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台湾は歴史的には清朝の台湾省が基本となっており、 その後、中華民国に実効支配されている地域を指しています。 中華人民共和国が自国の一省と見なしていますが、 福建省の金門島、馬祖島を含め、中華民国領土となっています。 政治的には台湾政府と言う立場で諸国との交流が行われています。 中華民国は1912年に成立したアジアで最初の共和国です。 日本の支配下にあった台湾は1945年の終戦により中華民国が進駐し、 1949年の中華人民共和国の成立により中華民国の首都が台北に移され、 現在に至っています。 島の大きさは約3.6万㎢で日本のほぼ1/10で九州くらいの大きさです。 最高峰は玉山(旧新高山3,952m)で富士山より高いです。 人種としては国民党として大陸から来た外省人と、清朝時代から台湾に 住んでいる漢民族と漢民族と同化した平埔族などの本省人及び高山族 などの原住民があり、85%は本省人です。 台湾の人達は親日的な人が多く、親切心も高いです。MRT(地下鉄)に 乗ると、決まって席を譲ってもらえます。最近の中国北京、上海でも その傾向が強いですが、儒教の影響が強いのでしょうか。 街中には廟が多く、信仰深い人の多いことも一因かもしれません。 1998年12月には台北~台南~高雄~花蓮~基隆を回りました。 2005年には台北、新竹を回っています。 今回2013年6月は台北のみの滞在となりました。 大陸からの観光客が大変多くて、まずは空港の税関が長蛇の列。殆ど 中国人。どこへ行っても大陸からの中国人でいっぱい。様変わりです。 |
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台北は中華民国政府の臨時首都ですが、現在の台湾政府の実質的首都となっています。 人口は270万人ほどで、増加傾向にあります。市近郊地区は住宅がどんどん増えているようです。 日本の統治時代には台北に総督府がおかれ、現在の発展の基にもなっています。 台北にはそれほど古い遺跡類は有りませんが、大陸から国民党が台湾に移住して以来の種々の建造物が 有ります。 |
台北と言えば先ずは故宮博物院でしょう。 前回訪れた時には改修中であった本館も すっかり綺麗になっていました。 |
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本館正面です。博物館は4階になっています。 本土より持ち込まれた美術品などは総数で 61万点近くもあり、三か月に一回展示品が 変えられていますが、人気の高いものは 常設されているようです。 階段の下部は地下階として団体の出入口や ショップなどがあり、正面には孫文像が 据えられています。 内部の写真撮影は禁止されています。 大陸の中国人観光客がバカ増えで朝一番に 入りましたが、それでもゆっくりとは見られない 状態になっていました。 |
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右手は行政大楼、 左に見えるのは第二展示館です。 |
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本館地下にある孫文の銅像と彼の揮毫による 「博愛」の掲額です。 |
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展示品で人気の高い 左 翆玉白菜(白菜とキリギリスの彫り物)です。 玉の色の違いを利用して作られています。 キリギリスのひげが一本欠落しています。 右 肉形石です。玉から彫られた殆ど本物に近い 豚の角煮に似た彫刻品です。 館内の撮影ができませんので、絵葉書からの 借用です。 |
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忠烈祠は辛亥革命など中華革命途上で 亡くなった方を慰霊する祠で中華民国国防部 の主管となっています。 もと台湾護国神社の跡地に1969年に 建てられました。 9~17時毎正時に衛兵の交代儀式が 行われています。 忠烈祠の衛兵は真っ白の制服を着ています。 |
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忠烈祠本堂です。 上の正門に2名、本堂に2名の計4名の 衛兵が立っています。 石畳の中央に茶色い線が付いているのは 衛兵が歩いた後の線です。 足を擦り付けるような歩き方をするので、 このような線が出来ています。 |
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左は正門の衛兵です。 右は交代要員の衛兵の行進場面です。 |
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国父記念館です。 1971年に中国の国父と言われる 孫文の生誕100年を記念して建てられた ものです。 広い敷地があり、花壇で埋められています。 館内には孫文絡みの展示品があるほか、 文化会館としても利用されています。 孫文像の前に衛兵がおり、ここでも衛兵の 交代儀式が見られます。 |
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敷地内から台北101ビルが綺麗に見えます。 101ビルは509.2mの高さがあり、101階建て です(ビルの名前の由来です)。 建設には日本の熊谷組も参加しています。 総工費は600億円で2004年12月の竣工です。 前回来た折には展望台まで上がりましたが、 今回は行列が長くて40分待ちで 諦めました。 |
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左は孫文の民国大綱が彫り込まれた石版です。 その大きさを横にいる人の大きさから想像して 下さい。 右は衛兵の交代場面です。 |
