日光・鬼怒川
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日光・鬼怒川は日光国立公園の中にあります。
日光と言えば東照宮ですが、2013年(平成25年)4月から6年間にわたり改修工事が行われます。
当分は陽明門をはじめ内部参観が難しくなるようです。と言うわけで今生の見納め?に行ってきました。
念願の日光金谷ホテルでランチを摂って東照宮、輪王寺、二荒山神社を回ってきました。
今回は奥の院、大猷院は行く時間なく、眠り猫も見ずじまいでした。
前回は鬼怒川温泉周辺と中禅寺湖周辺を主として歩きました。この近辺には景勝地が多く、
短期間では多くを見ることが難しいです。
日光は日本人もさることながら東南アジア人を含めた外国人が圧倒的に多いようです。

日光
日光市は「日光を見ずに結構と言うなかれ」と言われるように東照宮をはじめ
色々な見どころを持っています。前回は日光御用邸と家光の祀られている大猷院のみを
巡りました。大猷院は仲間のアクシデントで結局入り口の門だけで本殿、特別公開されていた
家光像は拝観できずじまいでした。
今回はガイドの説明付で日光東照宮と二荒山神社、輪王寺を回りました。
説明で初めて知ったことも結構あり、先達はあらま欲しきものかなを実感しました。
日光東照宮
日光東照宮は徳川家康を祀る神社として1617年に創設され、
1645年に宮号を賜り、東照宮と称するようになりました。
現在の主な建造物は徳川三代目家光により1636年に造営
されています。
2013年4月から6年間の大修理に入りますので、
暫くは輪王寺の如き工場のような景観になるのでしょう。
日光東照宮への参道です。
東照宮の入り口にある
石の鳥居です。(重文)
掲額は東照大権現と
表記されています。
1617年死去の翌年に
朝廷から贈られた神号です。
鳥居は1618年黒田長政から
奉納されたもので、
日本三大石鳥居の一つです。
あとの二つは
京都八坂神社と鎌倉八幡宮の
石の鳥居です。
表門です。(重文)

表門の手前左には
五重塔があります。(重文)
1650年に酒井忠勝が
寄進建造しました。
1815年に焼失しましたが、
1818年に再建されています。
高さは36m、一層の上部には
干支が方角に合わせて彫られて
います。
北に子、南に午が彫られています。
子午線の由来です。
スカイツリー開業に合わせて
内部公開をしています。
その言われは、五重塔の芯柱が
固定されず宙に浮いており、
スカイツリーもこれを取り入れて
建設されたことから
期限付き公開を行っている
そうです。
表門を入ってすぐ左手に
神厩があります。(重文)
彩色されている建物が多い
東照宮で唯一木造の
建物です。
この欄間に猿の彫り物が
あります。
有名な三猿(見ざる、言わざる
聞かざる)は左から二番目に
あります。

猿は馬を守ると言われており、
正面の5枚と右カベ3枚の
計8枚の猿の彫り物があります。
これは猿の一生を表現しており、
そこから人の道を示唆していると
言われています。
左は母子猿で、誕生・子育て
を表すとの事です。
(上の写真欄間左1枚目)

右は三猿で、子供の教育の
あり方を示しており、悪いことに
かかわらない方法を示唆して
いるとの事です。成長を表す
との事です。(左から2枚目)

左は希望を持って旅立つ
ところだそうです。
(欄間右から2枚目)

右は絶望している仲間を
慰撫しているところだそうです。
(右から1枚目)
表門から入って右手~
正面にかけて
三神庫があります。(重文)
左手が上神庫、その隣が
中神庫、右正面が下神庫
です。
校倉造を模した作りで
内部には行列用の衣装
1200人分が収納されています。


上神庫の屋根の下には
象の彫り物があり、狩野探幽の
下絵から彫られていますが、
探幽は象を見たことがなく、
想像で描いたものと言われて
いるそうです。
「想像の象」です。
左手の建物は経蔵です。
内部に輪蔵と呼ばれる
八角形の回転式大書架が
あるそうです。
右手石垣の上に見えるのは
鼓楼です。

経蔵の左にある水屋(重文)と
銅の鳥居です。
いずれも国指定の重文です。

陽明門(国宝)です。
日暮門(日暮れになるまで見て
いても飽きることがないと言う
ことから)とか、後水尾天皇の
勅額があることから勅額門とも
呼ばれています。

門の上の彫り物(下の写真)の
獅子の目が抜かれていることから
人の行き来の多い通りを
目抜き通りと言うとはガイドの
説明でした。


陽明門の八本の柱のうち
内側右から二本目は
グリ紋の向きが他の物とは
逆になっています。
これは完成すれば即崩壊が
始まるとの古事から
この門がいまだ完成されていない
ことを表すため
意図的になされたこととガイドが
説明してくれました。

