パルミラ遺跡
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シリア砂漠のほぼ中央にあるパルミラ(Palmyra)は、砂漠の商人アラム人が紀元前12世紀頃に移り住んだことで形成されました。
軍事的攻撃の防御となる砂漠の存在、東洋と地中海をむすぶ中継地、と言う条件から、紀元前1世紀頃から隊商都市として目覚ましい
発展を遂げました。ローマやペルシャとも巧みに交渉し、独立を守るとともに、交易での関税による確実な収益を上げていました。
更に、隊商都市としてはライバル関係にあったヨルダンのペトラが、1世紀末頃にはローマに吸収され、パルミラは唯一の中心地となり、
さらなる発展を重ねてきました。然しながら、美貌の女王ゼノビアの時代になると、果敢にもローマ帝国に反旗を翻し、独立を試みました。
結果、ローマ・アウレリアス皇帝の命により、272年にパルミラはローマ軍の侵攻を受け、徹底的に破壊されたのだそうです。
このため、パルミラは首都から単なるローマの要塞の一つになりました。
そして、今またISIL(イスラム国)の手によって2015年8月にパルミラの遺跡は壊滅的打撃を受けたようです。
世界一美しい神殿遺跡と言われたパルミラのベル神殿も現在では跡形もなくなっているとの事です。
パルミラ遺跡の中心でもある、
「ベル神殿」です。

神殿の門はほぼ西向きになっています。

ベル神殿敷地のほぼ西北角の
様子です。

柱列が遺されています。
コーナーの建物跡は細長い建物が
有ったと思われます。
上図の左手、神殿の門の真向かいに
位置している建物跡です。

神殿の周囲を囲んでいた建物の
一部と思われます。
門の前には円柱跡が遺されています。
上図の左側の様子です。

神殿敷地の西南角になります。
上図の更に左側、南東角の様子です。

柱列のみが遺されています。
ベル神殿の正門です。
ベル神殿の裏側と北面です。

東側には柱列が遺されています。
これ以外の神殿の柱列は全て壊れて
います。西側の正門だけは残って
います。
神殿北面から西方向を眺めています。
既出の門に正対する建物が右寄りに
見られます。
神殿内部の祠堂跡です。

本来はここに神像が安置されて
いたと思われます。
祠堂内部の天井の様子です。

一枚岩の天井です。バラ型装飾は
後のビザンチン美術とアラビア美術の
前触れとなる幾何学模様が画かれて
います。
反対側の祠堂の天井です。
同じく一枚岩に花模様が色々と
彫り込まれています。
シリア北部で掲載済みですが、
左は神殿入口の門です。

右は門柱に描かれたフラスコ画です。

神殿を飾っていたレリーフが遺されて
います。

左の石にはナツメヤシが描かれています。
パルミラの周辺はナツメヤシで蔽われて
いたそうです。

画面にポインターを置くと
別のレリーフをご覧いただけます。
パルミラ遺跡の西側にある墓の谷です。

パルミラの有力者の墓が置かれています。

夕刻に高さ150mの岩山にある
アラブ城塞から眺めた墓の谷です。

塔型の墓が何基も並んでいます。
塔の内部は壁画などが描かれています。

上から見るとまさに砂漠の真ん中に
遺跡があるのが判ります。
この写真は既にシリア北部で掲載
していますが、左は「エラベルの塔」で
神殿造営に多額の寄進をしたと云う
エラベル家一族の墓です。
地上5階建てになっています。
紀元105年に建造されています。

内部は右の写真のように壁面に
装飾が施されており、
正面の二階部分にはエラベル家
四名の胸像が置かれています。

右画面にポインターを置くと
天井に描かれたエラベル一族四名の
肖像画がご覧頂けます。
パルミラ市街跡です。

手前には紀念柱が立ち、
正面のアーチ型門は「記念門」です。

門から丘へ向かって一直線に
列柱道路が貫なっています。

左手にはナポ神殿跡が、右手には
浴場跡があります。
左は入口の紀念柱です。

右は記念門です。
ナポ神殿跡です。
列柱道路です。
道路の奥に見えるのは四柱門です。
ローマ円形劇場です。

ほぼ街の中心部に当たり、
ローマ時代に建てられた劇場で、
パルミラを訪れる旅人、住民の娯楽の
場になっていたそうです。

客席の弧形設計が完璧なため
音響効果が素晴らしかったと
考えられています。

劇場の全体像はシリア北部で掲載
しています。
円形劇場の北側の柱列です。

柱の中ほどに台のようなものが
作られていますが、ここには市民の
偉いさんの彫像が並んだそうです。
四柱門を眺める石柱です。

四柱門の先に更に列柱道路が
続いています。

この先右手には過っての住宅地が
有ったそうです。
「バールシャミン神殿」です。

ローマ様式の神殿で広大な敷地を
持っていました。

画面にポインターを置くと
敷地全体をご覧いただけます。

5世紀には教会として改築されたので、
保存状態はパルミラ遺跡の中でも
トップクラスだそうです。
バールシャミン神殿の傍に
ホテル・レストランがあります。
ゼノビア・シャム・パレス
(Zenobia Cham Palace)と
云う店で昼食はここで摂りました。

パルミラへの途中の道から眺める
左、墓の谷、右奥、アラブ城塞です。
夕刻にアラブ城塞に登り、パルミラ全体を
眺めてみました。

正面奥の建物群はベル神殿です。

こうしてみると、パルミラがオアシスの
中に作られていることが良く判ります。
アラブ城塞から眺める
パルミラ遺跡の全景です。

一番奥はベル神殿、右端は
元老院議事堂跡、中央に四柱門、
と列柱道路、道路の一番手前に
葬祭殿跡が見えています。
アラブ城塞の東側には現在の
パルミラ市街が広がっています。

この街もISIL(イスラム国)の攻撃で
被害を受けただろうと思われます。

まさに、世界的な損失です。
パルミラの砂漠地帯に
ベトウィン族が住んでいます。

現在もテント生活をする人も
多いそうですが、一部は街に
移住している人たちもいるそうです。

こうした人たちは今、如何しているの
でしょう。
ベトウィン族の子供たちです。

2008年の写真ですので、
この子たちもすでに15〜6歳に
なっているでしょう。

どんな生活をしているのでしょうか。
ベトウィン族の家畜場です。

山羊と羊を飼育しています。
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