台北二二八平和記念公園
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太平洋戦争終結後、台湾には連合国軍の委託により国民党軍が台湾に進駐し、日本の行っていた行政を引き継ぎました。
然しながら、国民党の軍人や官僚は私利私欲のためにのみ動き、更には強盗、強姦、殺人まで行いました。
不正の少なかった日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい腐敗は到底受け入れがたいもの
だったようです。人々の不満は、いやが上にも高まり、 当時の台湾人たちは「犬去りて、豚来たる」
(犬=日本人 はうるさくても役に立つが、豚= 国民党 はただ貪り食うのみ)と揶揄したそうです。
そんな中、本省人の婦人が官憲の乱暴な扱いを受けたことに端を発し、本省人が市庁舎へデモを掛けました。
これに対し国民党政府は強硬策をとり、本省人を無差別に殺戮し、台北以外の場所でも本省人に無差別発砲するなど
しました。この事件による本省人の死者は2万8千人以上に登り、その財産などもすべて接収されたそうです。
この事件をきっかけに台湾内では戒厳令が敷かれました。いわゆる「白色テロ」と称されるものです。
恐怖政治により捕えられ投獄された知識人などは数知れぬと言われています。
この状態は李登輝総統の刑法改正まで継続したようです。
この公園は元は台北新公園と呼ばれていましたが、1997年二二八事件50周年を記念して改名されました。
この事件を忘れることなく、本当の民主主義を求めようとする台湾の姿勢を感じました。


南口の正面にある
和平の鐘です。

南口から入って右手にあるのが
台北二二八記念館です。
公園南口を入って左手には
銅馬が置かれていました。
その前は児童公園になっています。
和平彫塑と記載されています。
平和を祈念した彫像のようです。
公園から高層ビルが見えます。
台北駅前にある三新三越ビルです。
台北101ができるまで台湾で最も高い
ビルでした。

左の赤い柵の中に龍池があります。
二二八記念碑です。
記念碑の下は池になっています。
中国古典式亭閣と記載
されていました。
右手に見えるのは涼亭と
呼ばれています。池の四方に
設けられています。
鯉魚池です。
この左手には台湾博物館があります。
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