徳島県の風景
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徳島県は四国の東部に位置する県で、律令制に基づいた国名は「阿波国」と呼ばれていました。
県庁所在地は徳島市です。山岳地の多い県で、四国山地と讃岐山脈が通っています。平野は県北部に集中しています。
河川は那賀川、吉野川、勝浦川などがあり、水量も多く、水資源には恵まれています。
人口は73万人(2019年6月現在)です。
夏の「阿波踊り」が有名で観光客が大勢集まり、地元以外の踊り手も「連」を作って参加するようです。
また、観光地も色々あるようで、鳴門海峡の渦潮や歴史的建造物も多々あるようです。
徳島県に初めて訪れたのは大学時代で、学友の親せきが
香川県高松市に居られたことから、岡山県宇野から高松に出て
徳島から淡路島に渡りました。
二度目は会社の同僚が退職後実家のある高松市に戻り、
そこを訪れた時に、うだつで有名な壁の街美馬市脇町と
三好市の大歩危・小歩危を案内してもらいました。

四国には何度か訪れているのに、徳島はその2度だけで、
今回、日本一周のクルージングの際に小松島市の赤石港に
停泊した機会に、三好市にある祖谷渓とかずら橋を訪れました。

大塚国際美術館なども有名なので、そのうちに訪れたいと
考えています。

同じ写真はクルージングの項に掲載済みですが、徳島県として
重複掲載しています。

徳島へ
クルージングの船は佐世保を出港した後、徳島へと向かいます。
徳島では小松島市の赤石港へ入港します。下船後はバスで三好市へと向かいます。
小松島市の赤石港から眺める
徳島市内方向です。
今回のクルーズ船「MSCスプレンディダ」です。
小松島赤石港を出ると国道55号線に出ます。
正面奥が徳島市方向、右手のレーンは阿南市へ
向かいます。
川は「立江川」で右手に見える建物は
小松島市立体育館です。

正面の山は「金山」です。
小松島警察署です。

小松島警察署をさらに北上すると
勝浦川を渡ります。
この川が小松島市と徳島市の市境になります。
徳島市
国道55号線で徳島市内に入り、眉山を左手に見て吉野川を渡り、徳島ICから徳島高速道にのり、
三好市の祖谷渓へと向かいます。車窓からの徳島市内のごく一部です。
国道55号線から眺める
「眉山」です。
一寸ピントが甘いですが、
頂上までケーブルカーでも
登れます。
 
国道55号線かちどき橋交差点です。
中央奥左のビルは徳島県庁、
その右の建物はホテルで、更に
その右のビルは徳島県警察本部です。
新町川に沿って立つ
「徳島県庁」です。
市内を流れる「吉野川」です。

徳島県内を流れる川の長さでは
那賀川について2番目です。

見える橋は「吉野川橋」です。
徳島高速道の徳島ICから眺める
「眉山」です。走行中のバス車窓からの
撮影で少しピントがずれました。
徳島市の西より、板野郡の
上板SAで小休止です。
阿波踊りの絵がモニュメントに
描かれています。
「旅人の座」と名付けられた
モニュメントです。

ここからは板野の街を一望
出来ます。

下の写真はここから撮った
上板地区の様子です。
 
「高知へのご案内」と記された
モニュメントです。
高知の鯨をイメージしています。

高知県からの依頼でしょうか。
詳細を見て来ませんでした。
板野郡の隣、阿波市の一部です。
山間に田園が広がります。
阿波市の東保谷川です。

この川を渡ると美馬市に入ります。
三好市 
「うだつ」で有名な美馬市脇町を抜けて、三好市に入ります。甲子園で有名になった池田高校のあるのも
三好市池田町です。徳島高速道を井川池田ICで出て、小歩危・大歩危をぬけ、祖谷渓へと向かいます。
三好市池田町にある「箸蔵山」です。
中腹付近には箸蔵寺があり、ロープウェイで
上がれるようになっています。
箸蔵山のふもとにある井川・池田ICから高速道を
出ます。ここから国道192号線を経由して、
祖谷方面へと向かいます。

井川・池田ICを出てすぐの交差点です。

吉野川四国中央橋です。
直進すると高松・琴平へでます。

我々のバスは左折です。
国道192号線から眺める吉野川と
左奥に池田ダムがあり、白い建物は
吉野川ダム統合管理事務所です。
国道192号線を進むと徳島高速道の高架橋と
交差します。高速道は吉野川を渡っています。
我々のバスはここで吉野川を渡ります。
「池田大橋」です。

橋を渡って右折すると再び国道32号線に
出ます。
池田大橋から眺める徳島高速道の
アーチ橋です。
国道32号線を祖谷方面へ進むと
吉野川沿いにJR土讃線と並行して走ったり、
JR線が吉野川を何度か横切るため、吉野川の
傍を走ったりします。

