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イストラ半島 | ダルマチア海岸 | ドブロヴニク | プリトヴィッチェ国立公園 |
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ダルマチア式海岸とはリアス式海岸と同様峻厳な谷が落ち込んで出来た海岸線ですが、 垂直に落ち込んだリアス式に対し、ダルマチア式は海岸線に平行に落ち込んだ物を言います。 |
左の航空写真で見ると非常によく分かります。 島が細長く伸びており、岬も細長い形状になります。 入り江が深く入り込んでいるのも特徴的です。 アドリア海に面したダルマチア地方の海岸線で あることから、ダルマチア式と呼ばれています。 ここには1068の島があります。そのうち66の島に人が 住んでいるそうです。 リエカはダルマチア地方で最大の港です。川崎市と 姉妹都市になっているようです。 ラブ島はクロアチアで最初のヌーディストビーチが 出来たそうです。 今回はオパティアから出発し、海岸線沿いに走り、 ザダールからスクラディンまでは山を見ながら走りました。 シベニクからクルカ川に沿って内陸に入り、 クルカ国立公園を見たのち、スプリットへ入りました。 翌日はスプリットからプロチェ経由ストンを通り、 ドブロヴニクに入りました。 何時まで見ていても見飽きないアドリア海の深い紺色と 次々と現れる赤い屋根と白い壁の街並み、 島か岬か入り江か区別のつかない島々。 いずれもが素晴らしい眺めでした。 |
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スプリットの市旗 です。 |
スプリットの起源は295〜305年にディオクレティアヌス宮殿が作られたことによります。 ディオレクティアヌス帝はペルシャ戦争で284年皇帝の座を得ましたが、皇帝としては初めて 自ら退位を宣言し、ここスプリットに宮殿を造営し隠居しました。晩年の10年間をここで 過ごしています。7世紀には一時廃墟となっています。その後、この宮殿に人が住むようになり、 現在も宮殿には一般人の共同住宅や商店が入っています。 |
ストンはドブロヴニク郡に所属する村で、ローマ時代にはすでに居住地として確立しており、ローマ時代の砦が 今でも残っています。更に14世紀には砦を繋ぐ5kmの城壁が建設され1506年に完成、現在もその遺構が 残されています。 ストンでは塩の生産をしており、ローマ時代には塩田があったそうです。ドブロヴニク共和国の時代には ストンの塩の収入が重要な財源になっていたとの事です。 |
ボスニア・ヘルツゴビナの国境を過ぎると 養殖用の浮きが沢山目につきます。 ペルシャス半島の内海はカキの養殖で 有名だそうです。 |
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ペルシャス半島の付け根にあるストンと言う 街です。 14世紀に造られたという城壁が続いています。 長さは5kmあるそうです。 |
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街中にストンの絵が描かれていました。 落書きにしてはよくできていて、 わざわざ書かれたもののようです。 立体感のある絵になっています。 絵柄は多分塩を運ぶトロッコの絵と、 手前にカキが描かれていました。 |
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ストンの役場のようです。 表示板にトミスラフ(Tomislavu) 925−1925と書いてありましたが、 前後の意味が不明で何のことか よく分かりません。 トミスラフとはクロアチアの初代の王の 名前のようです。 |
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ローマ時代の要塞跡です。 | |
教会の跡のようです。 改修中のようでした。 画面にポインターを置くと 別角度からご覧いただけます。 |
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街のレストラン街です。 どの店もテラスを出しています。 |
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欧米人は殆どが屋外のテラスで食事 しています。 日本人は総て屋内で食事します。 四季のハッキリしている日本に感謝です。 |
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お昼のメニューは海鮮のスープ(美味しかった)、イカのグリル、梨のデザート。 別に個人的に生ガキを注文しました。日本のカキのような 形ではなく、平べったくて丸いカキでした。お値段(1個400円)の割にはチョットと言った感じでした。 |
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砦に続く城壁はしっかり残っていました。 | |
ストンからドブロヴニクに向かう 海岸線の景観です。 右手奥はボスニア・ヘルツゴビナになります。 |
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コトルへ向かう道路からの ドブロヴニク旧市街の眺めです。 |
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