ浦の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

二見ヶ浦
「豊受大神宮」(伊勢外宮)です。

表参道「火除橋」です。
外宮では歩行者は左側通行です。

外宮の正宮が左手にあり、参拝者は
祭神に遠慮して、正宮の門に遠い側の
道を通って参拝するために左側を
通ることになります。

内宮は正宮が一の鳥居の右側に
あるので、右側通行になります。

豊受大神宮の正宮です。
鳥居から内側は撮影が禁止
されています。

外宮の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

豊受大神宮

外宮参拝後、昼食の前に
猿田彦神社へ参拝しました。

猿田彦大神は、ものごとの最初に
御出現になり万事最も善い方へ
“おみちび き”になる大神で、
古事記、日本書紀などにも
「国初のみぎり天孫をこの国土 に
御啓行(みちひらき)になられた」と
伝えられています。

猿田彦神社の詳細は
下記ボタンからお入り頂けます。

猿田彦神社
伊勢市を流れる五十鈴川です。

浦田橋から東側の眺めです。
川の両側は駐車場になっています。
人出の多い時には内宮までの1km程
歩くのだそうです。更に、外宮までは
4km以上も歩くため、参拝をあきらめる
人もいるのだそうです。
浦田橋の袂にある建物で、
五十鈴茶屋です。おかげ横丁から
少し離れていますが、その一部の
様です。

木造の雰囲気のある建物です。
浦田橋袂にある「手ごね茶屋」です。
2日目の昼食はここで手ごね寿司を
頂きました。

画面にポインターを置くと
手ごねずしをご覧いただけます。

手ごねずしは赤身の魚を醤油を
中心としたタレに漬け込んだ後、
寿司飯へと合わせて食べる
ちらしずしです。
沖での忙しい鰹漁のさなかの食事として、
獲れた鰹を千切りにして醤油を付け、
炊きたてのご飯に手で混ぜて食べたのが
始まりとされています。
この日の具は鮪でした。
昼食後、皇大神宮(伊勢内宮)を
参拝しました。

宇治橋鳥居です。内宮へはここから
入場します。
内宮では歩行者は全て右側通行です。

この鳥居は式年遷宮の折に、古い社殿の
柱を利用したものです。
従い、遷宮の際にはこの鳥居が最後に
作られるのだそうです。

内宮の正宮です。
正宮の本殿には天皇以外は
立ち入ることが出来ません。

お祓いを受ける人は門の中までは
入れるようです。

内宮の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

皇大神宮
宇治橋の全景です。

宇治橋の欄干擬宝珠のうち、
江戸時代から残されている物が
一つだけあります。
参拝客が撫ぜて行くので、銅光して
います。
画面にポインターを置くと
その擬宝珠をご覧いただけます。
正宮から戻って宇治橋を渡って
右に折れると「おはらい町通り」に
でます。
内宮の参拝客相手の商店街です。

1kmほどの通りに色々なお店が
並んでいます。
代表的な店は「赤福」本店です。
伊勢土産のナンバーワンは赤福だ
そうです。

おはらい町通りの中ほどに
「おかげ横丁」があります。

おかげ横丁は、第61回神宮式年遷宮の年、
1993年(平成5年)に、伊勢神宮内宮
門前町「おはらい町」の中ほどで、
お伊勢さんの「おかげ」という感謝の
気持を持って開業しました。

お蔭参りで賑わった江戸時代末期から
明治時代初期の門前町の町並みを
再現した物だそうです。


おかげ横丁
伊勢志摩地域では門飾をした家が
多くあります。

お正月が過ぎても飾ったままです。
関西では1月15日まで松の内で飾りを
している家が多いですが、伊勢志摩では
それ以降も飾ったままだそうです。

「昔々、伊勢を訪れた須佐之男命が
宿を探して彷徨っていると、蘇民将来が
自分の家に招き、貧しいながらも精一杯
もてなしました。感激した命が’門口に
これを掲げておけば、子孫代々疫病から
免れるだろう’と門将を授けて旅だちました。
以来、蘇民家は末永く栄えたました」
と言う事で、現在もその言い伝えは
伊勢の家庭に生きているそうです。

この家の飾りには「笑門」と書かれて
います。



下は、色々な飾りで、左は笑門と書かれ、
中は「千客万来」、右は「蘇民将来子孫家」
と書かれ、いずれも一年間の無病息災、
家業繁栄を祈念しています。
賢島の郵便局にも「千客万来」と
書かれた門飾がありました。