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左は館内の展示場の様子です。 右は記念館の西側からの眺めです。 屋根の上に見えるのは台北101です。 |
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中正記念堂は蒋介石の顕彰施設です。 1980年3月の竣工です。 入り口にある牌楼です。 右手に見えるのは国家戯劇院、 正面は本堂、左手は国家音楽庁です。 総面積25万平方メートルあります。 ポインターを画面に置くと北側にある 牌楼「大孝門」もご覧いただけます。 |
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本堂です。 蒋介石の銅像が据え付けられています。 (ポインターを画面に置くと銅像をご覧 頂けます) 屋根は八角形で忠、孝、仁、愛、信、義、和、平 の八徳を表わしています。 本堂の面積は1.5万平米、高さ30m、 銅像の上には政治基本の三民主義(倫理、民主 科学)が掲げられています。 ポインターを画面に置くと本堂のなかの 蒋介石の銅像をご覧いただけます。 |
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衛兵の交代儀式が1時間おきに行われています。 | |
左は本堂の天井。晴天白日のマークが 入っています。 右は本堂の1階部分広いフロアーになっている他 展示場や図書館などが設けられています。 |
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記念堂の周囲は庭園になっています。 その一部に日本の中央大学が贈った 桜の木と海部俊樹(中大卒)の揮毫した 「友好の桜」の石碑が立っていました。 |
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敷地内に雲漢池があります。 綺麗な庭になっています。 |
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中正記念堂の横にある東門です。 周辺はビルに囲まれていますが、 大きなロータリーになっています。 |
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東門の近くにある迎賓館です。 1901年に元日本の台湾総督の官邸として 建てられたものです。 左手に入り口がありますが、一般人は入れず 門から眺めるのみです。 ポインターを画面に置くと、入り口からの 玄関方向がご覧いただけます。 |
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元の総督府です。 1895年に日本が台湾を統治することになり この庁舎は1919年に竣工しています。 現在は台湾政府の総統府として利用されています。 応時の日本の台湾に対する思い入れを 感じさせる建物です。 ポインターを画面に置くと総督府の 右側面をご覧いただけます。 |
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二二八平和公園です。 二二八とは1947年2月28日に台北市で 発生した本省人(台湾人)と外省人の間の 大規模な抗争事件です。 日本の敗戦後大陸から進駐した国民党の 現地人に対する差別的扱いに対し、 タバコ売りの台湾婦人に対する官憲の行動 のひどさに端を発し、台湾人の反発が一気に 噴き出しました。これに対し、国民党政府は 徹底的な弾圧に出て、多くの死者が出ました。 その数3万人にも及ぶと言われています。 これ以降、国民党政府は台湾全土に戒厳令を 敷くことになりました。1987年に戒厳令は解除 されましたが、言論統制は継続され、1992年 李登輝政権の刑法改正で台湾の民主化が 実現しました。 この事件は本省人の日本びいきが多い原因の 一つかもしれません。 公園の様子は下のボタンからお入り頂けます。 |
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二二八平和公園の北口に台湾博物館が 有ります。 建物は改修中ですが、正門のみは 見ることが出来ました。 ただ、時間の関係で内部は見ませんでした。 |
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博物館の向かいにある分館です。 元の台湾土地銀行の建物が利用されて います。 ポインターを画面に置くと 分館入口をご覧いただけます。 |
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台北のシンボル圓山大飯店です。 宮殿建築の代表とも言われています。 日本統治時代の1901年に建てられた 台湾神宮の跡地に1951年台湾大飯店が 建設され、1971年に現在の14階建ての 宮殿風ホテルが建設されました。 そのご、1995年に屋根修理中に出火し、 12階以上を焼失しています。 1998年に改修完了、営業再開されました。 今回はレストランでお昼を食べました。 裏画面にはホテルへのアプローチロードを 掲載しています。 |
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お昼のメニューは大根もち、エビの粉皮、エビ焼売 イカ餃子、チャーシュ包、春巻き、野菜炒め、 特選焼きそば、圓山炒飯でした。 どれも上品でいい味でした。 |
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ホテルの近くにあった永静廟です。 一階と二階にそれぞれ拝殿があります。 開堂は中華民国17年(1928)です。 正式に廟として認可されたのは同21年(1932) 4月1日です。 廟の人に設立時期を聞いたところ、これで勉強 してくださいと、「道鐘警明」なる書をくれました。 この本に永静廟の沿革も書かれていました。 ついでにお茶でも飲んで行けと、お茶もご馳走に なりました。 |
