北陸の旅
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1961年(昭和36)11月に一人で北陸路を歩きました。
京都から福井〜金沢〜羽咋から輪島、禄剛崎、九十九湾と回り、
旧JR能登線の宇出津駅から三方五湖経由宮津、久美浜と回って、京都へ戻りました。
輪島から曽々木〜禄剛崎〜宇出津駅まで1泊2日の徒歩で半島を回りました。

JR能登線は国鉄改革により第三セクターの「のと鉄道」に引き継がれ、その後、蛸島〜穴水間、
穴水〜輪島間が廃線となっているそうです。宇出津駅は現在観光案内所になっているようです。

久美浜では夏の山陰旅行で知り合った女子高生の実家の旅館に泊めてもらいました。
彼女の祖父母から色々と質問攻めに遭ったことが懐かしい思い出です。

アルバムは能登金剛までしか作成されていません。創部に携わった洋弓部の活動が忙しくなり、
時間が無くなったのだと思われます。能登旅行もその間に試合が有って、部員からはブーイングを
受けました。

当時の写真は全て白黒で、一部見難い所もあります。
北陸路ルート
下図のように、京都から能登半島を一周して、若狭湾を回って京都に戻りました。
この時は周遊券ではなく、片道切符での旅でした。京都〜千路(羽咋市)までの切符(820円)と、
能登の宇出津駅から金沢・敦賀・宮津経由山陰線で京都までの切符(755円)でした。当時は安かった。
福井〜永平寺は京福電鉄
(現えちぜん鉄道)です。
福井〜芦原も京福電鉄です。
芦原〜東尋坊はバスを利用した
ようです。
三国港〜芦原が京福、芦原〜
JR金津(現芦原温泉駅)は
JR三国線(現在廃線)で移動
しています。
かっては金津〜三国港間には
JR三国線が走り、芦原〜
三国港間は京福電鉄と並走して
いましたが、実際にはJRは
金津〜芦原間の運行のみだった
ようです。

更に、宇出津〜穴水間も廃線と
なり、JR七尾線が津幡〜七尾間
に運行され、七尾〜穴水間は
のと鉄道が運行しています。
穴水〜輪島間も廃線に
なっています。

55年前の鉄道の状況も
このアルバムから見てとれます。


福井県・永平寺
福井県には永平寺と東尋坊が有ります。永平寺は道元禅師が開基の寺で曹洞宗の大本山です。
東尋坊は柱状節理の岩が形作った自然の奇観です。
大本山永平寺は、福井県
永平寺町にある曹洞宗の
寺院です。横浜市にある
總持寺と並ぶ日本曹洞宗の
中心寺院になっています。

大本山永平寺は1244年、
道元禅師が45歳のとき、
波多野義重公の願いによって、
越前に大仏寺を建立し、2年後に
永平寺と改められたことに
始まります。

古杉の林立する中に回廊で
結ばれた七堂伽藍が整然と
並んでいて、いつも参詣客が
絶えないようです。
白黒写真では良く見えませんが、
鬱蒼と茂る森の中にある寺院です。

東尋坊は日本海に突き出した
柱状の断崖が1km余も続く
奇観で、輝石安山岩の
柱状節理という地質学上にも
珍しい奇岩です。
国の名勝・天然記念物に指定
されており、断崖上に荒磯遊歩道
(約4km)が続いています。
ひところは自殺の名所とも
称されていました。

「県立公園九頭竜」と記載
されていますが、この名前の
県立公園が探し出せません。
記載時の事情を思い出しませんが、
九頭竜自然公園と間違えた
のでしょう。

東尋坊の奇岩群と柱状の断崖です。
石川県・北陸・能登半島
石川県の風景です。金沢兼六園、金沢城址などとともに能登半島が
テレビや新幹線の開通で脚光を浴びるようになっています。
リュックを担ぎ、徒歩で半島を一周しました。
左上は安宅の関の碑です。
その下、安宅関由来記の看板、
その下、関の近くを流れる梯川です。
最下段は河口です。