郵便局も民営になり、お客さんを沢山
呼び込む必要があるのでしょうねぇ。

なお、阿児は1955年(昭和30)に
1町6村が合併して阿児町となり、
2004年(平成16)に5町が合併し
志摩市となり、阿児町として残ったもので、
この地域を阿児町と言います。

賢島は阿児町の一部で、正式には
阿児町神明となります。
賢島大橋から眺める大橋東側の
眺望です。

右手に見える建物は志摩マリンランドです。

海面のいかだは真珠養殖用の筏です。

賢島はこの賢島大橋と画面奥右にある
賢島橋の2本の橋からのみ入ることが
できます。この条件が警備上便利として
サミット開催地に選ばれたとの事です。

賢島の南にある英虞湾遊覧の
船着き場です。

英虞湾内の有人島への連絡船も
ここから出ています。

英虞湾遊覧の詳細は下記ボタンから
お入り頂けます。

英虞湾遊覧
三日目の朝は朝熊山(あさまやま)へ
登り、伊勢湾の眺望を楽しみました。
正式には「朝熊ヶ岳」標高555mで、
志摩半島の最高峰です。

伊勢志摩スカイラインの途中から
山へ入ります。

英虞湾は逆光で綺麗に見えなくて
残念でした。

朝熊(あさま)とはアイヌ語で
「ひのいずるやま」の意味だそうです。

この地点は標高500mですが、頂上は
555mの山です。

展望台からは、東・南・西の眺望が
楽しめる場所です。
また、足湯の設備があり、有料ですが、
あったまりながら景色を楽しむことも
出来ます。
この日は営業時間前で
開いていませんでした。
山頂から鳥羽市方面を眺めています。

正面の大きい島は答志島、右手に見える
島は神島、その奥に渥美半島が見えて
います。


下の写真は鳥羽市を含めた志摩半島の
東部地区全体です。

更に下の写真は西方向の眺望で、
伊勢・志摩市の山並が見通せます。
左は展望台にあるポストで、「恋人聖地・
天空のポスト」と呼ばれているようです。

右は「御木本幸吉駕籠立碑」で、大正初期に
御木本翁が駕籠で朝熊山に登り、
ここから見た景色の美しさに感動して、
自らこの碑を立てました。
この碑の奥が足湯場になっています。
左は「天皇皇后両陛下お立ち寄処・
朝熊山展望台」の立札と
「朝熊山の眺望 をちかたは 
  朝霧こめて秋ふかき 野山のはてに 
                   鳥羽の海みゆ」
の昭和天皇御製の碑が立てられています。
1975年(昭和50)両陛下が訪れています。

右は伊勢湾の眺望と手前にある案内図です。
この日は富士山が見えませんでしたが、
ここから冬の天気の良い日には富士山が
見えるそうです。

朝熊(あさま)山展望台からすぐの所にある
「金剛證寺」です。
伊勢神宮の奥の院になります。

また、神宮の鬼門にも当たります。

この寺は825年(天長2)に空海により
創建されたと言われています。

室町時代には、「伊勢へ参らば朝熊を
駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、
伊勢志摩最大の寺院になったそうです。

金剛證寺の詳細は下記のボタンから
お入り頂けます。

金剛證寺
伊勢志摩スカイラインから眺める二見ヶ浦
方面の風景です。

右手の山に白い点で見えるのは
伊勢・安土桃山文化村にある安土城を
復元した城です。

中央を流れる川は五十鈴川です。

手前の街並は二見町の一部です。
スカイラインのゲート近くにある
五十鈴公園とスポーツの杜です。

運動場は改修中の様で、出来上がれば
立派な競技場になりそうです。
こちらは宮川です。

かってはこの川で浄めて神宮参拝を
した川だそうです。

三重県内だけを流れる川としては
最長(91km)の川です。

伊勢自動車道からの眺望です。
松阪市内の南端を流れる
「櫛田川」です。
松阪市と多気町の市境を流れています。
紀勢線多気駅より下流は松阪市内を
流れています。河口は伊勢湾に注ぎます。

同じく伊勢道路からの眺めです。

左手は松阪市、右手多気町となります。
伊勢道路から眺める松阪市街地です。

松阪市は三重県の市の中で人口では
4番目(16.4万人)で、面積では2番目
(62.4㎢)の市です。


松阪市にある松阪牛の老舗、和田金です。

この日は我々の結婚記念日で関西式の
すき焼きを楽しみにしていました。

松阪牛独特のあま~い脂身と口の中で
とろけるような肉質を期待していましたが、
ちょっと期待はずれ。
ここでの昼食は6名だけでしたが団体での
予約だったからでしょうか。

