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ところで、ネクタイの発祥がクロアチアと言うこと知ってます? もともとは2世紀のローマ帝国時代に兵士が戦場に向かう際に布を首に巻いたのが初めと言われていますが、その後、フランスの ルイ13世の時代にクロアチアの兵士がフランスに赴いた際、無事の帰還を願って妻や恋人が贈ったスカーフを首に巻いていたのを ルイ14世が興味を示し、あれは何かと質問したのに対し、従者が「クロアチア兵(クラバット)です」と答えたことから、フランスでは 首に巻くスカーフをクラバットと呼ぶようになったそうです。これがネクタイの起源と言われています。 その後、17世紀には貴族は長い服を着用していましたが、活動的ではなく、騎士団と同じように上下別の服にした際、正装と するためにネクタイを結ぶようになったと言われています。つまり、首に巻くのはクロアチアが発祥と言うわけです。 添乗員が教えてくれました。納得。 |
ドブロヴニクの市の旗はこんな感じで、特徴的です。 |
ドブロヴニクは上図のような形態になっています。二つの入り江に囲まれたスルジ山の海側麓に伸びています。 旧市街は城塞で取り囲まれています。ヴェネチア国との抗争に備えたのでしょう。 |
ドブロヴニクの旧市街観光は このピレ門から始まります。 16世紀に造られたこの門は 入り口の橋が釣上げ式で、 夜間に侵入者を防ぐようになっていました。 門の上にある彫像はドブロヴニクの守護聖人 ブラホの像で、旧市内のあちこちで 見受けられます。 手にドブロヴニクの街の模型を持っています。 画面にポインターを置くと 門の拡大画面がご覧いただけます。 |
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門を入る前に見える 西側の城壁と砦です。 |
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西端にあるボーカー砦です。 | |
門を入ると石造りの塀があります。 此処にもブラホの彫像がはめ込まれています。 |
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門の内側になります。 塀の厚さがわかります。 |
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ピレ門の全体です。 | |
門を入ってすぐにオノフォリオ大噴水が 有ります。 1438年にイタリアのデザイナー・オノフォリオに よって作られています。 噴水口は彫刻されています。 画面にポインターを置くと 上から眺めた噴水をご覧いただけます。 |
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噴水の前から東に向かって延びる プラツァ通りです。 旧市街のメインストリートになっています。 石畳の道です。 |
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プラツァ通りの西端にある 聖サヴィオール教会です。 |
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その東隣には高い塔のある フランシスコ会修道院があります。 ロマネスク様式の修道院で 1337年に建造が始まり、15世紀になって 完成しています。 1667年には大地震で崩壊し、再建されて います。 回廊はダルマチア地方を代表する建造物で、 後期ロマネスク様式です。 画面にポインターを置くと 修道院の入り口の門の上にある 十字架からおろされたキリストの亡骸を 抱き上げる聖母マリアの彫刻(ピエタ像)を ご覧いただけます。 |
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後期ロマネスク様式の回廊です。 アーチ部分の壁画は聖フランシスコの生涯を 描いています。(後出) |
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修道院内には1317年創業の ヨーロッパで三番目に古い薬局が あります。 |
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回廊の柱は二本ずつ作られています。 回廊から中庭を眺めています。 美しい曲線と直線の組み合わせになっています。 |
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中庭と聖堂と鐘楼です。 | |
堂内には博物館が設けられています。 内部は写真撮影禁止です。 古い聖書や薬壺、処方箋、薬学書なども 展示されています。 入り口から撮らせてもらいました。 |
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左は回廊のアーチ部分に描かれていた 10枚の絵をまとめて展示してありました。 右は各国から訪問された貴賓のリストです。 日本は黒田清子さん(元紀宮)のサインでした。 画面にポインターを置くと サイン部分を拡大してご覧いただけます。 |
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プラツァ通りの横道の幾つかです。 左はソフトクリームのおいしいお店がある 通りです。 ランタンにソフトの絵があります。 右はユダヤ人街に通ずる道です。 左手にシナゴーグがありました。 博物館になっています。 画面にポインターを置くと シナゴーグの入り口をご覧いただけます。 |
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街中のお店には店頭にランタンがありますが、 左下のようにお店の扱う品を出している お店が多いです。 ここは海鮮を扱うレストランです。 画面にポインターを置くと お店に置いていたお魚をご覧いただけます。 |
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プラツァ通りの東端です。 左手にスポンザ宮殿、正面に時計塔、 右手にルジャ広場があります。 |