説明本には「魔よけの逆柱」
とありました。
陽明門の両側に伸びる
回廊です。(国宝)
すべて彫刻で埋まっています。
陽明門から入った正面にある
唐門(国宝)です。
拝殿、本殿は既に修理のため
テント張りがされていました。


拝殿、本殿ともに撮影は
禁止となっています。
陽明門の左手にある
本地堂です。 
ここの天井(下図)は鳴龍として
有名です。内部撮影禁止で、
案内書からの借用です。


昔は参拝者が手を叩いていましたが、
現在は僧侶が拍子木を叩いて
音を聞かせる方式に変わっていました。
本地堂傍の社務所では
巫女さんが長い竿を手に
雪下ろしに励んでいました。
釣燈籠です。
1696年(寛永13年)に
オランダから奉納された
ものです。
火をつけると自然に回転
することから回転灯籠とも
呼ばれています。


この灯籠の上部の葵紋が上下逆に
彫られています。
これは陽明門の逆紋とは異なり
単純なミスだとのガイドの説明が
ありました。
奉納の品でも間違いがあるんですねぇ

同じくオランダから1643年に
奉納された回り灯籠です。
こちらは中心軸があり
回転するように作られています。


陽明門の下にある
南蛮鉄の燈籠です。
ポルトガルから運んだ
南蛮鉄で鋳造された物で、
伊達政宗の奉納です。
東照宮では最も有名な燈籠だ
そうです。
石鳥居の後ろから
参道を眺めています。
参道左手が輪王寺に
なります。
日光山輪王寺
日光山輪王寺はかっては日光一帯を統合しており、本堂以外にも大猷院、中禅寺
などなどのお堂や本坊、更には十五の支院をまとめて輪王寺と呼んでいました。
766年に勝道上人により開山されています。
輪王寺三佛堂は50年ぶりの
大修理のためこんな状態に
なっていました。
修理は平成30年まで
続くようです。

修復工事のため三佛も
このような壁掛けの仏様しか
拝見できません。

堂内の工事中の場所を
通り抜ける途中に
模型が展示してありました。
本堂の北側にある相輪とうです。
法華経など経典が納められています。
1643年に天海大僧正が建てた
ものです。高さ13mの銅製です。
護摩堂です。
護摩を焚いて祈願する場所です。
ここでは数珠を売っていました。
数珠はそれぞれ個人一代の物で
個人が亡くなればその数珠を持たせて
送るべきだそうです。
そのため、木質の数珠を持つべきで
石やサンゴなどは避けるべきとの事。
また、葬儀場やお寺で数珠の
貸し借りは絶対やってはいけないと
僧侶から説明されました。
代々引き継いでいる数珠はどうすれば
良いんでしょうかねぇ。
護法天堂です。
かっては毘沙門天、大黒天、
弁財天の三天が祀られており
福徳、開運を祈願する場所
だったそうです。
現在は三天は隣の護摩堂に
七福神として祀られているそうです。
日光二荒山神社
日光の三山(男体山、女峯山、太郎山)を千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音にあてて
お祀りしています。日光の本社、中禅寺湖畔の中宮祠、男体山頂上の奥宮の三つから
構成されています。ふたらさんじんじゃと呼びます。宇都宮の二荒山神社(ふたあらやま)と
区別するために通常は日光を頭に付けるようです。
東照宮から日光二荒山神社への
参道(上神道)です。
東照宮の石垣と石灯籠が続く道と
なっています。
二荒山神社の上神道からの
入り口です。
上神道の楼門です。
木造入母屋造りになっています。
1978年の男体山鎮座1200年祭を
記念して建てられたもので、
新しい建造物です。
上神道の鳥居です。重文です。
奥は本殿です。
拝殿です。重文です。
神門です。これも上神道の楼門と同様
1978年(昭和52年)の建造です。
下神道の出入り口となっています。
日光廟大猷院
大猷院は徳川三代将軍家光が死後に後光明天皇から賜った法号で、ここには家光が
祀られています。1652年から1年2か月で造営されました。
死後も大権現を守るという家光の遺言に従い、東照宮に向かって建てられており、東照宮の
白を基調とした彩色に対し、赤と金色を基調としています。
大猷院への入り口です。
正面は仁王門です。
大猷院は家光の死後家綱が
酒井忠勝に命じて1652年
に造営させたものです。
大猷院とは家光が死後
後光明天皇から賜った
院号です。
日光山輪王寺大猷院廟の
仁王門です。

大猷院は東照宮に比べ
建築技術は進化しており、
色は東照宮の白と金に
対し、赤と金を基本に
しています。
仁王門を上がったところに
ある水盤舎です。
お清めの水場です。
二天門です。
掲額には「大猷院」と
記されています。
後水尾天皇の筆です。
この門は陽明門より
少し大きめになっている
そうで日光山内で最大の
門になっています。
2010年の状態で
現在は既にテントで
蔽われています。
二天門と夜叉門の間に
ある鐘楼です。
豪華で精美な鐘楼と
なっています。
夜叉門です。
四体の夜叉が配されて
いることから夜叉門と
称されるようです。
別名牡丹門とも言います。