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左は正門です。 中は本堂拝殿です。 右は廟の関係者です。ここでお茶をご馳走に なりました。 |
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蒋渭水の銅像と後ろは記念館です。 彼は1920年代に台湾文化の発展に 努めた人で1921年には台湾文化協会を 設立しました。 この周辺は蒋渭水記念公園になっています。 |
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淡水河に近い街中にあった廟です。 こうした廟が至る所にあります。 中には廟を中心に市場を形成している 所もあります。 人が集まるからでしょうか。 |
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街中でネールマニキュアを商売にしている お嬢さんがいました。 写真撮らせてと言ったら 「何の広告だね」と聞かれました。 広告会社の取材が多いんでしょうかね。 |
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学校帰りの生徒さんも甘いものには目がない のでしょう。 アイスクリーム屋さんで買い食いを楽しんで いました。 |
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街中にあったお魚屋さんです。 鮮魚を氷の中に埋めていました。 顔だけで魚の種類は判るので、 面白い並べ方です。 |
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市の西寄りにある廸化街は 海産物の乾物と漢方薬材料を 商うお店がずら~と並んでいます。 鱶のひれ、干しアワビなどなど、 これだけの店が同じようなものを商い よくまあやっていけるもんだと感心します。 ポインターを画面に置くと お店の中もご覧いただけます。 |
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廸化街を通り抜けると淡水河に出ます。 ここには大稲埕嗎頭があります。 淡水河クルージングの拠点です。 ただし、船は土日しか出ませんでした。 川に沿って遊歩道もあり、公園もあり、 市民の憩いの場所になっているようです。 船着き場と川の景観は下のボタンから お入り頂けます。 |
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街中に「五木ひろし 台湾初の演唱会」 の垂れ幕がかかっていました。 7月6日に高雄のビッグエッグでと7日に 台北国際会議センターでの開催です。 |
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「縦横日本」どこでも行きますと、 OCSの看板付けた車が走っていました。 仕事してた頃にはよく利用しました。 |
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MRT(地下鉄)の車内です。 朝が早かったので割にすいています。 ラッシュアワーには日本の地下鉄並みに 込み合います。 そんな時でも白髪頭が乗ると、ほとんど 確実に席を譲ってくれます。 シルバーシートは混んでいる時にも 空いていることがあります。若い人はまず この席には座りません。 短区間乗車の時に席を譲られると断りにくいので ドアのそばに立ちますが、それでも肩を 叩かれることがあります。 教育なのでしょうか、子供の頃の躾でしょうか。 車内放送は中国標準語と台湾語、客家語の 3つが順番に放送されます。それに英語が 加わります。ドア上の電光板は漢字と英語が 表示されます。 ポインターを画面に置くと 列車の外観をご覧いただけます。 |
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朝の公園では花の下で太極拳の指導を 受けるグループが多いです。 広場のあるところではどこでもこの景色を 見られます。 |
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ホテルの近くにあった朝市です。 雨にもかかわらず、結構お客さんが 来ていました。 ポインターを画面に置くと お魚屋さんが生きたスズキを 糸で結わいで売っている 場面をご覧いただけます。 |
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こちらは夜市。市内でも有名な士林夜市です。 スケールは昔来た頃よりさらに大きくなり、 観光客相手の店が主流になっていました。 夕暮れ時の景観です。 夜市の様子は下のボタンからお入り 頂けます。 |
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台北市を離れ、基隆港に近いところにある 昔の金鉱山跡である金瓜石と言う場所へ 行きました。 日本統治時代にここで金の採掘をしていた ようです。博物館などもあり、昔の様子を 見ることができます。 詳細は下のボタンからお入り頂けます。 |
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金瓜石から太平洋を眺めています。 右手には大きな関羽廟と関羽の像が 見えます。 勤濟堂です。商売人の信者が多いそうです。 ポインターを画面に置くと関羽の拡大画面が ご覧いただけます。 |
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九份の展望台からの眺望です。 正面一番奥は基隆港です。 |
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右手の方に九份の街並みが 続いています。 |
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コンビニの横にある細い路地から 九份の旧市街に向かいます。 |