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時計塔の上部にある鐘は1444年に建造され、 毎正時になると鐘つき男の像が 鐘を叩くようになっています。 丁度、その様子を見ることができました。 画面にポインターを置くと 鐘つき男が鐘をついている様子を ご覧いただけます。 |
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時計塔の前にある聖ヴラホ教会です。 バロック様式の教会で1715年に 設計、建造されています。 屋上にある真ん中の像は聖ヴラホです。 左手奥は大聖堂、その手前は市庁舎です。 |
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左は小噴水で、大噴水同様イタリアのオノフォリオが 設計し、イタリアのマリディノフが彫刻しています。 1483年に造られています。 右はオルランドの柱で1418年に造られています。 この像の肘の長さが取引の際の物を計る単位と なっていたそうです。 自由の象徴でもあるそうです。 |
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1516年に建造のスポンザ宮殿です。 ドブロヴニク共和国の時代には 商業、貿易の場に使われたようです。 ここの建物の三階にある像も聖ヴラホです。 |
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スポンザ宮殿の内部です。 | |
時計台の並び、ヴラホ教会の横にある 市庁舎です。 建設当時は造幣局だったとか。 その後は評議会などに使われています。 |
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市庁舎の隣には旧総督邸があります。 二階の窓枠はゴシック様式ですが、 下のアーチはルネッサンス様式になっています。 15世紀初めに建造されています。 17世紀の大地震により改修されたため バロック様式も採用されています。 現在は歴史博物館として利用されています。 今回時間の関係で入場できませんでした。 画面にポインターを置くと 建物の別の角度からご覧いただけます。 |
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大聖堂です。十字軍に参加した英国の リチャード王がドブロヴニクの沖合で遭難し 救助されたお礼にこの大聖堂を建造したと 伝えられています。当初はロマネスク様式で 建造されましたが、1667年の大地震で倒壊、 バロック様式で1713年に現在の建物が 再建されています。 内部の宝物殿には聖ヴラホの遺骨や 182人の聖人の足・手など数々の聖遺物が 保管されています。 |
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大聖堂の聖壇です。 聖壇の正面には「聖母被昇天」の 絵が掛かっています。 画面にポインターを置くと ティツイアーノ作の「聖母被昇天」を ご覧いただけます。 |
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大聖堂のパイプオルガンです。 画面にポインターを置くと 宝物館内部をご覧いただけます。 聖人の手のミイラなどありますが、 内部撮影は禁止されています。 内部は修理中のようでした。 |
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聖堂内の聖壇です。 イタリアとドイツの方式になっています。 |
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グンドリッチ広場です。 青空市場になっています。 奥に見える銅像は1892年製の イヴァン・グンドリッチの像です。 画面にポインターを置くと 後ろにある聖イグナチオ教会を ご覧いただけます。 |
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旧市街の北側の街中を通って 北門からスルシ山へ向かいます。 正面に聖ニコラス教会が見えます。 |
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北門の城壁です。 左手の塔はドミニコ会修道院の塔です。 中央下聖ヴラホの像のある下は北門(ブッザ門) です。 北門から出てロープウェイ駅に向かいます。 |
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旧市街の近くからロープウェイで スルジ山に登ることができます。 画面にポインターを置くと ロープウェイの内部を ご覧いただけます。 |
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スルジ山の頂上には やはり城壁があり、クロアチアの国旗が 立てられていました。 電波塔も設置されています。 |
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スルジ山から見たドブロヴニク旧市街の 眺めです。 手前の城壁は北壁で中央に北門(ブッサ門)が 見えます。右下の高い砦はミンチェッタ要塞です。 青い海に白い壁と赤い屋根。ダルマチア海岸の 中でもまさに真珠でしょう。 左上に少し見えるのはロクルム島です。 現在一部植物園などになっていますが、 ナポレオンの滞在した建物も残っています。 |
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スルジ山頂上からのドブロヴニク市の 鳥瞰です。左は旧市街、右はホテルや住宅街に なっています。 |
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赤レンガの屋根の上の煙突には 人形のようなものが乗っかっていました。 多分、煤落しでしょうが、街に自然に溶け込み 楽しい空間を形作っていました。 |
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レヴェリン要塞です。 頑丈な造りになっています。 港の向こうに見えるのは聖イヴァン要塞です。 画面にポインターを置くと 聖イヴァン要塞の方から見た レヴェリン要塞がご覧いただけます。 |
