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シリアについての説明はシリアトップをご覧ください。 |
最近のシリア情勢を見ていると、古い遺跡が殆ど壊され、 街の破壊も進んでいるようです。 2008年にシリアを訪問しましたが、その時は、穏やかで 人懐っこい人たちの住む国でした。この時期既に、レバノンは 訪問が出来なくなっていました。 その時の様子はシリアの風景として、既に掲載済みですが、 破壊の続く現況下で、掲載済みの写真以外のものも 追加で掲載し、遺跡や街の様子を少しでも多く残しておこうと 考えてこのページを作成しました。 特に、アレッポ、ハマ、パルミラはシリア内戦とISIL(イスラム国)の 蹂躙を受け、主要な遺跡類の破壊が著しい様子もテレビで 放映されて、現地を知る者としては、大変さびしい思いです。 シリアへのビザ発行も現在は中止されているようです。 2008年5月にダマスカスで1泊後、ハマ経由でアレッポで1泊。 アレッポからクラック・デ・シュバリエ経由でパルミラに行き2泊、 その後、パルミラからボスラを経由してヨルダンに入りました。 ヨルダンからの帰途、再度、ダマスカスで2泊してローマ経由で 帰国しました。シリア・ヨルダン2国で10泊12日の旅でした。 パルミラで出会ったベドウィン族の子供たちは現在どうして いるのでしょうか。 |
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ダマスカスの遺跡関係はシリアの風景でご覧いただけます。 ここでは市街地の様子を主として掲載しています。ダマスカスはシリアの首都です。 ISIL(イスラム国)も内戦の影響も首都圏までは出て来ていないようですが、今後どうなんでしょう。 |
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ハマ(Hama)はシリア中部にある、水車で有名な街です。果たして、現在も水車は回り続けて いるのでしょうか。アレッポはISIL(イスラム国)に占領されたことでもあり、文化的な遺産は ほぼ壊滅的と思われます。モスクは残されていると信じたいです。 |
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クラック・デ・シュバリエは元アラブの城砦だったのを十字軍が何年もかけて、 築き上げた城です。パルミラは隊商都市として栄えた都市遺跡です。 テレビ報道ではパルミラ遺跡は壊滅状態でした。 |
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ボスラはナバタイ王国の時代の首都として栄えました。2世紀初頭にはローマ帝国の穀倉地帯として、 ローマ・アラブ州の州都と定められました。その時代の街並が遺跡として残されています。 |
ボスラ旧市内の街並です。 柱列跡と巨大な石の門が 見られます。 |
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城塞跡です・ この中にローマ時代の都市跡が 残されています。 |
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ローマ時代の都市跡です。 世界遺産に指定されています。 |
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旧市街の城壁の一部です。 この内部に15,000人を収容 出来る円形劇場があります。 |
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円形劇場です。 紀元2世紀ごろ、ローマ帝国の 支配下で建築され、紀元7世紀頃 イスラム帝国の支配時代には 十字軍に対する要塞として改造 されています。 ボスラでは玄武岩が使われるため、 建物が黒っぽくなります。 このため、ボスラは「黒いキ」と 呼ばれたそうです。 この劇場の音響効果が良いため、 現在でも音楽会などがここで 開かれるのだそうです。 この劇場も元は二階部分まで 地中に埋まっていたそうで、二階の 円柱の名残のある部分が地表に なっていたとの事です。 |
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円形劇場の舞台を正面に見て 左側の部分です。 地中に埋まっていた部分は 円柱がほぼ残されていますが、 地表に出ていた部分は 殆ど破壊されています。 三階部分の庇も一階同様の 様子だったのでしょう。 |
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舞台右側の様子です。 | |
舞台裏には地下通路があります。 石組みのしっかりした構造です。 |
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入口の門の傍には 発掘された彫像や石器類が 並べられています。 |
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劇場の上から眺めるボスラ新市街の 眺めです。 左手にはモスクが見えます。 砂漠の中に建設された街です。 |
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