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中城城跡の案内板です。 開場は9:00からですが、早く着きすぎたので、 近くの城址公園へ行ってみましたが、城に関わる 物は何もなく、単なる運動広場でした。 開場5分前に入れてもらいましたが、霧が深く、 係りの人が城内チェック中ということで、更に10分ほど 待ったうえで、「滑るところが多いので、十分注意して 廻てください」との助言の上で入場しました。 城は連郭式の山城で、6つの郭で構成されています。 城壁は主に琉球石灰岩の切り石で積まれており、 積み方には三種類あります。 1972年5月15日(本土復帰日)に国史跡に指定、 2000年12月に世界遺産に登録されました。 赤丸番号は以下の写真の番号です。 |
@ 入口から入って城内へ向かう アプローチロードです。 よく手入れがされていました。 |
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A 三の郭の城壁です。 右手に裏門が有ります。 見学ルートの関係で裏門から 正門へ歩くことになります。 手前は広場になります。 |
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B 裏門です。綺麗なアーチに石が 組まれています。 1853年に調査に来たペリー探検隊 も精巧なアーチにエジプト式の門と 評したそうです。 |
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C 北の郭です。 此処の石組みは「あいかた積(亀甲 乱れ済み)」と言う方式です。 角のある石を組み合わせて亀甲の 模様のように積まれています。 強度と耐久性に富む積み方だそうです。 |
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D 三の郭のから見る二の郭の 城壁です。 布積み(豆腐積み)の城壁です。 直方体に加工された石を段ごとに 高さを合わせて積んでいます。 三の郭の城壁の石積みとは 異なっています。 三の郭には門がなく、 北の郭の横から入ります。 |
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S 三の郭の正面城壁です。 三の郭は新城(ミーグスク)とも 呼ばれていて、石積技法の最も 進んだ「あいかた積(亀甲乱れ積)」 によって築かれています。 |
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E 二の郭から見た三の郭の全景 ですが、霧の為よく見えません。 階段で城壁の上に出られるように なっています。 |
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F 二の郭です。 一の郭との間に門があり、 行き来できるようになっています。 二の郭は城壁の曲線が美しく、 拝所と日露戦争戦没者慰霊碑が あります。 |
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二の郭の内部西寄りです。 奥に慰霊碑が有ります。 |
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二の郭の東寄りです。 右端奥に拝所が有ります。 「シライ冨ノ御イベ」と 表記されていました。 |
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G 西の郭です。 兵馬の訓練をしたと 言われている場所です。 長さ約120mほどあります。 |
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H 南端に石碑が立っています。 城壁は南の郭です。 |
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I 正門になります。 櫓門とも呼ばれ、 門を挟むように石垣が せり出し、狭間が作られて います。 |
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J 南の郭です。 南の郭には幾つかの 拝所が有ります。 ここは霊域になっていたと 思われます。 ここの石垣(左端の方)は 野面積(のづらづみ)と呼ばれる 方法で、加工しない石をそのまま 積んでゆく技法で、最も古い方法です。 |
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K 南の郭にある 「御當蔵火神(うとうくらひぬい)」 通称首里拝所です。 |
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L 同じく南の郭にある拝所、 「雨乞いの御嶽(ウタキ)」です。 ここで雨乞いが行われたのでしょう。 |
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M 中城城で最も大きい一の郭です。 二の郭との間の城壁です。 |
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O 一の郭の東寄りの石組みです、 一部拝所も有ります。 |
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P 一の郭と二の郭を繋ぐ門のそばに 正殿跡が残されています。 沖縄戦で焼失する前までは 役所として利用されていた時期も 有ったそうです。 |
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N 一の郭と二の郭を繋ぐ門です。 この門の石組みは「布積(豆腐積み)」 と呼ばれる技法で作られています。 直方体に加工した石を、一段毎に高さ を揃えてブロック状に積んでいます。 大きな石を積んで強度を上げて います。 |
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Q 一の郭から二の郭に入った右手に 拝所が有ります。 「シライ當ノ御イベ」です。 |
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R 北の郭の横に下方へ降りる 階段がありその奥に泉が あります。 大井戸(ウフガー)です。 城郭内で水を確保しているのが この城の特徴だそうです。 |
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現在も水が溜まっていました。 | |
S 広場から三の各方向を眺めています。 |
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21 上の場所から西方向を眺めて います。 |
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22 広場の端から城全体を眺めて いますが、霧の為見通しは 悪いです。 今帰仁城同様、厳しい丘の上に これだけの石垣をよくぞ作ったという 感じです。 ペリー提督が1853年に琉球探検に 来た折に、中城城も現地調査し、 「要塞の資材は石灰石であり、 その石造建築は賞賛すべきもので あった」と記しています。 |
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