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旧市街東の入り口、プロチェ門です。 この門の上にも聖ヴラホの像がありました。 |
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プロチェ門から旧港を眺めています。 左は聖イヴァン要塞、正面のドームは 大聖堂、右手の塔は聖ドミニコ会修道院です。 ドームの前の港の前にアーチが3つある建物は 昔の造船所です。 |
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港から船で海に出ました。 外から眺めた旧市街の城壁です。 |
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旧市街西寄りの景観と 左手はロブリエナッツ要塞です。 |
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旧市街の東より、右手にドミニコ会修道院、 左手に旧港です。 |
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城壁の上はこのような通路になっています。 旧市街を一周できます。約2kmあります。 画面にポインターを置くと 西北の要塞、ミンチェッタ要塞を ご覧いただけます。 旧市街で最も高い位置にあります。 |
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ミンチェッタ要塞からの旧市街の鳥瞰です。 正面の島はロクルム島です。 |
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城壁からロブリエナッツ要塞を眺めています。 この要塞は旧市街から離れていますが、 旧市街を守るために造られた要塞です。 旧市街を見た後、この要塞にも上りました。 画面にポインターを置くと ボーカー要塞の大砲とロブリエナッツ要塞を ご覧いただけます。 |
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城壁からピレ門とスルジ山を眺めています。 左手はドブロヴニク新市街です。 |
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旧市街にある一般市民の住宅です。 | |
聖イヴァン要塞の上です。 |
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城壁から造船所を眺めています。 造船所が屋内に有ったのは建造中の 船の状況を知られないようにするためだった そうです。 現在はレストランとして利用されています。 |
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プラツァ通りを東から西方向に見ています。 4月末はまだ人が少ないようですが、 夏場は人でいっぱいになるそうです。 |
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プラツァ通りの一筋南寄りの通りに この家がありました。 銀行のATMと郵便局です。 壁に1991年12月6日の状態の写真を 張り出していて、写真には「我々は忘れない」と 書かれていました。 セルビア人に攻め込まれて炎上したこの家の 写真が貼られています。 画面にポインターを置くと 郵便局とその壁をご覧いただけます。 |
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歩き回って疲れたので、 ソフトクリームのおいしいと言われる お店へ行きました。 店の前ではお嬢さんたちがアイスを食べて いました。 勿論我々もこの美味しいソフトクリームを しっかりと食してきました。 |
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丁度この日は「第2回学生スポーツデー」 とかで、プラツァ通りはレース場に なっていました。ほんの1時間ほどですが ロープで仕切り、学生が大噴水と小噴水の 間を走りました。 ボランティアのお兄さんにTシャツのロゴを 撮らせてと頼んだら、快く応じてくれました。 画面にポインターを置くと Tシャツ姿のお兄さんがご覧いただけます。 |
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石畳を駆け抜けて行きましたが、 よくぞ滑らずに走れたなぁと感心します。 大通りはご覧のように中心が少し高くなり 水が側溝へ流れるようになっています。 |
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ロブリエナッツ要塞からの旧市街の眺めです。 「アドリア海の真珠」と言われるのが うなずける景観です。 |
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この日の昼食です。サラダと海鮮リゾット、デザートでした。結構いい味してました。 今回初めてテラスでの食事となりました。店員がテントを巻き上げたので、下してくれと頼みました。店員はせっかく太陽が出てるのに、 と言わんばかりの顔をしながらも、日除けテントを下してくれました。日本人だもんねぇ〜。 |
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ドブロヴニクの宿泊は旧市街の隣の岬にある ホテルでした。 なかなか良いホテルで、海にも近く朝は海岸まで 散歩してきました。 画面にポインターを置くと 朝の同じ画面がご覧いただけます。 |
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早朝のアドリア海の眺望です。 画面にポインターを置くと 海べりの景色をご覧いただけます。 |
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