和田金での昼食の様子は下記のボタンから
お入り頂けます。

和田金
松阪市から四日市市に向かうと
一昨日の雪がまだたっぷりと残っていました。

鈴鹿山系は雪景色です。
四日市市の市街地も雪景色です。
名古屋駅から新幹線で東京へと向かいます。

ビルは名古屋駅前のビル群です。
正面の白いビルはJRセントラルタワーズ、
245mあり名古屋駅の上にあります。

右のビルはミッドランドスクエア247mで
東海地方で最も高いビルです。

最も左手はJRタワー名古屋、その前は
名古屋ルーセントタワーです。

東海地区の高層ビルが殆どここに
集中しています。
名張市
名張市は奈良県に接し、近鉄利用で大阪まで約60分と云うことから奈良、大阪の
ベッドタウンになっています。赤目48滝が有名で、関西からの観光客で結構賑わいます
赤目四十八滝
赤目四十八滝は奈良・三重に亘る室生赤目青山国定公園の中にあります。
約4kmの渓流に大小様々な滝が形成されています。メインは5個の滝ですが、今回はその内の4つのみ
見てきました。最後の琵琶滝は時間の関係で届きませんでした。
赤目四十八滝の案内図です。

黄色い枠取りのある滝は赤目5瀑と呼ばれる
代表的な滝です。
遊歩道は結構アップダウンが多く、日暮れに近づくと
明かりが無いので、明るい間に戻るようにと
注意されました。

今回は3時半ころから歩き始めたので、
5時半には出口まで戻る必要があり、
2時間での往復となりました。
結果、琵琶滝には行けず、
荷坦滝でUターンとなりました。
渓谷の入口からすぐのところにある
「行者滝」です。
渓流沿いの道は結構アップダウンが激しく、
中にはビル3~4階位を上がり下りするような
階段もあります。
渓流沿いに「赤目牛」の像があります。
これは、役の小角がこの地に来た折に、
滝に向って行を修めると、牛に乗った
不動明王が現れ、その牛の目が
赤かったことから
この地を赤目と名付けたそうです。
五滝の最初の一つ「不動滝」です。

高さ15m、幅7m、深い滝壺をもっています。
赤目の滝まいりはこの滝にお参りする
ことだったそうです。
明治の中ごろまではこの滝より奥には
行けなかったそうです。
きれいな水の流れる渓流を登って行きます。
五滝の二つ目の「千手の滝」です。

高さ15m、幅4m複雑な岩を滑り落ちる
姿から名付けられたそうです。
渓流途中にある「護摩の窟」です。

この窟は弘法大師が護摩を修したところと
伝えられています。
内部には大師の像が納められているとの
ことですが、見えませんでした。

ポインターを画面に置くと、洞内の様子を
ご覧頂けます。
五滝の三つ目「布曳滝」です。

高さ30mあります。白い布を上から垂らした
ような滝です。
滝壺は深度30mあります。
エメラルド色の滝壺でした。
谷の両側には険しい岩壁が並んでいます。
この岩場も名前が付いていましたが、
失念しました。
中央の岩の先端が何か仏様の顔に
見えませんか??
このような小さな滝が幾つもあります。
四十八は実数ではなく
沢山のという意味なのだそうです。
「斧ヶ淵」と名付けられた淵です。
右の岩が斧のような形をしている
からでしょうかね。
道はこの右の岩を登るようになっています。
この岩は「七色岩」と名付けられています。
岩の上に七種類の木が植わっていることから
名付けられています。
この辺りから時間との勝負。

往復2時間見れば、1時間強のところで
Uターンせざるを得ません。

家内は戻ると言うことで、
更に一人で先へ急ぎました。
五滝の四つ目「荷坦滝(にない)」です。

人が荷を担ぎ棒で担いでいるように
見えることから名付けられています。
真中の岩がなんとなく
人の顔に見えませんか??
この滝は赤目四十八滝の顔となっており、
宣伝写真に使われる滝です。

ここまで急いで1時間強。
残り時間を考えると五滝最後の
「琵琶滝」まではちょっときつそうなので、
止むなくここでUターンしました。

赤目温泉の宿舎です。

朝霧の中に少し色付いた木々が
とても爽やかでした。
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