上の段の左は兼六園の池です。
その右は運動場のようです。
右端は兼六園の池の白鳥です。

下の左は安宅関跡の碑石です。
その右は兼六園の池の夕景です。
羽咋駅から北陸鉄道能登線で
三明へ出て(この鉄道も現在は
ありません)、三明からバスで
福浦に出ました。
福浦からは徒歩で巌門、
能登金剛を経て剱地へ出ました。
剱地からはバスで総持寺門前
まで行き、この日は門前町の
旅館に泊まりました。
馬鹿でかい部屋に一人で泊めて
もらったことを覚えています。
能登金剛の富来海岸です。

景勝 夫婦岩の案内柱が
立っていました。
上から見た夫婦岩です。
能登金剛の風景です。

総持寺祖院です。
入口と奥に伽藍が見えます。

大本山総持寺は1321年、
瑩山禅師が58歳のとき、
能登の諸嶽寺を譲られ、これを
禅院に改めて諸嶽山総持寺と
名づけたことに始まります。
1898年に七堂伽藍を焼失し、
本山は1911年に能登から
横浜市鶴見へ移りました。
その後も総持寺祖院として
信仰を集めています。
輪島市内を抜けると
白米の千枚田に出ます。
輪島から曽々木海岸への
途中の海岸です。
海岸で子守している小学生に
出会いました。

皆健康そうな子供達でした。
曽々木海岸にある

左は「垂水の滝」です。
日本海に直接流れ込む滝は
珍しいそうです。
滝壺は海岸です。

右は岩のそそり立つ
曽々木海岸です。
細い道を広げる工事を
していました。
55年前の工事ですから、
今頃は
リッパな周遊道路に変って
いることでしょう。
曽々木海岸を抜けると
「真浦海岸」にでます。
色々な海岸美に出会える場所です。
揚げ浜塩田です。
NHKの朝ドラで有名になりましたが、
この頃は知る人も少なく、
黙々と塩作りに励んでいたのでしょう。

案内板によれば塩田は
後陽成天皇の時代からと記録
されていますが、実際はそれより
古いと言われています。
前田利家が課税対象とした
ときには塩釜は835基あった
との事で、その頃からかなり
盛況であったことが伺われます。

その後、輸入塩の増加で
買い上げ価格が下がり
(塩は国の専売制度でした)、
昭和34年(1959)10月にこの
塩田での生産は400年の歴史に
終止符を打つことになった
そうです。

現在は1軒のみがまだ製塩を
続けているようです。
禄剛崎にある通称狼煙灯台です。
正式名は禄剛崎航路標識です。

1883年に設置された灯台で
今なお現役の白亜の灯台です。
禄剛崎は、能登半島の最北端に
位置し、ちょうど外浦と内浦との
接点にあたるところです。

撮影の時は内部参観が出来
ましたが、現在は無人のため、
灯台の中は見学できません。

画面にポインターを置くと
レンズ部分からの外部がご覧
頂けます。

この塔台のレンズは回転せず、
遮蔽版が回転します。

見付海岸です。
能登のシンボルとして有名な
「見付島」が眼前に迫ります。
その形が似ていることから、別名
「軍艦島」とも呼ばれています。

画面にポインターを置くと
看板と島がご覧いただけます。
見付海岸を南に下ると
恋路海岸に出ます。
この辺りは砂浜になっています。

左手の木が茂った島が
弁天島です。
恋路海岸は伝説が残る海岸です。
その昔、深い恋仲となった2人の
若者、鍋乃と助三郎がいました。
鍋乃に思いを寄せる恋仇の男の
罠のため、助三郎は海の深みに
はまって命を落としてしまいました。
鍋乃も助三郎の後を追って
海に身を投げ死んでしまうという
恋の伝説から、いつしかこの地が
「恋路」と呼ばれるようになった
そうです。

正面の島が弁天島です。
弁天島の前から北を眺めると
軍艦島(見付島・正面)が見えます。
恋路海岸より更に南の赤崎だと
思いますが、確かではありません。
能登からの帰途に立ち寄った
三方五湖です。
国指定の名勝で、若狭湾国定
公園に属しています。
五つの湖は淡水・海水・汽水と
それぞれに違った性質を
持っています。
このため、水の色がそれぞれ
異なる色に見えるそうです。
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