ここはJR土讃線の阿波川口駅です。
ここから列車は小歩危駅を経由して
大歩危駅に出ます。
我々のバスもほぼ同じコースをだどります。

「小歩危」の風景です。
土讃線は対岸に渡っています。

この先は大歩危渓谷になります。
渓谷に鯉幟が吊られています。
ガイドさんの話では5月一杯吊られている
そうです。
この日は6月1日でまだ残された鯉幟が
あるのでしょう。ケーブルが何本も
渡されているので、5月には壮観だったと
思われます。
大歩危橋から眺める「大歩危渓谷」です。

画面にポインターを置くと
反対側の渓谷もご覧頂けます。
大歩危橋の袂にはJR大歩危駅があります。

画面にポインターを置くと駅の拡大画面が
ご覧頂けます。
大歩危橋から西祖谷へと入ります。
平家の隠遁地としても有名な山深い場所で、
少しでも平地を求めて高い場所に
住宅が建てられています。
正面の高架橋は我々のバスが通ってきた道で
左上の道へと抜けてゆきます。

祖谷は標高1000m以上の峠を経由する山道を
越えない限り外部との往来が困難であったため、
独自の生活習慣、習俗や口承文芸といった
文化・民俗が残された地域のようです。
山間を抜けてくると「かずら橋」の駐車場に
出ます。
正面の山にも住宅が立ち並んでいます。

手前の建物は「かずら橋夢舞台」という
レストハウスです。
祖谷渓・かずら橋
西祖谷の祖谷川に沿って祖谷渓が続きます。その途中に葛で編んだ吊り橋があります。
「かずら橋」です。シラクチカズラ(重さ約6トン)で作られたもので、長さ45m・幅2m・水面
からの高さは14mあります。 昔は深山渓谷地帯の唯一の交通施設で、3年毎に架替えが
行われるそうです。国指定の重要有形民俗文化財です。
レストハウスの駐車場から眺める
「祖谷渓」の一部です。 
駐車場の反対側の風景です。

国道32号線が祖谷渓に沿って
山へ向かっています。
秘境と言うのでしょうか。
同じく、祖谷渓の一部です。
川は「祖谷川」です。
かずら橋への入口です。

右の橋は「祖谷渓大橋」で、
歩行者専用の橋です。

自転車を含めた車両は左の橋を渡ります。
祖谷渓大橋の途中にある
「祖谷の粉ひき節」の石碑です。

石碑の左側にはかずら橋の絵が
彫り込まれています。

ここから「かずら橋」が見られます。
祖谷渓谷大橋から眺める「かずら橋」です。

渓谷に架けられた吊り橋は昔平家の落人が、
敵の来襲時にはこの橋を切落として、
敵が侵入できないようにしたとの伝説も有る
ようです。
蔓(かずら)でしっかり巻き付けられています。
結構太い蔓が使われています。
足元は踏板の隙間が結構広く、ついつい下を
見てしまいます。立ち止まって景色を見てると
後ろからくる人達の動きで橋が大きく揺れます。

黄色い悲鳴が上がるときもあります。
橋から眺める祖谷渓です。
蔓の編み方は結構しっかりと
編み込まれています。
かずら橋から眺める「祖谷渓大橋」です。

正面の板状の欄干は「祖谷の粉ひき節」の
石碑です。
橋を渡り終わったところにこの標識が
あります。
渡口にも標識がありましたが、撮らずじまいで
ここでカバーしました。

橋が一方通行になっているので、
こちらが出口になります。
かずら橋の出口を左に向かうとこの滝に
出ます。

「琵琶の滝」と称されています。

「源平の戦いに敗れた平国盛が
安徳天皇を奉じて祖谷に潜入し、
この地に土着したことは事実として
平家伝説の一つに数えられています。
その落人たちが、昔日の古都の生活
をしのびながら滝の下で琵琶を奏で
つれづれを慰めあったと伝えられて
います」(説明板より)
「蔓橋・劒神社 地蔵尊」です。

琵琶の滝からレストハウスへ戻る途中の道に
祀られています。
途中にある茶店ではアメゴ(あまご)と
アユの塩焼きと、「でごまわし」と言う
田楽を売っています。でごまわしは
蕎麦団子と豆腐と蒟蒻を串にさして
焼いています。
レストハウス「かずら橋夢舞台」です。

左手奥に資料館もあり、かずら橋の
三年に一度の架け替えの様子なども
展示されています。
この日の昼食は「ホテルかずら橋」で
摂りました。

温泉旅館で露天風呂もあり、風呂へは
ケーブルカーで登るようです。
日帰り温泉もやっているようです。

この日の昼食の内容です。
アマゴと蒟蒻の刺身(左写真の右下)など、
祖谷郷土料理と称しています。
画面にポインターを置くと火床で焼く
アユの塩焼きとでごまわしをご覧頂けます。

下は山菜と筍のてんぷら


これは祖谷そばです。


食事の後は元の道を通って徳島市内
経由小松島市に戻りました。
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