|
元のページへ |
ディオクレティアヌス宮殿は紀元295年からディオクレティアヌス帝の隠居所として建設が始まりました。
帝はここに晩年の10年間住んでいます。その後、ローマ帝国の崩壊等によりこの宮殿は一時荒廃し、
更に、後に戻ってきた住民の住処となったようです。現在も宮殿の中に一般住居や商店があります。
然しながら、当時の状態が良く保たれていることから1976年には世界遺産に登録されました。
スプリットの街の海岸沿いに 宮殿跡がありました。 一般の建物に囲まれ、 通り過ぎれば宮殿跡とは 思えないたたずまいです。 左手レンガ色の屋根の建物の となりの門から入ります。 |
|
宮殿の地下ですが、 もともとは一階で、地盤沈下で 地下になっているものです。 倉庫などに使われていたそうです。 1年間に1mmの地盤沈下があるそうです。 |
|
城壁です。 ローマ時代の構造が残っています。 |
|
上の入り口から入った 中の構造です。 しっかりした造りになっています。 |
|
ディオクレティアヌス宮殿の北門付近から 見える近くの教会の鐘楼です。 教会の名前は聞き漏らしました。 宮殿内ではなかったように思います。 |
|
ローマ時代からの城壁は 時代時代で修繕されて来ています。 それでも基礎部分はローマ時代の ものだそうです。 北の城壁と門です。 |
|
城壁の一部です。 ローマ時代からの遺跡です。 |
|
宮殿の中心にある柱列広場です。 右手の柱は壁に付いています。 コリント様式の柱です。 正面は皇帝の住居の玄関口です。 本来の一階は現在半地下で お土産屋さんが並んでました。 二階部分の外は四角、中は丸いドームに なっています。 |
|
玄関の反対側です。 右の柱はそれぞれコリント様式で 城壁を支えています。 この右手に洗礼堂があります。 |
|
聖堂の鐘楼と洗礼室(ジュピター神殿)です。 もともと聖堂はディオクレティアヌス帝の 霊廟だったものが、9世紀に住みついた人々が キリスト教会にしたもので、 現在は聖ドミヌス大聖堂と呼ばれています。 聖堂と神殿は対になっています。 |
|
大聖堂の中は見ずじまいでした。 意外に早い閉門です。 右手の黒い彫刻はスフインクスです。 エジプトから持ってきたものです。 白い石はブラチ島から運ばれています。 |
|
聖堂の入り口にある彫り物です。 |
|
エジプトから持ち帰られたスフインクスです。 下の写真も別のところにあるスフインクスで、 スプリットにはほかにもいくつかのスフインクスが あるそうです。 すべてエジプトから持ち帰られたものだそうです。 |
|
スフインクスです。 ちょっと横向いてます。 |
|
ここから奥は皇帝の住居があった場所。 二階(現一階)はドームになっており、 ここは住居の玄関口の役割があり、 前庭になっていたようです。 地下室はお土産屋さんになっています。 |
|
ドームではアカペラ合唱団(伴奏なしの合唱)が CDを販売していました。 宣伝用に歌ってくれましたが、なかなかの ものでした。CDは買いませんでした。 |
|
ドーム状の建物です。 元はモザイクが貼られていたそうです。 音響効果は良いようです。 |
|
東の門です。 銀の門とも呼ばれていました。 |
|
外側から見た東門です。 外の通りにはレストランや 屋台店が並んでしました。 |
|
東門の前にある市場です。 結構いろんなものを扱っていました。 街の人達の買い物市場になって いるのでしょう。 右手は東の城壁です。 |
|
左は西門(鉄の門)です。 右は北門(金の門)です。 下は反対側から見た門の様子です。 |
|
北の門(金の門)です。 兵士たちが出入りした門だ そうです。この辺りは兵士や 作業員の住居があったようです。 |
|
宮殿内の細い石畳の道です。 敷石はすり減っています。 東西に通り抜ける道があります。 |
|
左は宮殿内にある建物の壁面です。 右は誰かの住居ですが、誰だったか メモも記憶もなくしました。 階段の奥が住居です。 |
|
宮殿の中にこうした住宅が 幾棟も建っていました。 宮殿内には700名くらいの人が 住んでいるそうです。 |
|
宮殿の壁と洗濯物の コラボレーションです。 世界中でも多分此処だけでしょう。 |
|
ページトップ | 元のページに戻る |