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九份の旧市街の景観です。 ここは有名な阿妹茶楼です。 九份の詳細は下のボタンからお入り頂けます。 |
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台北市の南部木柵区に近い所に動物園と 猫空と言うお茶の栽培で有名な場所があります。 MRTの経営で動物園から猫空までロープウェイが 設置されています。 全長は直線距離で約4キロ余り、途中で2度の 方向転換があります。 下は海抜24.1mから頂上299.3mまで上がり ます。 猫空からの眺望です。この日は午前中お天気が あまり良くなく、見通しはよくありませんでしたが、 手前に指南宮、奥に台北101を遠望できます。 猫空の詳細は下記のボタンからお入り頂けます。 |
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1919年に日本の軍部によって作られた 台湾で最古のゴルフ場 「台湾ゴルフ倶楽部」(老淡水)でプレー してきました。距離もたっぷり、変化もあり なかなか趣のあるゴルフ場でした。 スコア?はともかく楽しんできました。 淡水の街の様子とゴルフ場の景色は 下のボタンからお入り頂けます。 |
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台北駅です。 ホームをすべて地下化したこの駅は1989年に 建てられました。 現在台湾鉄道(国鉄)、高速鉄道(新幹線)、 MRT(地下鉄)の3つの駅が共存しています。 高速鉄道の乗り場には出発15分前にしか 下してくれません。 地下街が発達しており、地下鉄から国鉄へは 簡単に乗り換えられるようになっています。 駅周辺部も繁華街の一つになっています。 |
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駅舎の西口からの眺めです。 | |
駅舎の中は広いホールを取り囲むように 建物が建てられています。 左手は発券ブースです。 高速鉄道の乗車券は自動販売機で簡単に 買えるようになっています。 台北駅の周辺と内部の写真は 下のボタンからお入り頂けます。 |
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台湾の新幹線です。 日本の技術で建設されています。 台湾高速鉄道と言いますが、一般には 新幹線と呼ばれています。 車両も日本の新幹線車両と ほぼ同じような形になっています。 今回高雄(左営)まで乗るつもりだったのを 予定変更して帰国時の空港までにしました。 台北駅から二つ目の桃園駅で下ります。 この区間は殆どがトンネルで、 8回外が見えました。1回目と8回目は数分間 窓外の景色が見られましたが、それ以外は 数秒間で殆ど地下鉄並みでした。 乗り心地はまずまずで、19分間の乗車を 楽しみました。 |
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車内は日本の新幹線の車内と間違えそうな 作りです。設計が同じだもんねぇ~ 台北駅から桃園駅まで160元(日本円で約500円) 自由席と指定席がありますが、その差は5元 (日本円で15円ほど)。ビジネスは約2倍。 台北~左営間で1490元(自由席1445元)、 乗車時間は一番速いので96分、各停で120分。 5千円弱とそれほど高いと言う感じではありません。 検札もしっかり来ました。 |
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台北桃園国際空港です。 高鉄桃園駅から空港までシャトルバスがありますが、 空港のターミナルは1と2があり、荷物を積むのに 乗車時にどちらかを指定する必要があります。 日航と言うと運転手は1番ターミナルだと 教えてくれましたが、着いたら日航の受付がなく、 案内嬢に聞いたら、2番ターミナルとの事。 1~2番間のシャトル電車に乗って再移動。 早めに着いたからいいものの、ぎりぎりだったらと 冷や汗もの。 写真は第1ターミナルでシャトル電車からの撮影。 第2に向かっています。 |
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桃園国際空港第二ターミナルの出発標示板です。 昼間の為でしょうか、或いは出発ゲートの設定が そうなっているのでしょうか、出発便は 東京と関西以外はすべて中国本土行でした。 北京、南京、蘇州、鄭州、合肥、長春、西安 と11時50分から13時までの間にこれだけの 便がありました。 中国人観光客が多いはずですねぇ。 |
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臺灣と言えば台湾料理ですよね。 「欣葉」と言うお店で食べた料理です。 左から カラスミ、生シジミ、切り干し大根入り 卵焼き(菜脯蛋)です。 下段左から じゃこと落花生、ワタリガニ、 エビ団子、デザートのお餅。 どれも美味かったです。 |
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海鮮料理の店「茂園」と言う店。メニューが なくて、店に並んでいる魚介類から選んで 料理してもらうシステムです。 左から 新筍、茹でエビ、カキの炒め |
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同じく茂園の海鮮料理で 左から イカ団子と白身魚のフライ、 オコゼ?の煮付け、海藻と卵のスープ。 下段は野菜炒め、焼きそば、焼飯。 此処もお味はいけました。 |
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茂園の玄関口です。 |
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