この奥には唐門、拝殿、
本殿と続き、皇嘉門まで
行けるのですが、今回
残念ながらここまでと
なりました。
日光金谷ホテル
日光金谷ホテルは現存する日本最古の西洋式ホテルです(案内書)。
ホテルは1873年の開業で、箱根富士屋ホテル(1878年)、奈良ホテル(1909年)
とともに日本の古いホテルとして有名です。
明治から昭和にかけて建てられたホテルの建物は国指定の有形文化財に
なっています。日光とは別に中禅寺湖畔に中禅寺金谷ホテルがあります。
金谷ホテルの正面です。
明治34年の建造です。
本館の2・3階は明治26年の建設で
1階部分は昭和11年に改築されて
います。
後ろに男体山を従え趣のある
ホテルです。
本館の入り口です。
扉の両側には鳳凰の彫り物があります。
本館の側面からの眺めです。
手前は庭園になっています。
2月末で雪が残っていました。
ホテルのフロントも
なんとなく歴史を感じさせます。
ダイニングの入り口です。
木彫りの柱が何とも言えず
古くて新しい雰囲気を
醸し出しています。
今日のメニューは
ビーフシチューと自家製パン。
しっかり煮込まれた肉とソースは
とても美味でした。
中禅寺湖
中禅寺湖は日光の西にある男体山の噴火により形成された火山湖(堰止湖)です。
一般にカルデラ湖は深いのですが、中禅寺湖は堰止湖ですが最深部は172mあります。
また、広さ11.5㎢は標高1,000m以上の山岳湖の中では日本一です。
朝日を受けた湖は
透き通った水が
美しく輝いています。
標高1269mにあります。
噴火により堰止られた
水が、崖から落ちる
のが華厳の滝です。
華厳の滝です。
高さ97mで日本三大名瀑
の一つです。エレベーター
に乗ると滝壺近くまで降り
ることができます。
滝の水量は季節により
変化するようです。
水門で制御するとの話も
有りました。


滝壺です。

中禅寺湖と華厳の滝
を一つにみられるのは
第二いろは坂の頂上
にある明智平から
ロープウエイに乗って
行ける展望台から
のみです。
右下に見える滝は
白雲の滝です。
明智平から第1いろは坂
方向を眺めています。
左がいろは坂、正面は
方等の滝です。
傍には般若滝もあります。
男体山です。
中禅寺温泉の街中
からの眺めです。
二荒山神社の境内に
登山道があります。
7月~8月に男体山
登拝祭があり、一人
1,000円を支払って
頂上まで登ることが
出来ます。
二荒山神社中宮祠の正面です。
中禅寺温泉街の奥にあります。
7~8月には男体山登拝祭が
行われています。
男体山頂上へは
ここから登ります。
二荒山神社の奥宮登山口です。
ここが男体山頂上への登口に
なっています。
登山料は1,000円です。
神社の本殿です。
重文に指定されています。
中禅寺湖の南側にある中禅寺です。
別名立木観音と呼ばれています。
日光山輪王寺の別院になっています。

中禅寺境内にある立木観音堂です。
開祖勝道上人の手になると
伝えられている桂の木の
一刀彫観音像が安置されています。
根の付いたままの桂の木を彫ったため、
現在も根が残っているそうです。

下は立木観世音像です。
堂内撮影不可のため
HPより拝借しました。



中禅寺の本堂、五大堂です。
内部には不動明王を中心に
五明王が安置されています。
境内の一番高い位置に
作られています。
中禅寺の前の道を奥へ進むと
外国大使館の別荘地帯があります。
一番奥のイタリア大使館別荘は
公園にして一般に開放されています。
落ち着いた佇まいの公園で時間を
過ごしている人が結構おられます。
もともとは大使館員のヨット遊びの場に
なっていたようです。
下は国際避暑地歴史館です。
元は副邸でした。


正式名は「日光田母沢御用邸記念公園」と称しています。大正天皇の皇太子時代の静養所として
造営された建物と庭園を一般公開しています。明治以降に造営された御用邸の中では全体がほぼ
現存する唯一の例だそうです。
日光田母沢御用邸公園
の御用邸入り口です。
大正天皇が皇太子時代
夏の静養所として1899年
に完成しています。
建物は銀行家の別邸や
紀州家江戸中屋敷の建物
等を再利用しています。
大正天皇の健康が悪化し
1919年に大増築され
その後も幾度かの増築
により現在の規模になった
ようです。
内部はそんな増改築の
経過を感じさせない造りと
なっています。
大正天皇の謁見室です。


日光御用邸の内部は
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