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成田市に隣接する富里市は元々平安時代から牧場としての「牧」があり、 江戸時代にはこの地帯が「佐倉七牧」として幕府直轄の牧場でした。 明治維新後はこの牧場は失業者対策として開墾が進められ、牧場は徐々に 狭くなっていましたが、1875年(明治8)下総牧羊場・取香種畜場が開設され、 1888年(明治21)には宮内庁管轄の「下総御料牧場」と改称され、 牧場は富里(十倉両国)から三里塚に移されました。 牧羊・種畜場の責任者として明治政府が雇ったアメリカ人のアップ・ジョーンズ の官舎として1875年(明治8)富里に建設された建物が、1888年(明治21)に 牧場移転に伴い、三里塚に移設されました。これが現在の貴賓館です。 成田新空港建設計画では当初は旧富里町に建設予定されていましたが、 町民の反対で、広大な牧場の残っていた三里塚に新空港が建設されることに なりました。その後の、三里塚空港反対闘争はご承知の通りです。 空港が三里塚に建設されることで、元の御料牧場は1969年(昭和44)に 栃木県塩谷郡へ移転しました。 下総御料牧場には1951年(昭和26)に皇太子(現天皇)が、1953年(昭和 28)には昭和天皇・皇后がそれぞれ訪問しています。また、1949年(昭和24) に宮内府が英国代表部をこの地へ招待し、園遊会を開催して以降、在京 外交団への招待会が恒例となり、閉場までの間続いたそうです。 下総御料牧場跡に「三里塚記念公園」が作られ、この地に作られていた 東宮用の防空壕(御文庫)も一般に公開されています。 三里塚記念公園は「日本の歴史公園100選」に選ばれています。 |
三里塚記念公園の正門です。 左手に駐車場が有ります。 正門から記念館までの通りは マロニエ(栃ノ木)並木と名付けられて います。 両側にマロニエが並んでいます。 |
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記念館への途中に 「貴賓館」があります。 1875年(明治8)に佐倉七牧の 有った十倉村両国に建てられた 米国人責任者の官舎でした。 その後、下総御料牧場として 三里塚に牧場が移されるとともに 事務所として移設されてきました。 1933年(大正8)に新しい事務所の 完成により、内部を改装し、貴賓館として 各国の大公使招待の園遊会会場として、 或いは、皇族の宿舎として利用されて いました。 |
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貴賓館の外観は和風で茅葺です。 右手の建物は風呂、便所になって います。 建物内部には入れません。 |
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裏側から見た建物です。 裏には洋風の出入り口が付けられて います。入ると洋風のホールに なっています。 手前は厨房です。厨房は洋室に 繋がっています。招待宴などの場合 食べ物が運びやすくしてあるのでしょう。 |
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玄関はこじんまりとしています。 | |
屋内の和室は電燈がモダンな形に なっています。 二の間の奥は洋風のホールです。 |
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一の間から奥座敷を眺めています。 |
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裏側の洋風入口から見た ギリシャ風ホールです。 奥の和室は二の間です。 |
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浴室と便所です。 便器は洋風になっています。 窓からの眺めで全体像が把握 出来ません。 |
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厨房は木質の壁になっています。 床はゴム質の敷物になっています。 奥の部屋は洋風ホールです。 |
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建物の外側には庭が有り、 水野葉舟と高村光太郎の文学碑が 立っています。 |
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左が水野葉舟の「われはもよ 野にみそぎ すと しもふさの あらまきに来て土を 耕す」の歌碑です。 右は光太郎が葉舟を訪れた時に御料牧場と 若駒を詠んだ「三里塚の春は大きいよ」で 始まる散文詩「春駒」の詩碑です。 |
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貴賓館の北隣に「御文庫(防空壕」が あります。 1941年(昭和16)12月8日に完成した 東宮(現天皇)用の防空壕です。 戦後、整備される前は自由に人が 出入りしていたそうですが、 1975年(昭和50)頃に入口を塞いで 人が出入りできないようにしていた ようです。 2008年(平成20)頃から一般市民の 要請により、整備が始められ、 2009年(平成21)に公開されました。 手すりや上屋は一般公開用に2010年 (平成22)に作られたものです。 現在は自由に見ることが出来ますが、 普段は入口が施錠されており、 事務所に声をかけると開けてもらえます。 |
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左は入口から主室へ向かう階段です。 中は主室の前にある爆風を吹き抜け させるための風道です。 この風道は主室の両側に設けられています。 右は主室への入口の鉄扉です。 |
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主室の内部です。 使われているコンクリートは 調査の結果では強度が45-69N/mmで、 現在の30階建以上の建物に使用する レベルの物だそうです。 湿度計や蛍光灯用の配線管は 2010年に整備されたものですが、 丸電燈は元々の物です。 |
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主室の反対側にも作られている 爆風逃しです。 この先は地上部に繋がっており、 爆風が主室に入らず、地上に抜ける ようにされています。 |
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公園の西端にある記念館と 傍に建つ「新山荘輔」の銅像です。 記念館は1933年(大正8)に 建てられたものが1969年(昭和44) 御料牧場の栃木移転の際に改めて 復元されたものです。 新山荘輔は駒場農学校(元東大)を 卒業後内務省に入省し、1888年に 下総御料牧場長を拝命。 場長として34年間の勤務中に 三里塚の発展や学童の奨学金制度 の創設などを行い、1922年には 銅像が建てられました。 銅像は第二次世界大戦の折に 金属供出で無くなりましたが、 2004年に有志の人達の努力で 再建されたのだそうです。 |
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記念館の展示品の一つに 御料馬車が有ります。 これは皇族用ではなく、要人客人が 乗ったものだそうです。 普通車4号と呼ばれ、内装などは 比較的質素になっています。 皇族用の御料車は内装は ゴブラン織りなど豪華な設えと なっているそうです。 |
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記念館内には 御料牧場関係の資料以外にも 色々な地域の資料も展示されています。 左の埴輪は三里塚で出土した 馬の埴輪です。 |
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農耕、牧畜用の器材展示です。 奥に立っている銅像は新山荘輔5代 御料牧場長のブロンズ像です。 画面にポインターを置くとブロンズ像と 資料などをご覧いただけます。 |
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記念館に展示されているお召機用の 特別調度品です。 1971年9月に昭和天皇・皇后が欧州 訪問の際に搭乗された航空機に設置 されていた調度品がそのまま展示 されています。 座席などはごく普通のものです。 |
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御料牧場は競走馬哺育のパイオニア的 存在でもあります。 日本で最初にイギリスからダービー馬を 輸入して、種牡馬として多くの名馬を 生み出しています。 その顕彰碑もあります。 右は1927年(昭和2)にイギリスから 輸入されたトウルヌソルの碑で この馬の子孫6頭がダービー馬に なりました。 その左は1935年(昭和10)に輸入された ダイオライトの碑です。 史上初の三冠馬(皐月賞、ダービー、 菊花賞)セントライトを産出しています。 左端は日本獣医学発祥の地としての 御料牧場を記念した 「獣医学実地教育発祥の地」の碑です。 大久保利通の建議により、明治政府が 欧米の優れた畜産技術、獣医学を 導入した成果が御料牧場にも影響を 与えているようです。 |
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正門へ向かう並木道です。 大きなマロニエ並木です。 右側は桜の広場になっています。 左は貴賓館の敷地です。 |
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